2025.02.12Wed
非表示 16:07

昔、私は待ち合わせの約束をしていた。相手は親しい友人だった。約束の日が近づくと、私はいつもと同じように「今、家出したよ」というメールを送った。それは私なりのユーモアのつもりだった。家を出ることを大袈裟に「家出」と表現することで、相手に軽い笑いを届けたかったのだ。
もっとも、このユーモアが通じるのは、私とある程度の親交がある人物に限られていた。私の意図を理解してくれる人だけが、この言葉の裏にある親愛の情を感じ取ってくれた。しかし、そうでない人もいた。以前、ある友人に同じように「家出」という言葉を使ったところ、彼女は本当に私が家を出てしまったのだと勘違いして、酷く心配してしまった。
その時、私は少し寂しい気持ちになった。ああ、私のユーモアはまだ未熟なのだと。言葉は、相手に伝えるための道具だ。自分の意図とは違う意味で受け取られてしまっては、それはただの独りよがりだ。私は自分の未熟さを恥じると同時に、言葉の難しさを改めて感じた。
それ以来、私は「家出」という言葉を使うのをやめた。あくまでもコミュニケーションの手段として誰にでも通じる言葉を使うことは大切だ。しかし、時には砕けた表現の中に、相手への信頼や親しみを込めることもできる。言葉とは、実に複雑なものだ。
しかし、今日、私は久しぶりに「家出」という言葉を使ってしまった。それは、何十年ぶりかのことだった。もっとも、相手は私のことをよく知っている人だったから、きっと笑って許してくれるだろう。それでも、私は少しドキドキした。
人間は、なかなか変われないものだ。それは良いことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。ただ、昔と変わらずに「家出」という言葉を使える環境が、今もなお存在していることに、私は少しだけ安心した。


非表示 12:16

懐かしいという言い方だと、昔に肯定的な思い出をのせた表現になってしまって嫌なのだけど、懐かしいとしか表現出来ないことに言葉の少なさや自分の語彙力のなさも含めて、そう感じてしまった。


非表示 10:15

病気の症状が悪化し、何かに気をそらせたくてソシャゲをやってみた。
オタク文化にトラウマがあったせいか、はじめのうちは拒絶反応が凄かったけれども、今は慣れて普通に楽しむことができている。

(*6ω6)次は楽曲や刀集めでもしようかしら。


7皿食うて鮫臭い

非表示 05:38

最近漢検の勉強をしているので、知らなかった諺や四字熟語に出会うことも増えて面白いです。
その中で「7皿食うて鮫臭い」って諺がありました。
意味は散々食べておいて、最後に不味い!という人のことを言うそうです。
こういう人、いるよなーなんて思いながらも、諺になるくらい定番なパターンだったりするんですかね?昔からこういうタイプはいるんですね。興味深いです。
私の周りにも「鮫臭い!」って言っちゃうタイプいました。
父方の叔母なんですけどね、母の何周忌だかのときのお食事会で、散々文句言いながら誰よりも早く食べ終わってて、イマドキの言い方をするとwwwでした。ちなみにイマドキと言いましたが今は使わないかもしれないけどwww←コレ。文章で初めてつかいます。なんかwww
話を戻して、肉が硬いだの言ってたのに1番最初に平らげている⋯本当にwwwです。硬いと感じているのに食べるのが早いとかwww本当に草生えますね。なんかワニみたいな咀嚼力ですよね。
母の法事は3周忌くらいまでやったのかな?確か49日でも、店が遠いって文句言ってましたね。駅から近いし寺からは少し歩くとしても寺の近くにピンポイントに食事処があるとも限らないし、面倒な叔母だなと。やっぱり嫌いです。
文句ばかり言われてるときの店の手配って私がやっていたんですよね。それを知ってか知らずかわからないけど、文句がすごくて次の法事のときの店の相談も父にされたけど、私はやらないと突っぱねました。その時の店は文句言ってなかったように感じるけど、自分が手配していないからそう感じただけかもしれませんね。
これからも「鮫臭い」ことを言われたら、自分は関わらないというのを貫いていきたいなと思います。

