読書感想文とか自由研究とか面倒だからやりたくないというのもあるけど、何を読んだとか調べたとかを周りに知られることが本当に嫌だったんだよなって思う。
この感覚、今でもずっと持ち続けている。他人に自分の嗜好を知られたくないって。
なぜこうなったか?と考えると、私の嗜好って誰かのネタにされることが多かった気がするから。褒めるとかそういうのではなくて、バカにするための肴みたいな感じ。別に褒めたり共感出来ないことを無理にして欲しかったというわけではない。むしろ無理矢理褒めなきゃならない共感しなきゃならないっていうのはシンドイことだとわかっているからしてもらいたいわけではない。
でも、バカにはされたくない。貶されたくない。自分なりに考えがあってそれを述べても、お前が?あんたが?みたいな感じだし、だからあまり力を入れないようにすると、やる気がない、だからダメなんだという雰囲気に持っていかれる。
これ、家庭でそうだったんです。私の両親ですね。私をバカにすることで他の家族のメンバーが仲良くなるみたいのはあったと思います。そういうのが染み付いて外に出て家庭以外でも私の嗜好をバカにするみたいな流れは合ったように思う。
だから趣味とか言うの苦手だな。昔、入社した会社で趣味、お菓子作り、読書と書いたことがあるけど、部長に「それ、本当なんだかね?」って言われたことがある。そう感じさせない私にも原因があると考えられるけど、やっぱり私の嗜好はバカにされたり皮肉に使われたりするんだなって今思い出した。
だからあまり自己を紹介したくない。だからそういうのを言いたくないから周りの人と関係を築きにくいのかも。普通なら仲良くなるために自分の趣味や紹介をするものだと思うけど、私は仲良くなってからじゃないと言いたくないんだよね。この感覚があるから読書感想文とか自由研究は当たり障りのないものにしなきゃならなくてつまらないし、疲れたんだと思う。当たり障りにないものを作るってどんなものも事も、自分にとってはつまらないんだよね。でも、そうしないと本当に好きなものを守れないからね〜難しいです。
今の仕事辞めたいな〜と思っても生活するためにはやめられないかなって。夫婦2人とはいえ生活がかかってるから…
何の気なしに旦那さんに「月いくらもらってんの?」と聞いたら私のが10万近く多く貰ってて尚更やめられない。
今の生活を諦めるか、私が頑張るのか。
自転車の修理に行ってみた。
タイヤの空気入れのチューブのとこが千切れてたらしい。
初めてみたんだけど、空気入れの所の上のネジを緩めて引っこ抜いた部品のネジっぽい所の先がチューブっぽかったんだけど、その先がちぎれてたらしい。
その場で部品変えてもらえたらすぐ直った。110円也。
薄々暑さのせいなのでは?と疑ってたんだけど、なんか裂けてたと聞いてますます疑いが強まった。
たかが挨拶なら、たかが挨拶くらいすればいいじゃないか。たかが位ができないでどうする。文字足りないみたい、おはよう、こんにちは、おはよう、お疲れさま。
ほんとに小さい子の優しさは、ピュアな気持ちからくるもの。優しくしてもいいし、しなくてもいい選択ができる歳になってからの優しさは、心の強さ。人の身になって考えて、相手に自分と同じ気持ちにならないように、自分が盾やダムのようになってそれを断つ、自ら前に立って見せるのは心の強さだ。気に食わない相手にも優しく接する事ができたなら、「自分はあなたと違う」って言う強い宣言で、証明。身体を鍛えて心も鍛える事はできても、心を鍛えて身体を鍛える事はできない。身体の強さと心の強さはまるで別物なのだ。そして、身体の強さは人生の一時だけ、心の強さはこの世界を去るまで共にするもの大切で、切っても切れないもの。優しい人は弱い人なんて言うデタラメを信じてる人は、一番難しい鍛錬の「心の道場」の門に辿り着けてないのだろう。
そう、今大変な思いをしてる人に言いたいのは、その大変な事をもし乗り越える事がでたなら、見えないけれど、あなたはかなり心がマッチョになってるって思っていい。心は実践で鍛える事しかできないから。もちろん、無理な鍛錬はしてはいけないけれども。
脳も臓器の一部。
最近はこんなことをよく自分に唱えています。
なぜ唱えているのかというと、脳は親からの遺伝の一部、つまり脳の使い方、考え方は似ているものがあるんだろうなということです。
