2025.05.17Sat
非表示 05:32

とある過去問が欲しくて、B◯◯K◯FFに行ったら、全部書込みしてあるものが売ってたけど、それでも買い取ってくれるんですね。


非表示 05:23

油断したいんだなーと思うのです。1人でいるときは、ずっと油断していられるから1人になりたがっているんだと思うのです。
1人でいるときの油断が最高峰の油断だとは思うけど、ハタチ2回分くらいの年齢になって、残っている人や周りにいる人は私の油断を許容してくれている人だとは思うんです。それは素直に有り難いのだけど、そういう相手が私の油断を許してくれなかったりすると、心底ガッカリするし疲労感が半端ないのも事実です。
だから基本的には1人でしっかり油断したい。油断大敵なのかもしれませんが、だからこそ油断出来たときの時間は、そこに信頼があって安らぎがあるのでしょうね。

2025.05.16Fri
非表示 19:11

(:3 」∠)絵を描くたびに体調が悪化している。
トラウマと病気が重なっているから仕方ないか。
ちょっとフクザツなんだけど、脳がバグってから自分の感性が鋭くなっている気がする。
最近だとジブリのアニメ線がとてもかっこよくて見入ってしまいますわ~。


非表示 15:02

ああ、疲れた…。無駄足を踏んでしまった。これも、己の方向音痴のせいなのだから、致し方あるまい。しかし、このような徒労も、独り身であればこそ許されるというもの。一人の気楽さよ。


非表示 09:59

母性という映画を観ました。原作は小説がありますが、それは未読です。内容の説明を飛ばして、自分の思ったことを淡々と載せていきます。
母の好みが自然と自分の好みだと思い込むようなことは私にもありました。
母に喜ばれることが自分の喜びって書くと大袈裟たけど、誰しも振り幅の差はあれ、そういうところがあるのかもしれないなと感じました。
お笑いが好きじゃない私をどこかで演じてた気がするし、蕎麦も母の好みじゃないから私も蕎麦が嫌いだと思い込んでいたよなと。今思えば、食べ物の好みから趣味まで、母に合わせていた部分も多くあったなと。合わせていたつもりはないのに。
でも、映画の主人公のように全てが合わせていたわけじゃなくて、自分の好きなものは好きだという部分もあったから、それが現在の自分を救っているなと感じています。
好きな音楽やバンドも、「なぜそんなのか好きなの?」「あなたかそういうのに夢中になるなんて思わなかった」など、母か思っていた私じゃない場合の嫌味がすごかったんです。
特に私はカラオケや歌うことが好きで、小学生のときにどうしてもカラオケに行ってみたくて家族で行ったことがあるんですが、その時に手でリズムをとったりして楽しく歌っている姿をバカにされたんですよね。母はカラオケが大嫌いなのに、母の子供である私がカラオケが好きだなんて許せなかったんだと思います。
でも、この母は好きじゃない、母の考えにそぐわないものが、先ほども書いたように現在の自分の生きる糧みたいになってることが多いです。好きな何かに触れて自分を鼓舞する。蕎麦はすごい好きってわけでもないけど、食べると美味しいなって思うし、いちいち「ボソボソして不味い」と言われないから美味しい。お笑いもすごい好きってわけじゃないけど、動画を見てクスッと笑ったりしても「あんたがそういうので笑うんだ」って言われないから純粋に面白い。カラオケも好きなバンドの曲を感情込めてライブパフォーマンスのように歌っても「本当に手とか動く人いるんだー」って言われない。ただ曲の良さと自分の歌に酔ってる(笑)バカになれる状態で楽しい。
純粋に自分の好きなものが自分の気持ちだけで出てきて、それは一生自分のものなんですね。ただ、自分の好きなものをあまり誰かに知られたくないって思うようになったのは母に知られて少し砂をかけられたような気持ちになったので、それを自分の好きなものに残したくないって思うようになったんですよね。
自分の気持ちのようで自分の気持ちじゃないものに惑わされず、常に自分はどう思うのかだけ考えていきたいのです。私は母から生まれたけど母ではないなって思うことが今の幸せなのかもしれません。
映画についてはまだ色々感想はあるけど、長くなるのでこの辺にします。


非表示 09:34

今日はコンビニの冷やし中華を食べました〜
抹茶のクレープもつけて高カロリーにしてしまったが、心身共に満たされた。

2025.05.15Thu
非表示 15:51

鯖の切身、玉子焼き、大根のキンピラ、ブロッコリーのおかか和え、椎茸こんにゃく煮物、筍のオイスターそぼろ炒め さつまいものレンチン

今日の弁当の中身でした。鯖の切身は冷凍食品です。4切れで400円って安くないけど、弁当に丁度いいので気に入っている。


非表示 05:47

昔話になります。ハブるというと良くないことだとは思うけど、高校の最初のほうに仲良かった子は、ちょっと限界で⋯他の子も同じように思っていたみたいで結果的にはハブるということになってしまった子だった。
仲良くなるにつれて、距離感がおかしいというか仲良いからって、それはちょっと⋯的な事が増えた。
テストの日の夜中の2時に電話してきて、勉強してないだのなんだの言ってくるから、友達のよしみで電話越しから問題を出してあげてたのに、突然電話を切るとか。
キャッシュカードの暗証番号を勝手に教えてきて、残高が合わないと何気なくこちらを疑ってくるとか⋯
そういう積み重ねが限界で、仲が良くてもこういうことをしてもいいってわけじゃないという自分の考えが浮き彫りになった出来事ではあったと思う。
「私、◯◯さん、ダメなんだよねー」と他の友達から打ち明けられたとき、私も同じようなことを感じてたので自然と例の友人とは距離が出来た。
もう25年以上の前の出来事ですが⋯結果的には仲間外れみたいにしてしまったけど、これって私たちが悪いのかな?とは思う。まだ仲良くしていたら、身勝手さに振り回されて終わる高校生活だったでしょう。
ただ、その打ち解けてきた子とも今は疎遠です。卒業してから10年くらいは付き合いあったけど、なんかこちらも色々合わなくてシンドくなったので。例のあの友人がいたからこそ仲が深まっていた部分もあったのかもしれない。
共通の敵がいないということは、共通の価値観をすり合わせる機会がないということでもある。まあ、10年続いたから、それだけではないのだけど、敵は敵だけど、それをうまく作用させていたこともあったのかなと突然思い出したのです。

2025.05.14Wed
非表示 21:35

今日は午後から、ずっと食べて、ずっとお酒を飲んでいる。

満たされている、苦しい、全然満たされない。
それが、私の暮らし。


非表示 20:58

今日はあるバンド縛りでカラオケ3時間〜
まだ全然いけるなーと思った。
そして帰りは期間限定のモンブランの店で買ってみたけど、なんか思ったより普通だった。

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