除湿剤が水分だけになったので、それを捨てようとしたら派手にこぼしてしまった。
普通の水分と違って薬品?が入ってる分、拭いても拭いてもベタベタしてて、除湿とは?考えた日だった。
正しいか正しくないかじゃなくて、その時寄り添ってくれたかそうじゃないかが大事なときもたくさんありますね。
キツイときに寄り添ってもらえなかったという記憶は何年も残っているから、それを盾に時には図々しくなるのもしょうがないのかなと思うのです。
それを盾にしないと、過去の自分も現在の自分も辛くなる。どうしても生きていかなきゃならないのであれば、そうするしかない。
清く正しく図々しく。ってよく思ってるのですが、本当コレなんですよ。図々しくないと生きられない。美しくなんて言ってたらバカを見る。生きるための手段なんです。
サバ缶と春雨スープが今日のお昼ご飯。
春雨スープはお湯を注ぐだけの簡単なヤツ。久しぶりに美味しかった。
子どもの写真をインスタグラムにあげて目元隠してるけど、親のあの人にそっくりだなーってわかる。
もう好きじゃないから、なんか似てるというだけでザワザワした変な気持ちになるよ。
まあ、見なきゃいいのですが、このザワザワした気持ちは勉強にはなるんですよ。こういうことが人をザワザワさせるんだなと。
だから嫌いな人のSNSって、そういう意味では学びも多くて私は見てしまいますね。
めちゃびっくりな話なんだけど、私の勤めてる保育園から散歩に行ける公園に、時々お馬さんが来るらしい。
まあ、馬と言ってもミニチュアホース?らしいのですが。
時々長めの草を喰んだ方がいいそうで、公園の雑草モグモグしに来てるとか何とか。
それにしてもお家にお馬。お大尽だなー。
自分が嫌いになる
変えなきゃってわかっているはずなのにまた同じことを繰り返す
この生き方はどこで間違えたかな…
そしてまた自分が嫌いになった
5月のトラウマ
日曜日の深夜に髪を今すぐ切りたくなって、月曜日に開いている美容院を探して 今日 切ってきた。
ほとんど休みだったので見つかったお店は車で20分ぐらいかかったけど、結果 満足!
ぱっと見 のインスピレーションで保存していた かっこいい女性の髪型を見せて切ってもらう。
ツーブロックと刈り上げのワードが出てきて一瞬ひよったけど、軽くて手入れがすごく楽だから、という言葉と、中途半端に女性っぽくするよりも 潔く メンズカット 寄りにした方が絶対にかっこいいから、の言葉に背中をされて 了承。
写真見せた瞬間に美容師さんの顔が変わったんだよね。
なんかこう、目がキラリと光ったというか。
躊躇なくバリカンで ザリザリ 削られて、大丈夫かなと思ったけど、後で聞いたところ メンズカットが得意なお店だったらしく、とても上手にカットしていただいた。
以前行った美容師さんの腕も悪くなかったけど、フェミニンなスタイルがお好きらしく、コテでセットする方法とか言われて途方にくれた。
そんなもん 使ったことないし。
その方 曰く ショートカットは特に美容師の好みが出ると言われて、私が来るお店ではなかったなと 美容師さんのガーリーなワンピを見ながら察した。
その後も転々としてきたけど、自分でも どういう髪型にしたいのかわからず。
かっこいい髪型にしたいけれど、男みたいになるのは嫌、という謎の自意識。
子供の頃から声が可愛いと散々褒められてきたので(声以外は言われたことがない)、自分の中で可愛い声とのギャップが出ないように意識してきたのはある。
顔と声のギャップがコンプレックスで、所作とか喋り方、服装とかは声のイメージを崩さないようにしてたんだよね。
人目を気にしすぎだった。
でもそうしないと周りが がっかりすると、受け入れてくれないと思ってたから。
可愛くなれなくても優しそうに見せようと苦心してきた 40 数年。
やっと解放された気がする。
今は2ブロックも 刈り上げ も女性の間では割と浸透してきてるよね。
昭和生まれの私にとってはどちらも ヤンキーかワカメちゃんのイメージだったからありえないと思ったけど、やってみたら自然だし とてもいい。
声と顔と中身にギャップがあっても別にもういい。
残り40年くらい好きに生きる。
たった40年だもんね。
どんなに頑張っても 夏木まりさんみたいにかっこいい感じにはなれないし、私は私でいい。
自由で軽くて楽だ。
行ってよかった。
危険生物が載ってる図鑑で、威嚇するために口を大きく開いてる動物の写真が多いのですが、私が口を大きく開けるときはあくびをしているときなので油断しているときなのです。
思えば、親にちょっとした疑問を質問した記憶がない…
質問はしたのかもしれないけど、真剣に答えてくれたという記憶が全く無い。
何か間違ったり知らないでいると、いやな感じでバカにされた記憶しかないのです。
だから、よく勉強や仕事でも「わからないことは質問する」なんて当たり前に言われるけど、その当たり前が出来ない人って、質問することが怖いと感じているのではないのかな?
こんなことも知らないのか…と思われるかもしれない恐怖って、実は子どもの頃から感じていて、常に隣り合わせだったなと。
そういう子ども時代を過ごしてきたから、今のようにスマホですぐ調べられる時代に安心している部分がある。子どもの頃にこういうツールがあったら間違ったのめり込み方もしていたかもと思う反面、あったほうが今より何かを知っていたのかもしれないとも思った。
何かを書こうと思ったのに、書こうとした途端、さっきまで頭に浮かんでいた言葉が出てこなくなって、あれ、なんだっけ、と考えているうちに何を書こうとしていたのかも忘れてしまって書いているのがこれです。たいした内容じゃなかったんですね。きっと。
忘れられた言葉はどこに行ってしまうんだろうね。