うわ〜って思う人の視点で色々表現してみると、本当にうわ〜ってなるものが出来上がって自分で表現したものじゃないみたいだなって思った。
その人の気持ちわかるかな?なんてことはなくて、思考回路はわかったけど共感って出来ないなって改めて感じました。
今日はホテルにステイ。前から行きたかったホテル思いきって予約したー!
そんな場所にはこだわりの髪型ということで、クールなショートヘアでクシャッと笑う大人の可愛さみたいのが出せたらいいな〜
大人って工夫が必要だなって思う。昭和を背負った女40代だけど、キリっと工夫で乗り切るんだ〜
婚活もまあまあ。きちんとドレスアップして、でも堅苦しくない大人のオシャレ感。こういうの大事。
前はさ〜そろそろきちんと恋愛しようって思っていたけど、人と話す場所が必要だなってことで、婚活もその一部かなって。
あるところで、婚活をやめちゃったみたいだけど、その友達が好き〜そういうの面倒くさがってるところが好き〜って言っている人がいたから、それはズバッと言ってやった。「そういうところ友達を見下してるって気付かれてるよ?」って。顔も何もわからない人だけど、着飾って大人の雰囲気頑張って出してる私を否定された気になっちゃった。外では大人しそうって思われてるけど、こういうときは昭和の風をまとった女なんでね、はっきり言ってやりましたわ。えへん。
ポッドキャストで「人と話したいから、仲良くなりたいという目的が先にくると上手くいかない、例えば人と出会うためにスポーツ始めるとかね。スポーツやりたいから始めるを前にしないと本当の意味で仲は深まらないよね〜」
これ、聞いて、私ギクッとしましたわ。確かに婚活もバドミントンも人との交流が前に来てましたわ。
言いたいことをイザとなったら顔も知らない人にも言えちゃう私だけど、やっぱり人との交流はしたくてね。人間関係では上手くいかないことも多いけど、着飾って工夫して大人の女性だから!
あの人の視点や脳内はこんな感じなんだろうな。大掃除したときに、チラッと見えちゃう言葉がこんな感じ。
内容じゃなく単語に反応してるところを巧みに使ってみました。
盗まれた自転車が帰ってきた?
帰って来たと言うか、なくなった駐輪場の別の場所に停めてあるのを発見した。
何故か現場に帰ってくる気がしていて、もう一度は確認したくて行ってみたらあったのだ。
どゆこと???
盗まれた日、私は駐輪場全体を3周以上見て回ったし、小径の無くした色の物を重点的に見て回った。絶対無かったはず。
そもそも間違えても定期契約駐輪場になんて停めない。ましてやそれがデカデカと書かれたステッカー前になんて絶対停めない。
そんな場所にポツンと普通に鍵がかかった状態で停めてあった。
延滞料金からして当日か翌日からそこにあったみたい。
マジで何で??
ここまで変だと自分が見て回ったのに落ち度があったみたいじゃないか…
一人相撲? 誤認?
よく分からないけどとりあえず自転車は無傷で帰って来た。良かった。警察にも行って手続きした。
何故か買った時からあった嫌な予感はなくなった。ずっと馴染まなかったよそ行き気分が落ち着いてやっと自分の自転車感が出来てきた。厄落としになったのかな??
まず、オリンピックはスポーツの祭典という事。そして、日本国内や国内の流派の世界大会ではなく、世界的には柔道はスポーツでありながら武道の精神性を引き継ぐもので、オリンピックの柔道は武道精神を重んじてはいるけど、どちらかといえばスポーツに振っていると言う事なんだろう。だから、幾ら日本の伝統を叫んでも、各国の柔道の総合的ニュアンスの方が強いからスポーツよりになる。どうしても、完全に武道を重んじてやりたいなら、日本主導での伝統を強く出した柔道の大会をするのがいいんだろうな。
当然の事だけど、オリンピックで金メダルは公の場で世界一になるって言う事だ。テレビとかでメダル取りましたって言うと簡単に取れそうな雰囲気がしてしまうけど、まず想像してみよう。
自分の得意な事、好きな事で世界一を目指すとして、ライバルは国内に沢山いてそのトップになってから、世界中のもっと沢山のライバルに打ち勝ってトップになる為に、4年間毎日ずっとどれだけの努力しないといけないか、どれだけ色々な物を犠牲にしてまで取り組まないといけないか。そのロードマップを想像してみよう。
たぶん並大抵の事じゃ想像できないだろうな。そして、その努力が実った時、あとちょっとで逃した時の自分の悔しさを想像してみよう。現実は想像の何倍も大変で何倍も心に響くものなんだから、多少は選手の気持ちに近づけるかもしれないな。
散々世間でやめとこって言ってんのにまだやってるのいるんだな。選手は誰彼関係なく文句言ってきたら謝るのしなくていいって。エンタメの人でないし、頑張ってる人を見て勝手に応援してるのが、ファンなんだから。文句言ってきたら、だから何?あんた誰?どんな関係?くらいの堂々としたスタンスでいいと思うけどな。自分が自分の為にはじめた自分自身で全責任負う自分の人生の事に、なんで匿名で身元も不明のどこぞのオッサンみたいなのに親切にも謝る、素朴すぎるよ。
SNSのみんながファンを集め大事にしないとみたいな、お客様は神様ですの勘違いをデジタルでも個人個人がやってるは、ほんとしょうもないからやめよう。
誰だよ、おまえ で十分な返事だよ。
屈折した優しさと甘やかしはいらないな。
先行で投稿したように、遡って自分にとっていらないものを処分しました。ここではそのことを比喩的に木を伐採と表現します。
遡るのは時々やっていて、自分の言葉も含めて改めて振り返ると面白いのです。
