誰にでも苦手な人はいる。これはそうですが、私の場合、私のことを苦手な人が多くいるんじゃないかな?という答えに辿りつきそうです。
先日、薄く焼き上げたクッキー生地を円筒状に巻いた菓子を購入し、久々に食しました。
口溶けの軽さから、定番の品として長く愛される理由を改めて実感いたしました。
当初はご挨拶の品を買い求めたのですが、そのついでに、無意識のうちに自分用のこの定番菓子も籠に入れておりました。
当初の目的が「ついで」となり、自分用の買い物が主目的となる、この一連の行為は、ささやかながらも楽しさを伴うものだと感じます。
定番品とは、決して飽きられることなく、常に一定の品質と風味を提供し続けるからこそ、その地位を確立するのだと再認識いたしました。
いつ食しても変わらぬ、シンプルでありながらも確かな美味しさこそが、定番たる所以なのでしょう。
そのようなことを鑑みますと、私も誰かにとっての「定番」となり得る存在になれるのか、ふと思いを巡らせてしまいました。
近所に数年前まで某チェーンのドーナツ屋があったけど、すごく空いていたんです。だから閉店となったんでしょうが、他場所にある同じドーナツ屋は混んでいるので、単純に立地の問題なんでしょうね。
繁華街というよりは、住宅地にありました。その場所で20年間以上営業していたみたいなので、家の近くで買って帰るか⋯という感覚から、買ってから電車に乗るか⋯という感覚に変化したんでしょうね。
でも、私にとってはいつも空いているという感覚はありがたかった。いつも空いている場所こそ、気に入っていたら大事にしたいです。
空いてるカフェとか店ってありがたいから私はホッとするけど、あまりにも空いてると、悪い意味でここ何かあるのかな?と不安になってしまうのもちょっとわかります。
この時間でもうお腹すいたから何か食べようかな。
ご飯の時間が自由だと自由度があがるよね。⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀ ⠀⠀⠀⠀ ⠀⠀ ⠀
ゲームしたいからパソコン欲しいって言われたら買ってあげないのと毒親なのかなー
学校で使うパソコンは買ってあげてるし、必要なものは買ってるつもりだけどまだ足りないのかー
配偶者の親は好きだし、向こうの配慮で良き関係が築けているとは思うけど、やっぱり義理の両親は義理の両親なので。
ここ数年は自分の親より出来た人たちだと実感するけれど、どれだけで良い人たちでも、自分の実の親が嫌いでも、距離感あっての良好な関係と言えるとは思うのです。
義理の両親は新幹線の距離に住んでいて物理的にも距離感はあるのだけど、最近は配偶者に長期休みに実家に帰省するのかどうか私から聞くのはやめている。そうすると、帰るか帰らないという話にすらならないで、結果的に休みが終わっているという感じになっている。
別に私が行きたかったから聞いていたわけじゃないんだけど、なんか私が行くかどうか聞いていたから行くことになっていたのかな?前述の通り、義理の両親のことは好きだけど、あくまで義理の両親としての距離感だから。それを配偶者はイマイチ理解していないんだろうなと思うことはある。
向こうが私たちの家に来ていたこともあるのだけど、それは私たちから誘ったわけでもなく、行ってもいいか?という向こうからのお伺いで成立していたこともあった。それだと、配偶者は仕事で私がどうにも一緒に過ごす時間が多くなってしまって、やっぱり義理の親なので疲れてしまうし、距離が近ければ向こうも言いたいことも出てきてしまうのかな?と思われるスレスレな感じがやっぱり耐えられなかったな。
だから私から配偶者に、仕事の都合が付きそうなときこちらから誘ったらいいんじゃない?その方がせっかく来てくれたのにみんなで過ごせるという提案をしても、うーん、うーんというだけで、結局、こちらかご招待したことは一度もない。
さすがに私だけでは対応が難しいので、強めに私だけしかいないときは無理だから!と言ったら驚いていたな。関係は良好だと思ってたから任せても大丈夫だと思ってた⋯みたいな顔していて腹が立った。
私はかなり義理の両親に恵まれているほうだと思うけど、好きでいられる距離感ってあるし、じゃあ距離をもっと縮めようとかではなくて、この辺りでいいかな?なんて思って過ごすのが大事なんじゃないかなと思うのです。配偶者は私から色々聞かなくなったことに気がついているのかどうかわからないけど、行きたいなら自分で計画立てるしかないし、私や家族も連れていくなら、それなりの期間を持って旅行のような感覚で計画してくれないとダメなのです。
以前は自分から聞いてあげていて優しかったな自分。と思いますがそんなことやっても意味ないのがわかって、部屋もぐちゃぐちゃで誰も招けないし、こちらから行くのも突然は無理だと言ってあるからラクです。私のこんな内面を知ってから知らずかこの距離感を保ってくれている義理の両親の距離の取り方は勉強になります。
今日、チャリひいて歩いてたら何もないところで足を捻りました。
結果・多分軽い捻挫です。しかも、あと数日で夏休みが終わるのに読書感想文で
読む本が読み切れていません(長すぎて)
ある意味絶望過ぎます。オーマイガー
夏は洗濯ばさみがよく壊れる。暑いからかな。
補充で買いに行ったら、量が半分くらいになってた。
値段は同じだけど減っている。こういうことばかりです。
また歩調が合わなくて、昨日はついに見失った。
あれ?この方面じゃないからどっちだっけ?という迷いはあったけど、置いていかれた!どうしよう?帰れない⋯って不安はなかった。
途中から見失った私に気がついて探しにきたけど、探す手間がかかるなら、最初から歩調を合わせたほうがラクなんじゃ?とは思ったりした。
急いでいるからというか、時間に充分余裕があっても目的地に一目散!みたいなところがあって、そのペースに合わない人は容赦なく置いていくみたいな感じなんだろうけど、それなら最初から別行動にするか、周りと歩調を合わせたほうが結果的には早いということもあるだろうなとは思うんだが。
車でしか来れないような僻地に一緒に来て、先に車で帰って置き去りにするって話、対岸の火事じゃないかも?と思うことがある。そこまで非情な相手じゃないと思いつつも、日常でスタスタスタと私のことをほぼ見ずに距離が出来ても気にしないで歩いていく姿に、いつか自分も⋯なんて最近考えてしまうのだ。1人でどうにか出来る力と、それが起こるかもしれないという気持ちを持っておくことは自分を守ることになるのかな。