2025.02.11Tue
非表示 22:12

先週出張して日曜の朝に帰ってきた。帰りの飛行機はあまり眠れなくて、映画を3本観た。昼間眠かったけど洗濯や後片付けをして、夜9時頃に寝た。

月曜日の夜にライブを観に行った。初めて観に行くアーティストだったので、どんなファン層なのか分からなかったけど、自分の席の近くにいた人達は大体想像通りだった。

今日もまだ残っていた洗濯をして、遺言状を更新したり、先週のニュースをキャッチアップしたりして過ごした。

明日から通常業務。いつものルーティンをサボりがちだったので、明日からはいつも通りに戻したい。


非表示 14:06

ここだけの話めちゃくちゃイライラする。
偏食の子育てみたいだし、なにもできない自分にもいらいらするし、なにもしようとしない本人にもいらいらする。
なにも食べずにずーと寝てる。


非表示 10:06

ある人から感じるのは「こうしておけば人は喜び私を褒める」みたいな事がわかってやっているところ。だから過剰な丁寧さも作戦に見えてザワザワしてた。でも、それ作戦だよ?なんて言ったら私がおかしな人扱いされるから言いませんでした。


非表示 05:55

ネットで流れてきた、こういう言葉に傷ついたというのがあったのだけど、私には何が傷つくのかわからなかったのが正直なところでした。
その傷つけられた人が悪いというわけじゃなくて、やっぱり文字だけじゃ伝わらないニュアンスってあると思うんですよね。同じ言葉でもその人との関係性によるし難しいなと思ったわけです。
ネット上では、それは酷い!のオンパレードでしたが、1人だけ「普段から上手くいっていない関係性なのでは?」と意見されている方がいて、私もこの意見に概ね同意だなと思ったわけです。心配している、相手を思いやっている言葉を発する「私」という内容を発言者に対して述べていたので、それは普段から相手に対してそう思っていて、例の言葉もある意味通常営業だったのだとは思います。ただ、受け取る側が最大限に辛い状況で無視する本能が働かなかったから傷ついてしまったんだと。
どんなことを言われたかは詳しくは書きませんが、さようならとか、お疲れ様、とかそういうのも時にはダメになってしまう状況もあるんだなと思ったの同時に、受け取り側が余裕のない危機的状況だとただの言葉でも何でもトゲとして受け取ってしまうんじゃないかなとは思いました。
さっきも書いたけど言葉のトーンとか普段の関係性、それは、かりそめの文では伝わらないんですよね。文章が悪いとかじゃなくて、その人の背景を丸ごと知るなんて無理ですから。
こういう勝手に流れてくるネットの言葉で、自分も気をつけようとも思うけど、それが全てじゃないなとも思ったり、自分の中の様々な考えが同時に踊らされてるのを感じてしまうことが現代の疲労なのかもしれません。

2025.02.10Mon
非表示 11:55

先日、神社にお詣りでもしようかなと思い立って日帰りの距離の神社を調べて目星までつけたのに、なんか面倒になってしまってやっぱりいいや…って結局行くのをやめたことがあったのだけど、今日になって全く関係のない話の中でその神社に関する話が出てきた。

神社の話が出てくるとは全く思ってなくて…神社に関する話が出てくることがあったとしても数ある神社の中からピンポイントで自分が行こうかなって思った神社の名前が出てくるなんて、本当にびっくり。

俗に言う神社に呼ばれてるってことなのかなー。
奇しくも今年の干支の巳に関する摂社もある。
神様が面倒でも来なさいって言ってるのかも。
これも何かの縁だろうから今週中にお詣りに行こうと思う。


非表示 10:56

花束よりも札束なんていやらしいけど、本音ですね。
でも花束をもらうようなこともないですし、札束ももちろんないですけど、札束をもらえるように時々宝くじは買いたいです。

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