オリンピックを今回はTVer中心に見てる。
BSで見たら日本人中心に日本語解説のものが見られるんだけど、今の家は今どきBSが普通のアンテナだけでは見れないので、BSは視聴出来ない。
苦肉の策で見始めたTVerのLive配信。解説は英語で殆ど分からないし、日本の試合はあまり見られないんだけど、新しい楽しみもある。
その時にやってる気になるLive見てて、ハンドボールの面白さを知った。
未だにあんましルールに明るくはないんだけど、迫力とスピード感があって単純に見てて楽しい。
ドッジボールガチ勢だった昔を思い出すボール捌き。バスケっぽい縦横無尽の攻防。
そういや昔、体育でやった時、唯一何となくいい感じにできた球技がハンドボールだったななんて思い出した。
ハンドボールはなかなか見られないだろうから今後もTVerで観戦しよう。
慣れると単語である程度状況分かるし、勝手なアテレコして楽しんでる。
幸せの増幅の仕方を知ってる。
感情は怒りや悲しみも喜びも嬉しさも他人に伝播するもの。
だから、昔から幸せのお裾分けって言ったりするように、自分が幸せになったら他の人にも分けてその人が幸せな気持ちになったらその気持ちが自分にかえってきて、幸せな気持ちが増えていくわけ。
これをどんどん色んな人にして沢山の人を雪だるま作りのように巻き込んいくと、台風のような幸せの大きな渦ができるんだ。
ひとりで幸せを抱えても、たぶんしばらくすると慣れて普通に感じて、気持ちは萎んでいってしまうから、大きく長持ちさせたいならこの方法がいいと思う。
頑張れないなと思って、急遽 休暇申請した。
ひとりでぼーっと過ごし、少し平穏を取り戻せたつもりだった。
この土日、なにもせずにいた。
今とてもかなしい。
心の持っていき方がわからない。
行くしかないし、踏ん張るしかない。
それだけのことが私には難しい。
昨日の夜、娘達と夜の川に足を浸しながらアイス食べるという夕涼みしてきた。
川沿いの道を歩いてコンビニまで行って、川に降りるために階段状になった所に座って川に足をつけてみた。
足湯みたいな感じで川遊び? 遊んでもないな。アイス食べてのんびりしただけなので。
昼間は水遊びの家族や子供達で賑わう川だけど、夜はランナーや散歩の人、私達みたいに階段に座って涼んでる人達がいて、みんな思い思いに川と生活してるんだなと感じた。
川横の道はそこを歩くと何となく楽しくて、同じ距離歩く時はわざわざ川道を通る時もある。
子どもが生まれてから、たまたまなんだけど景観のいい川のそばに住み続けてるなと気付いた。
割と子どもと川に行ってるなと思った。
この時期、疲れ出てくるよね〜
ひとりになりたい症候群みたいになってる。
頭痛薬は早めに飲むのがオススメ。
子が問題集が欲しいから買ってと言ってきた。なのでネットですぐに購入した。
私はこの一連の流れで自分は問題集が欲しいから買ってと素直に言えなかったなと思い出した。中学生のときはやる気がなく問題集を買ってというあまり機会はなかったのだけど、高校生、大学生になるにつれて自分の意識は変わったところがあって、何か勉強したいときや検定を受けたいときなど、自分のお金で払っていたことも多かったなって。親に払ってもらうのは本当に厳選したもので。
確かに高いし、ある検定も何度か受けたりしたから何度も払ってもらうのが申し訳ないというよりは、何度も払ってもらえば文句を言われるから自分で払っていたという感覚が正しい。
これをもし親が読んだとしたら、払ってあげてたのにそういうことを言うんだ!と怒りだしたかもしれない。そう、払ってもらっていたのはその一部だよと。
その一部には感謝しつつ、その他、自分で賄ったところは自身を褒めたいなーって思う。
自分がこんなことがあったからといって、子どもに対して甘い!とは思わない。問題集2000円くらいで将来、負の思い出が出来ないのであれば安いと思う。
やってあげた、買ってあげた、お金出してあげた…って少しでも思うと、それが言動に出てしまう。うちの親はそうだったから。私もその遺伝子を持っているってことは常に忘れないようにしないと。
〜してあげたって事実は、何かを相手にした瞬間に忘れるべきなんだろうなって思う。そうしないと、してあげたのに、してあげたから、とずっと思い思われるってツライ。相手にした何かはすぐ忘れましょう。
大きく心が動いた。
とてもショックを受けるような経験をした。
面白いのが、このショックというのが、望んでいたものを奪われたとか、何かを失ったとか、実際に何かが私の現実から消え去ったわけではない。
私はいつも何かに執着して、それとの別れで大きな悲しみを経験するたちだった。人とかのみならず、物とかでも当てはまる。
もし奪われたものがあるとすれば、希望が奪われたようだった。
ああなったら、こうなったら。
そう思っていたところに、現実が表れた。
私は希望を抱いていたにすぎなかった。それは現実ではなかった。
現実の中でできていないことがたくさんあった。
もっといいものを持っている人がいた。
私が希望だと思っていたものは、大したものではなかったのかな、と思えるような出来事だった。追い打ちをかけるように、絶望的な情報ばかりが眼前へと集められた。
私の未来はしょうもないのかな、なにもできていないのかな、私にできることなんて、なにもないのかな。一生不幸なのかな、一生不公平だと思い続けるのかな。
何とか立て直そうとする。
立て直せたかと思えると、またそれを折りにやってくる。
夢も希望も目標も、そうやってどうでもよくなった。
それでも今日決めていた、やるべきことはしっかりとこなした。
人に私の絶望を当てるような真似もしていない。
もうそれだけで、今日は立派だと思いたい。
でも、虚無感だけがやっぱり胸の中に広がる。
猫と暮らしている。
わたしは、自分が太ったこと、それに歯止めがきいていないことに悩んでいるが(我慢しろよ、ダイエットしろよ、ですよね。)、
うちの猫、私が太ろうが痩せようが、私の臭いがそんなに変わらず、私の情緒が落ち着いていれば、それでいいのだろうなと思う。
私は体臭はあまりない方だと思うけれど、やはり環境やストレスや体調や食生活で変動するものだと思う。
だから、そんなに変わらずにいれたらいいなと思う。
猫が私を認識してくれてるにおいのままでいたい。
なんでこんなに太るのだろね。
食べることがやめられない。
わたし、しあわせじゃないのかな。
オリンピックはこっち側はなんだかんだ言っても所詮見ているだけなんだから、選手がつらい気持ちなら励ましの言葉で、悔しい気持ちのちょっとだけでも一緒に背負ってあげて、少し軽くしてあげればいいのに。べつに何も減る物ないんだし。
あの時に食べたアイスクリームなんだっけ?もう一回食べてみようと思って探してみたら、日本ではもう撤退してたみたい。食べたことあるのに味を覚えていないってなんかもったいない。