ちょっとしたカフェに入りたくても土日はこんでて諦める。
まあ、その分お金も使わないし運動にもなるから良いのだけど、ちょっと疲れるときもあって年齢を感じます。
母は味方だと思ったら敵だったということですかね?
弟たちにはこざっぱりな母さんって部分しか見せてなかったから、しんでからも好かれてるんですよね。
私にはそのこざっぱりとした部分も見せながらもネチネチとさした部分も見せてきて、父の横柄さを使って自分の横柄さや陰湿さを隠していたんだと思う。
父がもう少しまともだったら、母の負の部分も当時見えていたんだと思うけどね。父は父でわかりやすいヤバさがあったから母がマトモに見えてたのが私の中では1番の失敗だと思う。
そんな遺伝子と環境の中で育った私がマトモなわけないよなーと思いつつ、それに気がつけただけでも良かったのかもしれないと前向きのような後ろ向きのような危ういポジティブさを持って生きるしか自分には生きる術はないのかもしれないと。
やろう、やらないと、やらないとなそろそろ
まいいか、月曜から、生理おわったら、、と
どんどん先伸ばにして年越してしまった
やらないといけないこと。
二重窓にするからベッド移動して
出窓にある大量のものをどかす
簡単にできそうで、できない。やらない。
窓際が寒く無くなるのは嬉しい
夏は暑いから冬にしてって言ったのもわたしだ。はぁ。やらないと
今年はいらないと思ってたのに急にポチ袋が必要になった
ポチ袋ってぴったり買うのが難しい
毎年微妙に余って、だいたい同じ子達にあげるのにそれをまた使うのもなんだし、そうするには足りないし
割り切って毎年同じ柄か柄なしにしたら気が楽だけど、それもつまらない
今年は家にあったお気に入りのリバーシブルの折り紙で折ってみた
なかなか素敵な仕上がりになった
わたしは子どものときポチ袋かわいいと思ってとっていたけど、あの子達は袋なんて気にしないかな、そんなもんかな
私の純粋な気持ちで好きなものでも、それが流行っているかどうかで貶されないことが多かったかも?
25年前に話題の二人組みのベストアルバムが出た時に、それを好きなことで貶されることはほぼなくて、そういう心地よさはあったなと思い出してました。今もまた世間で再燃してる様子を見てもそんな感じがします。
自分の周りの人間が知らないものや、誰かが流行ってないと認定したものを自分が好きな場合、バカにされることは多かったのです。流行りものを好きだということは余計な雑念が入りにくいということだけでも有り難いのかもしれないです。
いわゆる推し活をすることによって、多くの人が認める環境を整えることはアーティストや応援する対象が潤うこともあるが、自分にも潤いを与えられるのかもしれない。
でも、流行ってるとかそれだけでは自分の心に響かないものも多いです。たまたま話題になっているものを自分も素直に好きだと思えると、好きという感情だけがあってそれ以外の変な音は拾いにくいので、その環境、羨ましいなと思った次第です。
年末の歌合戦で話題になった2人組のCDをまた引っ張り出して聴いています。25年前に買ったCDなのですが、またあの頃を思い出してしまった。いらない何も捨ててしまおうと言いながら片付けよう。
家の中でのヒエラルキーというものは外においても影響する。
兄姉が思春期まっただ中において、超最強わがまま甘やかされ末っ子として育った私。
姉兄からのヘイトを一身に受けて育った。ただ手を出されるようなことはなく、結果として「存在は無価値でヒエラルキーの最下層であり空気」という「いないもの」扱いをされることとなった。
そうして社会に出た私は「人に相手にされることはない無価値の生物である」という自己認識を無意識に持っていた。どうなったか。集団において、集団が何かを話し合っていても、そこに私が混ぜられている、という認識がひどく低い。意見を求められたり、会話を振られても、自分に振られるという選択肢が最初からないので正しい受け答えができない。だからいつもぽかんとされたり「そ、そっか、えっとじゃあ…」と他の人へとバトンが渡る。
正直、それで安心するし、私はただラジオを聞くがごとくここにいて、適当にみんなと相槌を合わせ、そこにいる振りをしているのに、私に話を振ったって何も意味のない存在であるのになぜ振るのかと心から疑問が湧き出てしまう。普通は、きっとそうじゃないんだろう。どうしてもわからない。
きっとそうなることで家族の中で心を守って生きてきたのだ。
空気として扱われた方が、私には日常的であり、幸せな日々が続くのだ。
私はきっと、外から見て不幸な家庭で育った人間なのだと、この年齢になってから気づいてしまった。
わかりたい部分だけわかりたいし、いいところだけ見て見られる距離感は大事。それが許される関係ならわざわざ知りすぎることはないと思うのです。
ネットのキャンペーンで当てたいちごメロンパン、美味しかったけど、私の年齢には重たいとも思ってしまった。
いちごメロンパンってよく考えたら、メロンどこにもないのにイチゴパンだけだと伝わらなくて、今更メロンパンに他の名前をつけても定着しないだろうし⋯でもそれが認知されたらもう永久にメロンが入ってなくてもメロンパンだから、認知させることって大事ですね。
京都慕情という曲が好き。
「京都人の密かな愉しみ」という番組でアレンジされた曲が流れていたのを聞いてからずっと好きだ。
高校生の時にこの番組と曲に出会って、結局憧れて大学生活は京都で過ごした。
春、バイト帰りの夜22時くらい、橋の上で桜を眺めながら一人酒を飲むおじさんを見て、ああドラマみたいと思ったなあ。曲を聴くとあのおじさんを思い出す。
高瀬川ではなく高野川の話。比叡山が綺麗に見えるのだ。