母は物が捨てられない。
よく親の遺品整理に呆然としているという記事をあちこちで見たが、母はその前兆がものすごい。
私の実家は高床式。
雪国によくある家の形をしている。1階はガレージ、物置。2階から上か住居。
1階にはこれでもかと捨てられないものが溜めこまれている。
そこにはよく、いらないと思って捨てたはずのものがひっそりとピックアップされて鎮座していることがあった。
捨ててほしいものが、私の中で不穏分子やノイズと言っても過言ではないものたちが、母にはお宝のように映るらしいのだ。
物のない時代に育った人の弊害だろうか。
もったいない、の精神はわかるが、現実を見てほしい。まだ着るよ!と言って持って行った服が着られているところを見たことがない。母は縫製の仕事をしていたので袖丈を詰めるなんてお手の物だが、ただ単に縫製作業が好きなだけで「着られるように蘇らせた!」という実績をアンロックしたいがためだ。どれだけアンロックしたいのか。アンロックするにしても、人が視界から消したいものまでリブートしなくていい。
いつからか、捨てるときは完膚なきまでにズタズタにし、割れるものは割り、家電はコードをぶった切り、再起不能にしてから捨てるようになった。原型をとどめているものがあれば、逐一「これはもう嫌な思い出しかないので」と断るようになった。そうでなければ家の中で要らないものがなくならない。
物がない時代は知らない。
物のある時代に適応し、物を少なく持ち、いかに自分が自分にフィットする一番良いものを持てるのか、そこに今はステータスがあるように思う。
まだ使える、ではなく、いま自分にこれはぴったりと来るものかどうか、なのだ。
いつか使う、ではなく、いま使ったらどれだけ生活の質と心が豊かになるか、なのだ。
悲しいかな、母にはそれが通じない。
蛇足だが、数年前に突然「整理を進めているの!」と母が言い出したことがあったが、1階の物置の中で真っ先に捨てると言い出したのは姉兄私の子供時代の写真だった。
母には深い闇があると気づいたのは最近だ。