結果としての均等性だけに囚われ、個人のニーズを無視した平等主義にはいささか疑問を覚える。
例えば、全員にトマトを5個ずつ均等に分配するというルールがあったとする。トマトが嫌いな私にとって、その分配は恩恵ではなくただの負担でしかない。そこで私が「0個」を選択したとしても、それを不平等だとは全く思わないし、むしろその辞退を認めてもらう方がよほど合理的だ。
しかし現実には、形式的な平等を守るために選択の余地なく押し付けられるケースが多すぎる。求めているのは、数値化できる表面的な平等ではなく、個々の違いを前提とした不可視の公平性だ。トマトを辞退したからといって、その等価物(例えば現金)を要求するつもりもない。自分の意思でじゃがいもを5個買い、それで自ら帳尻を合わせられるような、そんな多様性を前提とした社会のなかで生きていきたい。
欲しいものは、私が欲しいと言ったときにくれるのが一番嬉しいです。
そういうことをいつも考えてます。
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冗談だよ〜
と言って、ひどいことたくさん言われてきたなー
あれは毒の親。
うちの親っていじめとかしてたタイプだと思う。
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こんな季節にマフラーを買いました。
今日それが届きます。
色々割引でお得だった。
本格的な夏はまだだけど、暑いより寒いほうがマシなので早くマフラー使いたいです。
〘いい大人だし、ガチガチに厳しいのはシンプルに疲れる。でも、やるべきことはサボらずきっちり片付ける主義。目指すは、サボり魔にはならず、かといって無理もしない『持続可能な面倒臭がり』。これくらいのいい塩梅で、ゆるりと生きていきたい。〙
7年前の自分はこんなようなことを言ってたみたい。
やるべきことはサボらずなんて言ってるけど、やるべきことって総じて面倒なんだよなーと昔の自分にツッコミを。
持続可能な面倒臭がりをこれからも目指すのは同意。
会話は投資みたいだなと。
ハイリスクハイリターンな会話はうまくいけば利益になるけど、
元本割ればかりしてるような気がする。
ワンコールだけして着信履歴を残すコミュニケーションをかれこれ25年前にやっていた。今だったらかけ直すか、ウザいなって思うだろうな。
どれだけ自己中心的でも、それを使って自分がどれだけ控え目で他人を慮ることが出来るかをアピール出来た人間がなんだかんだで最強なのかもしれない。
養殖の謙虚人間⋯これが周りにいると一番大変だけどね。
大好きだー…
疲れた。
まだまだ好きだったな。
これもまた、内面に気が向いている証拠だろう。
幼少期のころのトラウマと同じ棚にしまわれそうになっているが、それを拒みたい。
自分に非があったなと思う。
毎日話してたとき、日に日につらくなってたもん。
それを相手のせいにしてたな。
自分が乗り越えるべき壁だった。
あー。もうやめよう。
ラーメンに入ってるひき肉、美味しいけど、すくえなくてもったいないなーっていつも思ってます。
スープ全部のむのも気が引けるし⋯
ああどうしたらいいのか