人類や民族の存続なんて壮大な事を常に考えながら生きている人は、ほぼいないんじゃないのかな。個人の人生の点が種族の歴史の線になっていくのだから、まるで何も考えない極端さは置いといても、少なくとも今この時点でこの世界に存在している人と上手くやっていく事だけを積み上げていけば、その連続の点が壮大な人類の未来の良い方向に繋がる線になると思うけれども。個人は刹那、刹那にしか生きられないのだし。
フィナンシェの軽い口当たりだけど密集感もある生地。この矛盾感が美味しい。美味しいフィナンシェって1つの個体に矛盾が詰まってるんだよね。そんなフィナンシェのようになりたいです。
例えば、高校生や大学生ときにリアルタイムで親から「お金かかってるんだから!」とか、その他お金を払っているからといってひどい言動をしてきた親にはお金を払ってくれたことをじんわり感謝しなくてもいいと思う。
学生時代から20年は過ぎてるけど、過ぎたこそ感じることがある。大人になって学費やそれに付随する金額がどれだけ高価だったかということは身に沁みてわかるのだが、それでもひどい言動をされたことで相殺されちゃって感謝が深くならないというか。
大人になって改めて親に深い感謝が出来ている人って、いい意味でほっとかれてるけど、ほっとく場所をちゃんと温めてもらっていた人なんだよなって感じる。
今思えば、ウチの親は最低限しかしていない。その最低限だって大変なことは数値として見ればスゴイことなのだが…でも、その最低限の対価で子どもを傷つけてきたんだなと思うとやっぱり表面的な感謝しか出来ないんです。
よそはよそ、うちはうち。なんてよく言うけれど、どうしてもその“よそ”が目に入ってくるんです。うちはうちって本当の意味で理解するにはうちの親は色々足りてないなって。最低限だとしてもきっと深い感謝をしている”よそ“もたくさんあるんだろうな。それはきっとお金以外の何かでしょう。
明日から仕事だな。
寝ないとね。
でも、目が覚めてしまった。
眠いのピークは17時だった。
うとうとして、そのまま眠りたかった。
起きてしまった。
何年働いても、明日が楽しみ!という日はない。
明日が休みなら、それはあるのだが。
好きなことを仕事にしていないからか、そもそも仕事が好きじゃないからか。
寝ないとね。
私の中高はセーラー服だったのです春夏は白と茶色、秋冬は紺色と茶色の。それが制服。
けれどそのほかに準服というのがあって、ポロシャツとチェックのスカートでした。あとは紺色カーディガンで。
式典の時は制服で、みたいなのはあったけれど夏はラクだった。セーラー服て、結構暑いのよねあれ
さっきニュースで高校男子もポロシャツとハーフパンツってあって絶対その方が涼しくていいよね
ユニクロ制服とかもあったりして、女子もパンツルック選べたり。多様性の時代!
主婦の体験談的な漫画読んでたら「麦茶地獄」の話題があがってた。
麦茶ね…ある時期、とてつもなく毎日何リットルも作らないといけない時があるんですよね…。
子供が学校に毎日持参するので。運動部なんかに所属したらもう大変。ガロン単位で作る羽目になります。
そんな時、申し訳ないが、夫の麦茶の飲み方がめちゃめちゃ迷惑になったりするんですよ。
大人なのでガブ飲みはたまにしかしないけど、子供のために確保してた分を想定外に飲まれたり、飲み散らかしてほぼカラの状態の麦茶ポットを冷やすとこに入れっぱなしで教えてくれなかったり。
自分で補充してくれるならご自由にと言いたいけど、勝手に飲んで減りのペース乱して、申告なしが1番困る。
それを平気でする人は基本的に悪いと思ってないから何度言ってもやるんですよね。
麦茶、すぐ作れる訳じゃないから困るんですよ。いや、確かに簡単に作れるけど、麦茶として飲めるのに1時間以上かかるから、朝ないのに気付くとパニックになります。
最近は溶かすだけ麦茶もあるけどコスパ良くないですからね。
って悩み、我が家だけかと思ってたら、漫画になるくらいにはあるあるなの?と思ってしまった。
小さい思いやりなんですけどね。自分だって一杯分の麦茶なかったら麦茶ないよ、作っといてよとか言うくせに、人がそういう状態になったら困るという想像力もないのかと脱力する。
とうとう嫌になって子ども達が大きくなったらみんな各自麦茶確保しなって、麦茶地獄から解放してもらった。今は飲みたい人が飲みたい分、飲みたいように作る事になってる。
子どもからは文句出てないし作ってる。夫はペットボトル買ってるらしい。
文句言われたけど知らんぷり。それくらいやってよとか言われたから「それくらい」なんだから自分でやれと言っといた。
夏になると思い出す、しょっぱい思い出。
一人の時間はやっぱり好きだな。今すっごくホッとしている。
お昼は何を食べようか。自分だけだと食べなくてもいいわけだから、それも含めて全部自由。
誰かに刺激されたくない。自分の心を大切にしたいのにそれが難しい世の中だよね。刺激は必要じゃないタイプ〜
ずっとエアコンつけてたけど、ベランダに出たら外のほうが涼しかったから久しぶりに窓開けました。換気、換気
ネットを流し見して見つけた記事にてある有名人の方の話。引きこもっていたときは無駄だったと自分で言ってるのに「でもその時間があったから現在があるんですよね?」と持っていかれる。綺麗な着地点に落ち着かないと人は過去を納得出来なくなっているのでは?と言った内容でした。ちょっとニュアンスが違ったらすいません。
なんかこれ、すごくしっくり来ました。それがあったから現在がある。ってそれはそうなんですけど、それがないならないほうが良かったよねって事のほうが実は多かったりするよね?なんて思いますし。あれは無駄だった!次!くらいのほうが清い気がします。
綺麗な着地点で納得出来る人はそれでいいと思いますが、私は無駄なものは無駄だったとちゃんと言っていたいなって思います。綺麗じゃないものを無理矢理に綺麗にしてもまっさらな美しさじゃない違和感。その違和感は違和感のままでいいし、そもそも綺麗にしなくていい。邪魔だった。無駄だった。最悪だった。不要だった。こんな言葉で終わらせるのが正しいときもありますね。やっぱり。久しぶりに自分にフィットする言葉に出会えたので嬉しかったです。