親に似ていても問題なければそのままでいいのですが、私は似たくないんです。だから、気がついたらノウモ、ゾウキノ、イチブと唱えて脳に覚えさせないと親から受け継いだ嫌な部分が出てしまうんだろうなって思うのです。
これが全くの他人とは違う、絶望的なところなのかもしれません。他人なら嫌なところがあっても他人だからとそこで割り切れるけど、親だけはそうはいかない。親の一部が私なのだとしたらそれは意識しないと唐突に表面化してしまう。それが怖くて。
性格や知能は遺伝50%環境50%なんて話も聴きます。学者ではないので本当のことはわかりませんが。これが本当になら遺伝50%もあって、環境といっても殆どの人がその親がいる環境で過ごすのですよね?親の遺伝子と親が与えた環境のセットなら、もうこれは逃げられないですよね?環境がといって希望を持たせようとしているのかもしれませんが、大人になるまでベースとなる環境は選べないのだから、実質遺伝100%と言っても言い過ぎではないのかもしれない。
世の中はある程度大人になると、人のせいにすることを嫌います。それが親に対してでもです。大人になったら自分の責任ということらしいです。これも半分は正解ですが半分は不正解なんですよね。子どものときのベースが違ったら例えば20歳になった時点で考え方や性格が違うんですから。そこからさらに20年経って40歳になったときにベースがしっかりしていた子どものほうが高いところにいるのは当たり前だと思うのです。
でも、大人になったら親の負の部分に気がついて歩いていくことも出来るとは思うので、半分は自分の責任と書きました。ただ、やっぱり気がついたとしても普通の40代が見ている景色とはちょっと違うのかな?なんて現在の私は考えたりします。自分の努力が足りなかったところもあるかもしれないけど、それを100%自分の責任だと言うのはなんだか悔しい気もしてまって、こういうとこでボヤいています。
大人になったらすべて自分の責任と言いきれる人はある意味幸せなのかもしれない。環境は良くなかったけど、私は努力して〜という勢が疲れるので、遭遇したくないんですよね。あなたの努力は素晴らしいし、讃えるものかもしれないけど、それを押し付けられるのは違うかな?って考えています。生まれた瞬間から顔も環境も知能も一緒じゃないと本当の意味で比べても意味がないと思うんです。サンプルとして成立しないというか。
人って複雑で少しでも何か欠けると、その先が大きく変わることもあると思うんです。だから、「環境が悪くてもワタシは努力してここまで来たのだから、あなたは甘えてる論」は通じないのです。少なくとも私には…
脳は臓器の一部なんです。この一部の人には言い訳っぽく見える私の気持ちも親から貰ってしまった一部なのかもしれません。
だから今も唱えます。のうは、ぞうきの、いちぶ。と。
ちょっとした懸賞でチョコレートのギフト券が当たりましたーーー!
金額は600円分だけど、量り売りの店でチョコ4つくらい買うとすぐそれくらいいっちゃうから嬉しい〜
大人げないとわかっていたけど
不貞腐れた態度をとって
拗ねてるって言って
ごめんね、なおしてよって言われて
そうだよね、自分の機嫌は自分で取らなきゃだよねって自己嫌悪
、、、
皆ないものねだりをする
フランス国籍の仕事仲間は黒い瞳と髪の毛が羨ましいといわれる。金髪碧眼なんて髪は傷むし瞳は紫外線吸収しまくりでよいのとない、と。そうなの?日本人はサングラスしないでしょ、と。こっちは必需品だよといわれる。あと体臭が全然ないのもずるいと言われる。そうなの?
特に私はデオドラントとかもあまりしない。暑くて汗かいた時に制汗スプレーとかデオドラントシートくらいかな、ひんやりの
元気で明るくてよく喋るポジティブな人ばかりじゃないのよね、とLAに住んでるアメリカ人にもいわれたことがある
おひとり様でカフェとかご飯なんてこちらじゃ、変な目で見られるって
日本は1人で皆ごはんたべたりカフェで本読んでたりいいな、ってさ。
日本人が特殊なのかね
もしかしたら、スマホはほぼ上下で稀に左右に移動くらいだからかもしれない。身体の運動と考え方は似てくる部分があるから、ある意見に対して、別の方向からの意見でなく否定意見が多いネットは、割とスマホの動きが染み付いて考え方も前後になりやすいのかもしれない。