例えば、醤油の味噌どっちを食べる?と聞かれて、じゃあ醤油。と答えるとします。
それなのに、残っているのは味噌味だったりするんです。
こういうことが、たびたび起こります。
わざわざ聞いてくるから答えるのに、答えとは逆の結果が残っています。ならば、わざわざ聞かないで欲しいのです。
まあ、嫌いだから何を言われても嫌いという境地に入ってますが、ヤツのSNSによると、心が最近晴れないらしいです。
まあ、そんなこと書いておきながら料理投稿と趣味の音楽の話なんかしちゃって、まあ通常通りだなという印象です。
私、こんなことしてます、こんなこと考えてます、これが好きです⋯自分の気持ちを自分だとわかる状態で世間に投げられるタイプって、派手な否定されたことないから、否定されたとしてもそれに気がつかないのかもしれませんね。
私はあの人が大嫌いだけど、それを言うと私が悪くなってしまうタイプの人間だからな⋯だから、研究対象としてSNSを見てるけど、私なら隠しておきたいことをポンポン載せてきて、自信があるんでしょう。それなのに、心が晴れないってなんだよ?って思うんですが⋯私はその矛盾が嫌いだけど、その矛盾を人間らしいといって愛でてくる人もいるんだろうな。そこに付け込んで本能的に落ち込んでいることもアピールしてくる。もう、その生き方がナチュラル過ぎて作り込んでいるとも自分ですら気がついてなさそうだな。そういうところはホントに羨ましいです。だけど、私はヤツみたいなタイプ、やっぱり苦手だし、好きになれないし、なりたくない。近くにいたら自分みたいなタイプが苦しむのがわかるから。だから真似しないようにまたこれからもSNSは見るんだろうな。絶対真似したくないのです。
金曜日に有休を取って連休を延ばした。皮膚科と歯医者の予定があり、古い羽毛布団を粗大ゴミに出し、雑多なものを大雑把に分けて入れていた衣装ケースを整理した。
それ以外には、新しいメガネを買いに行ったり、乃木坂のギャラリーに行ったり、いつもやりたい事や予定などを整理しているノートを使い切りそうだったので新しいのを買いに行ったりした。
蕁麻疹はまだ治らず、薬をもうひとつ追加された。ストレスなのか疲れなのか顎に吹き出物がいくつかできた。11月から毎月大きな買い物をしていて、お金が出る一方だ。
新しいメガネは来週末にできる。それを受け取った次の週は海外出張がある。1月からなかなか忙しい。来月は落ち着きたい。
お店で店員さんの感じが悪いなって思った時は、接客言葉というより態度なんですよね。
おそらく普段からの仕草・所作で「人に対しての思い」が出てしまうんでしょう。
「この人とは合わない」その直感って大体当たってます。
そういう店員さんとは関わらないが吉なんで、そっと離れていきましょう。自分じゃなくても他に相手してくれるお客さんがいるはず。
でも、感じが悪い店員さんと合うお客さんはなかなかいないでしょうけどね。
今日は歌い始めにカラオケに行ってきましたが、値段が高くてびっくり!
休日だから高いのか、このご時世で高いのかもうわからないです。
いい子ちゃんが見抜かれていくところを見ると、すっきりしてしまいます。
いい子といい子ちゃんは明確に違っていて、いい子ちゃんはよく思われるために頼まれてもいないのに優等生的なポジティブな発言をしている人のことだと私の中ては定義しています。
テレビやネットを見るだけで、優等生的で明るい人やなんらかのアピールがあるじゃないですか。自分から探しに行っているわけでもないのに目についてしまう。
ああ、私この人のいい子ちゃんぶり、苦手だなーと思っていても、その瞬間は称賛の嵐ばかりで、私の意見なんぞ放ったら叩かれること間違いないんだろうなと思うので言いません。
ただ時流が変わり、そのいい子〜と褒められていたのがいい子ちゃんだよね〜に変化していく時がある。この時、私は最高に嬉しいです。言えないけれど最高に嬉しい。
ただ、「私もそう思ってた〜」と自分の気持ちを同じ川に放流は絶対にしません。ただその川の流れを見て楽しむ。私の言った通りでしょ?声に出さない呟きを残しながら。
「私はそう思わない」も「私もそう思う」もどっちもすぐに解き放たないのが本当の自由な自分を守れるような気がするこの頃です。
それはそれ、これはこれ
この精神性が大事だな
仕訳が大事。基本が大事。
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YouTubeの10分ほどの動画も観れないで寝ちゃうのどうにかしたいと思いつつ、この入眠スタイルが心地よいのでやめたくもない。
自分のほうが明らかに暇な日のほうが多いのに、予定があわないってこと、何をしていてもどこにいても起こりますね。
まあ、しょうがないかなと今は思えるけど、昔はなんでーーー、そっちが少しは合わせなさいよぉぉなんて思ってたけど、今は合わなければ、そっか、じゃあ私はパスします〜なんて言えるから楽になったし、大人になったなとは思います。
でも、それって諦めが早くなったとも言えて、大人って微妙じゃない?とも感じますねぇ。
父方の祖母は穏やかで好きだったけど、あの父や伯母たち(父の姉)を生み出した人物でもあるんだよな⋯と思うと複雑です。
祖母の穏やかで柔和な雰囲気が好きだったけど、伯母たちは性格がキツイし、ピリピリしていたと思う。その圧を姪である私にまで放ってくるのは大人になってから改めて異常だったなと感じます。
でも、祖母は柔らかさを保っているのに、どうして?と考えて見たら、甘やかし要素みたいのはあったと思うんですよね。
時代もあったのかもしれませんが、父は最後の子どもで男だったから、甘やかされたんでしょう。姉である伯母たちもキツイながらも男を立てるように育てられ、そういった中で父と伯母というモンスターが徐々に育っていったんでしょうね。
自分が立てられるのが当たり前で育った父は、当然、子どもにもそれを求めます。最初の子どもである私は女だから、それが出来ることが当たり前だと思って接していたのが私への答えなんでしょう。
祖母は私にハサミを使わせなかったらしい。母が幼稚園に私を入れたときにハサミをその年齢まで使わせなかったことを驚かれた、おばあちゃんが使わせなかったから云々⋯なんて愚痴っていたのを思い出した。ああ、確かに過保護なのかもしれない。息子の最初の子どもだから、危ない思いはさせたくない!とか思っていたのかもしれない。私がハサミを使わなかったのを祖母のせいにしすぎる母もどうかと思うけど、基本的に祖母は過保護なんだろうと思う。そして、お膳立てをしてもらうことが当たり前の父は、そのお膳立てがあったからこそ出来た努力を自分だけの力として勘違いして生きている。
だから父となっても、自分がいい父でいられるためのお膳立てを子どもにまで求める。だから、私に苛立ち、自分がしてもらったように弟たちに接して欲しいから理不尽に怒鳴り散らすんだと。
祖母は私にとってはいい祖母ではあった。チラシで箱を一緒に作ったり、何気ない日常だけど、その箱まだ作っています。だけど、モンスターの母、であることには変わりはないなと感じるのです。