しかしながら、そんな多様な言の葉の中に気に入らないものもやっぱりあるわけです。ただ、だいたいの人が直接「それ気に入らないわ!」と言わないで、それぞれがそれぞれの木を自生させているような森のような感覚の空間だったのです。
でも、1本の木に「あんたの植樹した木が気に入らない!」と言われてから、私もそれを言ってきた木が嫌になりました。同じ空間で自生したくないなって。なので、遡りという散歩に出たときに見つけ次第、伐採しております。
「植えた人が同じだってわかるの?同じ木だってわかるの?」と思われそうですが、だいたいそういうのはわかります。葉の開き方、枝の分かれ方、根元の状態などで同じ木だなってわかるんですよ。だから、見つけ次第容赦なく伐採します。
面白いのが、その人の植えた木に私自身がいいねって思っていたんですよね。それがなんだか悔しいような可笑しいような変な気分でした。気にいらない!と言われる前は、葉が長くて歪な形だとしても、それを自分なりに理解出来る形に整えて、一部でも共感出来たら共感してたんだと思います。根元が腐った木だとしても自分もそういう気持ちは理解出来るとか‥我ながら優しいな‥
でも、一度土壌を踏みにじられたら容赦ないのもまた自分らしいって思いました。見つけ次第、次から次へと伐採。
それでいいんだと思います。放置しておけばとも思われるかもしれないけど、残しておいたら自分に倒木してきたら危険なので。他の人にそれを強要はしないけど、自分が危険だと思ったものは誰がなんと言おうと危険なのです。
最近は歪で長いだけで植えた途端から枯れてるような根元が腐敗した木は見ないのが嬉しい。このまま植樹をやめてくれたら私にとって綺麗な森になるのでしょう。
ちょっと暇だったので自分なりの大掃除を。
簡単に言うと、いらない言葉を容赦なく捨てたという感じ。
捨ててみて、今までソレをいいねと思っていた自分が滑稽だったなと思った。
昨日、スポーツクライミングのLiveを見た。
今回はボルダリングで、様々な形と角度の障害物を乗り越えてゴールに到達って感じだった。課題って呼ばれてるだけあって、相当難しい設定にされてたみたい。
何せ序盤の選手(世界ランク下位)の人は全く歯が立たずに終わって帰っていってた。
わずかな手掛かりから最適ルートを割り出す感覚がパズルみたい。
しかもそのパズルは、思いついても体現出来るだけの身体能力がないと実現不可能だなんて、文武両道っぽいなー。
私が今までボルダリングがそこまで難しいと思ってなかったのは、多分強い日本選手の試合だけ見てたからだと気付いた。
何か、初手から違うんだよね。自分の身体を思うように運ぶには、筋力よりも握力の方が必要そうだなと感じた。あと、とんでもない状況でも貼り付ける柔軟性も不可欠。
その辺のバランスが日本選手は良さそうに感じた。
日本選手のクライムで課題の正解が見えてスッキリした。ずっとモヤモヤしてたから。
それにしても第三課題の完登者、いたっけか? どの課題も数人しか完登出来てなくて、やたら難しい課題だったんだなと思った。まあ、決勝に向けての振り落としと考えたら、あまりバンバン登られても困るのかな?
気候変動が地球の自転を遅くした結果、1日の長さが長くなっているとの事。ちなみに地球の自転の速度で1メートル進むのには、赤道上で秒速約465.1メートル(約1674.4キロメートル/時)だから約0.00215秒(約2.15ミリ秒)。その程度って感じるが、これが地球の生態系に与える影響、例えば今までの環境下で正確に調整された体内時計を持つ植物や昆虫などの小さな生物に与える影響は大きな物だろうし、その恩恵で生きてる人間への影響も大きいだろう。大西洋の海洋循環、早ければ2030年代後半にも停止と言う研究結果もある。これによる気象変動や海洋生物への影響は甚大だろう。
人間は自分で自分がこの世界からいなくなるのを知ってる。(ちなみに、これを単語でここで言うと引っかかって投稿できないので、4と書こう)。でも自分の周辺で4が起こっても、自分では、どうも自分がそうなると心底確信できない。ところが、病で4を他人から宣告されるとやっと確信できる。客観的に宣告される事でやっと確信し自認できるのだ。
そして、自認した患者は大抵は残りの人生を家族や友人などを今まで以上に思いやりながら残りの人生を生きる。
ネガティヴの根底は4。そして、それを確信し自認する事で底を抜けて、本当の本質的なポジティブに変わる。
生きている上で必要なお金とそのおまけで付いてくる権力や名誉は、深層心理でわかっているから遠ざけたい4に、自ら目を向けないようにするモルヒネのような物。それを沢山所有するほどモルヒネは強く効いて、国の権力者は永遠の命と言う勘違いのもとに、戦争や紛争で自分のモルヒネをもっと強くしようとする。かつてエジプトの王がそんなモルヒネが効きすぎて、ついにはいつか蘇ると言う妄想の為に用意させた物もあるのは知ってるだろう。
地球環境が人類全体に余命宣告した、この火の手の回って逃げようのない火事場の中で、まだモルヒネを効かせて争い事をやってる権力者達を見ている、この状況下でまだやってんのかっていう思い、火事場の中で動揺する事なく、あえて普通に穏やかに生きていく気持ちの強さになれればという思いに至る、原爆の日。
昨日のご飯。
味付けしてある肉を焼き、白和えの素を使った白和えを作り、甘酢の味のパウダーをもやしにふりかけ、電子レンジで火を通した枝豆だった。
自分で一切味付けをしていないけど、私は手作りだと思う。