自分のことをケチだとも思いますが、誰かからケチ!と言われるのは嫌なんですよね。
ケチ!って言われるのって、その言った人が自分に利益がなかったから言うんですもんね。
昔、父が私にケチ!って言ったことがあるんですが、母の日のプレゼントのお金を出し渋ったから言われてしまいました。私は私で既に用意していたので父が企画していたほうにはお金を出さないって思ったんですけど、ケチだそうです。
大人になった時なら自分で用意していても500円くらいなら出すんですけど、子どものときの話なので⋯500円よりは高いプレゼントを用意していたんで、断ったのは、普通かなと思います。
でも父が用意したプレゼント、母はよろこんでなかったんですよね。切り花じゃなく土から根の張ってる花でした。父がなぜ気軽な切り花よりも鉢タイプにしたのかは会社の斡旋なんですよね。会社の売り上げに協力するためにそれを買っただけで。
私はこの父の精神のほうが断然ケチだと思うんですよね。プレゼントに見せかけて別の思惑がある。こっちの精神のほうが絶対ケチだなって思うのでマネしたくないです。売り上げに協力したいなら売り上げに協力するという目的しか果たしちゃいけないと思うのです。
そういう他の思惑って、いつかは誰かにバレてケチな人という認定がされていく。私は父に「そっちのほうがケチだ」とは言わなかったから偉いなって思います。
私の育った環境って精神がケチになりやすいなって今改めて思います。学費払ってやってるから何を言ってもいいって雰囲気が両親からあったのも、精神がケチだからなんでしょうね。そこに住んでて、その精神を浴びせられた私もきっとケチです。だけど、誰かからケチって絶対に言われたくない。ケチって言ったほうがケチなのです。
もう長らくクリスマスツリーを飾ってなかったんだけど、今年ふとIKEAで売ってた木製のツリーを買って来た。
ツリーと言っても、折り畳み可能な木の形をしたハンガー?みたいな感じの壁掛けのデコレーションベースなんですけど。
毎年、オーナメント見て可愛いな、まあツリー出さないから関係ないけど…って指咥えて見てたのを今年は飾れる!と思ってたんだが。
いざ買うとなると欲しい感じのものの値段と見た目の折り合いが付かなくて、結局買ってなかった。終わってから片付ける事や、保管とか考えるとあんまり嵩張るのも困るなとか。
でも、今日こそ飾ろうと思ってショッピングモールに行って店のディスプレイ見ててふと閃いた。
そうだ、消え物買おう!と。
早速KALDIに行って、クリスマスデコレーションされたお菓子を買って来た。
それ以外は適当にseriaで買って、「終わったら食べられるデコレーション」出来上がり!
クリスマスのアイシングクッキーが可愛かったのでそれと、デコレーションチョコレートとか、適当に紐つけてオーナメントにしてみた。
クリスマス後のおやつが楽しみ。なかなかワクワクした。
仕事に対する感覚が違っていてちょっと困っている。
店の商品にベッドがある。脚の長さを変えられる仕様なので客にはどれを選ぶか指定してもらわないといけない。それを迷う客がいた。
いま持っているベッドの高さがわからないと。
ああ、じゃあ決めてから来てと思って話を終わろうとしたら先輩から、お客様にまた話をしてもらうのは悪いからきちんと話した内容をメモ(PCで作る)して渡してくださいと言われた。
それを持ってきてもらえば応対の時間は短縮できると。
個人的には「はい?」である。
先に説明しておくと、その相手がいつ再来店するかわからない。
プラス、そのメモの控えをどこに置くのか、いつまで管理するのか、明確なルールがないのだ。
管理場所は?
いつまで?
もし来なかったら?
