2024.07.11Thu
非表示 11:23

久しぶりに鯨の刺身肉が手に入った。
…となればユッケでしょう!ってんでユッケにして食べた。
めちゃうまでしたわ…
鯨肉は割と火を通したものを食べることが多くて、生食したのは実は初めてかもしれない。
食べてみた感想としては、マグロと牛の間の食感、馬刺しに近いかな?
臭みもなくてとても食べやすい。食材としてはとても優秀だなと思う。
たまたま食べられたけど、今後も食べられるのかな?
もっと頻繁に食べたいと思ったけど、外国では言えないね。


非表示 07:19

人に優しくしたり、親切にしたりする事は、別に他人に良く思われる為ではなくて、自分の人生を快適に過ごす為の環境を整えている事なんだ。それは自分の部屋の掃除を常にして快適にするのと同じように、自分の人生の為にする事。他人の為に親切にするって言うのは、そもそもその人が本心でどう受けとってくれたかなんてわからないのだから、親切にしてあげたなんて、自分勝手な思い込みになってしまう。偽善であったかどうかは、受け取り側の見えない気持ちの問題なのだから。誰もが自分の人生の掃除や整理整頓を自分の為にやれば、周り回って世の中全体が快適になるはず、なんだ。


非表示 05:43

20年使っている時計を修理に出している。20年前の自分にとっては高い買い物だったな。でも、自分で買ったから20年間使えたんだと思う。長く付き合っていきたいものは自分で買うのが正解ですね。


非表示 05:22

某所にて、文句ばかり垂れ流してるあの人って、私の母に似てるかもなって思う。ウチの母も強めの口調で何かしら文句ばかり言ってて、自分が正しいのオーラは今考えるシンドかった。
誰しも不満に思うことは何かしらあるにせよ口を開けば文句ばかりで、そういう性質が私にも染み付いちゃって、自分もそういうタイプの人間だったこともあったように思う。今は母と離れてそういう自分がいたんだと思えるようになって少しは救われている部分はある。
時には友達のように愚痴られ、時には子どものように扱われてると自分の脳が混乱するというか、一貫性がないからこちらもどういう態度で接していいか深いところでは迷っていたのかもしれない。
友達のように…と書いたけど、時には私の不満を弟たちに愚痴ってたんだろうなって感じる。そこがまず友達のようではないんだけどね。愚痴を聞いてくれるありがたい友達の愚痴を他の友達には普通は言わない。(時々そういうタイプもいるかもしれないけど)本人は使いわけて上手くやっていたつもりかもしれないけど、そういうのってどこかで綻びが出てわかっちゃうから。
そんなことをしつつ、時には母としての顔をドヤドヤさせて嫌味などを言うからシンドかった。なんだかんだ仲は悪くないとは思ってたけど、私本当はシンドかったんだなって感じる。遅れてきた毒みたいに今効いてる。毒成分に気がついたからなんとか対応出来てるけど。
こんなこともあったかなー?私がバイトの人とこんな話をして〜という話題を出したら「バイト先に話す人いるんだ?」って返されたことがある。あの辛辣な態度なんだったんだろう?と思うけど、愚痴などは言えるけど下に見てる友達に他の友達がいる思うとムカツクみたいな心理かな?あのピシャリと言い放った感じ、空気が凍ったからよく覚えてる。
やっぱり毒だよね。一発では致命傷にならないけど、本当にじわじわ効いてくるタイプの。もう何年も経ってるのに恐ろしいことだなって思う。まだ母がいたら昔の毒が効いてる最中にさらに毒を入れられてたのかと思うと恐ろしい。私は自由になった。だけど、何かのキッカケでやっぱり毒成分が抜けてないのは実感する。そうやって生きていかなきゃならないけど、せめて私はあの人のようにはなりたくないな。

2024.07.10Wed
非表示 20:03

そうか、もしかするとずっと昔から、自分達は国の指導者でなく、国の支配者を選んでしまっていたのかもしれないな。


非表示 19:58

自分の予定より他人との予定を優先すべきなんて決まりはどこにもないんよ(仕事とか大事な局面は別だけど)
先にスケジュール帳に書き込んだ方が優先
たとえ散歩や昼寝であっても予定は予定
他人に見てもらうために人生生きてるわけじゃないし
まず守るべきは自分との約束


非表示 19:53

よくわからないのは、世界中の指導者がいるのに、いざこざがあって人が亡くなっていくと言う事。例えば、国民同士が争っていて仲裁役で指導者が出てくるならわかるけど、何で指導者、もしくは指導者同士で争いをはじめてそれに国民が巻き込まれていくのかと。だから、世界中から指導者を無くして世界がまわる仕組みがあれば、だいぶ平和な世の中になるんじゃないかと思ってしまう。


非表示 05:52

今週はご飯支度をほぼしなくていいので嬉しいです。
なんかそれだけで自由だし、ラッキーだと思えて良いです。


非表示 05:50

「私は勉強が出来なくともどうにかなった」
「私は努力してここまで来たの!」
この2つのセリフって違うようだけど、相手に準強制的な感覚を与えているという点では一緒だと思う。
ウチは前者のセリフというか、同等の意味をなす言動を親からされていたので、キツかったなー
この手のタイプ、勉強を強制していないし、子どもの意思を尊重しているいい親って自分の中で変換されてるから手に負えない。
一方で、後者のタイプもなかなかだなーって思う。自分がした努力はみんな出来るのが当たり前で、それをしなかった人、結果を出せなかった人を見下しているというか。
環境やレベルは様々だということを理解していないし、理解しないことで自分の位置を保っている感はあるよね。だから、私が前者のような環境で育って、努力するという感覚や、努力をしようとしても阻まれるという世界があるということを知らないんだよね。
勉強が出来なくてもどうにかなる人もいるだろうし、努力して色々手に入る道もあるだろうけど、それは自分だけのもので他人は同じじゃないんだよね。それだけわかっていたら上記のようなセリフを絶対に出ないんだろうと思う。

2024.07.09Tue
非表示 14:29

例えば、熱中症対策に対するエアコン補助金とか地域の人から市や県に要望をあげて、それを国が吸い上げて逐次予算を落とすような、現場でないとわからない予算はスタートを個人から始まるボトムアップ式にしたらどうなんだろう。

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