2024.08.09Fri
非表示 05:57

大きな地震が起こるかもしれない…なんて言われているけど、自分で出来る備えは出来る範囲でやれるけど、1番出来ないなって思っている備えが、助け合うための人脈かな?
こればかりは本当にやろうと思っても出来ないし、やろうとするとシンドイ。
何かあったら助け合いために普段から仲良くするって考え方が出来ないのです。仲良くしたいから仲良くするって単純さでしか生きられない。
だけど、どこにいっても人脈を増やすためにが1番先頭に来て動いている人がいるから、ある意味感心するけど虚しくないのかな?とも思ったりもする。
だいたい、私はそういう人の脈から弾かれる。わかりやすく言えば、”使えない“のだ。使われたいとも思わないけど、あの肌で感じる“使えない”という空気。家庭でも外でも味わってきたからよくわかる。
使えないから使わない。ただそれだけ。ほとんど使わないのに絶対入ってしまっている色鉛筆の白のような存在とでも言っておこうか。だからといって黒の画用紙があっても、いざとなったら折れたり発色しなかったりで使えないのが私。
だけど、すり減らないで済む。誰かの都合で減ることのない生き方はちょっといいんじゃないかとも思うのです。
いざというときは自分のために自分をすり減らすのが、人脈じゃなく自分脈なんじゃないかと。そんな備えはしていきたいかな。地震こなければいいけどね。


非表示 00:21

ああ、お酒飲んでる時だけが幸せ。難しいこと考えられなくなる。
夜、横になって脱力している時だけが幸せ。体力がなくて疲れてしまう。
子供時代、両親が夜はトドのように転がっているのを見て、起きて違うことした方がストレス発散になるのになんて思ってた。
わかるようになった。もう体力も気力もない。
わかるようになってしまった。

2024.08.08Thu
非表示 15:48

ベランダにてセミ爆弾に襲われました…
油断してるといるから皆さんもお気をつけてお過ごしください。
とりあえず効果あるかわからないけどハッカ油スプレーを撒きました。


非表示 07:27

TikTokやYoutubeやSNSは、それに夢中の人にこの人間社会の中にもう一回り小さい閉じた世界を作ったのが、今のカルチャーだろう。だから、今まで通りのこの人間社会で生きてる人間から見ると、いわゆるインフルエンサーが出す物が、昔の物の焼き直しだったり、こじんまりしていて面白さにピンとこなかったりする場合がある。でも、TikTokならTikTokで見たこともない事柄は新しい物で、バズるはその世界で成立していれば充分という事になった。だから、外側の今までの人間社会に出した所で上手くはいかない、そういうカルチャーに世界は変わったのだ。この人間世界が内包した、その分裂したその世界で生きる人が増えたと言うことだ。
これは、フラクタルのように人間社会の価値観客観的に観察する良い機会だ。この大枠の今までの人間社会で良いと思っている事、凄いと言われてる事を再確認してみよう。例えば、人間社会の外側は自然界だが、科学技術が凄いと言っても、結局のところ自然界の住人の動物達が狙ってくるのは作物や寒さや暑さから凌げる場所だったり。人間社会内でしか通用しない物にこの世界の絶対性を重ね合わせてないか、それを再考するには良い機会だ。


非表示 05:49

うわ〜って思う人の視点で色々表現してみると、本当にうわ〜ってなるものが出来上がって自分で表現したものじゃないみたいだなって思った。
その人の気持ちわかるかな?なんてことはなくて、思考回路はわかったけど共感って出来ないなって改めて感じました。


あの人の視点で

非表示 05:43

今日はホテルにステイ。前から行きたかったホテル思いきって予約したー!

そんな場所にはこだわりの髪型ということで、クールなショートヘアでクシャッと笑う大人の可愛さみたいのが出せたらいいな〜
大人って工夫が必要だなって思う。昭和を背負った女40代だけど、キリっと工夫で乗り切るんだ〜

婚活もまあまあ。きちんとドレスアップして、でも堅苦しくない大人のオシャレ感。こういうの大事。 

前はさ〜そろそろきちんと恋愛しようって思っていたけど、人と話す場所が必要だなってことで、婚活もその一部かなって。

あるところで、婚活をやめちゃったみたいだけど、その友達が好き〜そういうの面倒くさがってるところが好き〜って言っている人がいたから、それはズバッと言ってやった。「そういうところ友達を見下してるって気付かれてるよ?」って。顔も何もわからない人だけど、着飾って大人の雰囲気頑張って出してる私を否定された気になっちゃった。外では大人しそうって思われてるけど、こういうときは昭和の風をまとった女なんでね、はっきり言ってやりましたわ。えへん。

ポッドキャストで「人と話したいから、仲良くなりたいという目的が先にくると上手くいかない、例えば人と出会うためにスポーツ始めるとかね。スポーツやりたいから始めるを前にしないと本当の意味で仲は深まらないよね〜」

これ、聞いて、私ギクッとしましたわ。確かに婚活もバドミントンも人との交流が前に来てましたわ。

言いたいことをイザとなったら顔も知らない人にも言えちゃう私だけど、やっぱり人との交流はしたくてね。人間関係では上手くいかないことも多いけど、着飾って工夫して大人の女性だから!