聞いても先輩はきょとんとして答えなかった。アホだと思った。
まさかそんなふんわりとした、自分以外が管理できない書類を、膨大な資料で日々辟易している職場でやるなんて。応対の時間は短縮できるかもしれないけど、絶対来るかわからない客のメモなど残す必要なんてない。
客がしっかりとどの商品であるかきちんと言えればいいのだ。そして脚の長さしかり。
決めずして話を預かるのはおかしいと思った。
書類は必要である場合にデータとして、紙として残す。
そしてその管理体制を決めずして、その辺のメモと同じ感覚で増やすべきじゃない。だって自分が24h365日いるわけじゃないんだから。他人もわかるように、はわかるけど、いつまで残すか、の明確なルールのないものを残すのは無用なものを増やすだけだ。
無駄な仕事だ。
それを彼女はやるので、周りがそれを見たときに「なんだこれ」が増えるのだ。
どうにも独自ルールで仕事する悪慣習が残っている。
ジョンレノンミュージアム知っている人いるのかな?久しぶりに思い出して調べたら14年前に閉館してました。
行ったことはあったので、気になって調べました。
なぜか最初に思い出したのは館内にある白電話にオノ・ヨーコさんから直接電話がかかってくるかも?というのは覚えているのですがそれ以外はあまり思い出せなくて⋯なんか内装はおしゃれだったとかそういう曖昧な記憶しか⋯ない⋯
とある小説で、「自分の書いたものは読んで欲しいけど、自分のことは知られたくない」ってあって、これは私もそうだなーなんて思ってしまいました。
自分が書いたものというか、作中では小説家が自分の書いた小説について言っていることだけど、私は小説を書いてるわけでは勿論ないけれど、自分の発信したものだけ知ろうとして欲しいって気持ちあります。
現代はそういう人も多いのかななんて思うんですけど、どうなんでしょうね?この文もそうですけど、ネットで溢れている自己主張はわかって欲しいけど、その他自分のプライベートなどは探って欲しくないって思う感覚。
でも、人って出してある部分より隠している部分を知りたがるんですよね。それがなかなかうまくいかない部分なのかなと感じます。
隠れたり隠されたりすると知りたくなる。自分の出したい部分、既に出ている部分には興味を持たれなかったり、適当に扱われたりする。そういうものかもしれないけど、出している部分を大事にしてくれる人がいたらいいななんて思ってしまうのです。
ホントにすぐ師走ですよね、早い早い。
今年も何も成し遂げたなかったなという振り返り。今年を振り返るにはまだ早いのかもしれませんが。
本当に今年は何もしていないなー。冬眠生活を始めたっていうざっくりな言い方をすればそうなりますね。
冬眠しながら自分の気持ちに向き合うと、より気持ちが鮮明になるんですよね。誰かからみたら、これもまどろっこしい表現ではあるんでしょうが、自分から見たら鮮明になったと思うのです。
一瞬だけ表に出て消えて、また出てくるみたいなことをやってますが、その一瞬出て来たときを発見されたのかな?なんて思うこともありました。私としては自分は周りがどう思ってたとしても、あまり気にしない、モザイクをかけるほどではないって主張だったんですが、その主張じたいがあまりよくなかったのかな?なんて後から思ったりしています。
「みんなは悪口言ってるけど、私はあの人のこと別に嫌いじゃない」って言ってた人のことを思い出したんです。その人、他の人の悪口はすごく言ってたのに、悪口率が高い人の悪口を言わない私っていうのを主張することで、自身を保身してるように見えたんですよね。そういうのズルイなって思ってたんですが、私も同じようだったのかな?なんて思うこともあって自分に対して納得出来ない感情も沸きましたね。
そんなこともあり、現在を生きて行くいるようで昔の出来事と重なったり、そして反省のように見える靄を抱えたりしながら生きてきたのが今年なんでしょうね。
「あっという間に、すぐ師走」っていうのをティファールの「あっという間に、すぐに沸く」のリズムで脳内再生させてるのが最近のマイブームです。
自分が過去の人。
10年前のアルバムを聴いて震えている。
親世代が何故懐メロを聴くのかわからなかった。
今はわかる。
当事者には 懐メロなんかという チープなジャンルじゃないのよ
懐古じゃないのよ。
今も生きているのよ。
リメイク何度目だ。そのたびに遊んでるぞ。
だって好きだからね。子供の頃夢中になってやったからね。
何度やってもワクワクしちゃう。
んで、クリアした。
エンディングのスタッフロールに表示された
鳥山明
すぎやまこういち
の名前に、少し泣く。
冷凍のたい焼きを食べました。美味しかったです。
いつもは冷凍の今川焼を食べるのですが、たい焼きと材料が同じなのに味が違うように感じられてめでたい朝。