あの人の視点や脳内はこんな感じなんだろうな。大掃除したときに、チラッと見えちゃう言葉がこんな感じ。
内容じゃなく単語に反応してるところを巧みに使ってみました。

2024.08.07Wed
非表示 22:45

盗まれた自転車が帰ってきた?
帰って来たと言うか、なくなった駐輪場の別の場所に停めてあるのを発見した。
何故か現場に帰ってくる気がしていて、もう一度は確認したくて行ってみたらあったのだ。
どゆこと???

盗まれた日、私は駐輪場全体を3周以上見て回ったし、小径の無くした色の物を重点的に見て回った。絶対無かったはず。
そもそも間違えても定期契約駐輪場になんて停めない。ましてやそれがデカデカと書かれたステッカー前になんて絶対停めない。
そんな場所にポツンと普通に鍵がかかった状態で停めてあった。
延滞料金からして当日か翌日からそこにあったみたい。
マジで何で??

ここまで変だと自分が見て回ったのに落ち度があったみたいじゃないか…
一人相撲? 誤認?
よく分からないけどとりあえず自転車は無傷で帰って来た。良かった。警察にも行って手続きした。
何故か買った時からあった嫌な予感はなくなった。ずっと馴染まなかったよそ行き気分が落ち着いてやっと自分の自転車感が出来てきた。厄落としになったのかな??


非表示 22:26

まず、オリンピックはスポーツの祭典という事。そして、日本国内や国内の流派の世界大会ではなく、世界的には柔道はスポーツでありながら武道の精神性を引き継ぐもので、オリンピックの柔道は武道精神を重んじてはいるけど、どちらかといえばスポーツに振っていると言う事なんだろう。だから、幾ら日本の伝統を叫んでも、各国の柔道の総合的ニュアンスの方が強いからスポーツよりになる。どうしても、完全に武道を重んじてやりたいなら、日本主導での伝統を強く出した柔道の大会をするのがいいんだろうな。

当然の事だけど、オリンピックで金メダルは公の場で世界一になるって言う事だ。テレビとかでメダル取りましたって言うと簡単に取れそうな雰囲気がしてしまうけど、まず想像してみよう。
自分の得意な事、好きな事で世界一を目指すとして、ライバルは国内に沢山いてそのトップになってから、世界中のもっと沢山のライバルに打ち勝ってトップになる為に、4年間毎日ずっとどれだけの努力しないといけないか、どれだけ色々な物を犠牲にしてまで取り組まないといけないか。そのロードマップを想像してみよう。
たぶん並大抵の事じゃ想像できないだろうな。そして、その努力が実った時、あとちょっとで逃した時の自分の悔しさを想像してみよう。現実は想像の何倍も大変で何倍も心に響くものなんだから、多少は選手の気持ちに近づけるかもしれないな。


非表示 07:03

散々世間でやめとこって言ってんのにまだやってるのいるんだな。選手は誰彼関係なく文句言ってきたら謝るのしなくていいって。エンタメの人でないし、頑張ってる人を見て勝手に応援してるのが、ファンなんだから。文句言ってきたら、だから何?あんた誰?どんな関係?くらいの堂々としたスタンスでいいと思うけどな。自分が自分の為にはじめた自分自身で全責任負う自分の人生の事に、なんで匿名で身元も不明のどこぞのオッサンみたいなのに親切にも謝る、素朴すぎるよ。
SNSのみんながファンを集め大事にしないとみたいな、お客様は神様ですの勘違いをデジタルでも個人個人がやってるは、ほんとしょうもないからやめよう。
誰だよ、おまえ で十分な返事だよ。
屈折した優しさと甘やかしはいらないな。


綺麗な森

非表示 05:31

先行で投稿したように、遡って自分にとっていらないものを処分しました。ここではそのことを比喩的に木を伐採と表現します。
遡るのは時々やっていて、自分の言葉も含めて改めて振り返ると面白いのです。
しかしながら、そんな多様な言の葉の中に気に入らないものもやっぱりあるわけです。ただ、だいたいの人が直接「それ気に入らないわ!」と言わないで、それぞれがそれぞれの木を自生させているような森のような感覚の空間だったのです。
でも、1本の木に「あんたの植樹した木が気に入らない!」と言われてから、私もそれを言ってきた木が嫌になりました。同じ空間で自生したくないなって。なので、遡りという散歩に出たときに見つけ次第、伐採しております。
「植えた人が同じだってわかるの?同じ木だってわかるの?」と思われそうですが、だいたいそういうのはわかります。葉の開き方、枝の分かれ方、根元の状態などで同じ木だなってわかるんですよ。だから、見つけ次第容赦なく伐採します。
面白いのが、その人の植えた木に私自身がいいねって思っていたんですよね。それがなんだか悔しいような可笑しいような変な気分でした。気にいらない!と言われる前は、葉が長くて歪な形だとしても、それを自分なりに理解出来る形に整えて、一部でも共感出来たら共感してたんだと思います。根元が腐った木だとしても自分もそういう気持ちは理解出来るとか‥我ながら優しいな‥
でも、一度土壌を踏みにじられたら容赦ないのもまた自分らしいって思いました。見つけ次第、次から次へと伐採。
それでいいんだと思います。放置しておけばとも思われるかもしれないけど、残しておいたら自分に倒木してきたら危険なので。他の人にそれを強要はしないけど、自分が危険だと思ったものは誰がなんと言おうと危険なのです。
最近は歪で長いだけで植えた途端から枯れてるような根元が腐敗した木は見ないのが嬉しい。このまま植樹をやめてくれたら私にとって綺麗な森になるのでしょう。

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