2024.12.29Sun
非表示 11:49

わたし、ほんとに人から誘われない。

みんなでワイワイ遊びに行った話聞くと、苦しくなる。
行きたいか?と聞かれたら、行きたくはないのだけれど、
まわりの人のように 楽しく誘われて楽しく過ごすことのできない自分が虚しくなる。

楽しくない奴と思われているから誘われないのだろうし、わかっているけどさ。

つらいな。


非表示 06:11

何食べる〜?ってやりとりが疲れる。
年末年始や長期休みは、何食べる〜?とかそういう風が吹いてくることが寒さと同様に心身を擦り減らします。まあ食べてるので体重は減りませんが。


粗悪な布

非表示 05:45

嫌味を言う事人は、自分も嫌味を言われているんだって考えちゃうんだろうなと。
母がまさしくそのタイプで自分は嫌味のつもりで色々なことを言うもんだから、嫌味でもないなんでもない雑談にも嫌味を言われていると判断して機嫌が悪くなる。
例えば「友達がこうするんだって〜、友達が親にこう言われたんだって〜」という話は、私にとってはただの雑談だし、それ以上のものはない。
でも母は、友達がこうする?親にこう言われた?自分もそうして欲しいってことね、嫌味ったらしいわ〜
と受け取ったんだろう。なんだか普通の話をしているのに、急に機嫌悪くなったり話を終わらせようとしたり、そんなことが多々あったなと。
そして、勝手に嫌味を言われたと受け取り、最大限の嫌味を私に返して来てたんだろう。
その友達と私を比べて、私を深い井戸に突き落としたような発言も今思えば仕返しだったんだろうと思う。私は攻撃したつもりがないことで勝手に応戦したつもりになって子どもに酷いことを言う。
私はあの時、黙ってしまったしすぐ部屋に行って大泣きしたから20年近く経った今でも覚えいる。すぐ黙ってしまった私を見てきっと母は「勝った⋯」と思ったのだろう。
時間が経った現在、なぜこんなことを言われたかされたかを母の言動から点と線で繋ぐことが出来る。それは当時の私と現在の私の両方を更に傷つけることになるのだけど、私自身も生きれば生きるほど自動的に思い出されて勝手に点と線が繋がっていくのを止めることが出来ないのだ。
もう母はいないのにこうやってまだ私の中では生きていることがシンドイ。でも、私は自動的に繋がる点と線をこれからも見ていくのだろう。その点と線が糸だとしたら、質の良い布を織り上げることはないのだろう。粗悪な布が出来たらその都度裁ち切るのが生きる作業なのかもしれない。

2024.12.28Sat
非表示 22:24

飲み会でした。忘年会でした。

とても疲れた。
仕事ができて、人当たりもよく、ムードメーカーの女性。
頼りにしているし、大好きだけれど、疲れた。

自分のことを話すことが好きな人のようだ。
お話好きで、賑やかだけれど、疲れた。

私の嫉妬なのだろうか。

人との距離を私間違えている気がする。
もっと距離をとろう。
私は、本来なら飲み会や遊びに誘ってもらえないタイプなのだから。


非表示 09:20

引っ越しをしてやっと部屋が片付き、いろいろな住所更新の手続きも終わり、少し落ち着いた。長めの休みを取ったおかげで、3日くらいで大体片付いた。

前の部屋より日当たりが良くで少し広いので、より快適に過ごせそう。

近所を歩き回ってどんな店があるのかをチェックしたり、日用品の買い物をしたりしているが、前よりも便利なところかも知れないと思える。

築年数が前よりも古い部屋で家賃も少し安いのだが、設備などに多少古さを感じるところもあるけど、割と綺麗だし不便さはほとんど感じないので、良い部屋を選べたような気がする。


非表示 06:06

むっつりという言葉はほとんど使わない、助兵衛にかかる言葉にしか使わないなぁと最近思っていましたが、谷崎潤一郎の小説で出てきました。単純に喋らないという表現にもっと感覚的な空気感付けたいときに、むっつりという言葉は適しているかもと思いました。100年くらい前の小説って言い回しが難しいけど感覚が現代にも通じていたりして、時代の移り変わりの途中を感じられて重なる部分を見つけると面白いですね。
今日は何をむっつり取組むのか。使い方これで正解ですかね?


非表示 05:58

今年は後ろに引っ込むことになりましたが、どうにか住み着くことも出来た1年と表現しておきましょうか。
最近は熊が冬眠しないで人間の住居に居座ったり、スーパーに籠もったりとありましたが、やっぱり表に出ると熊というのはその存在だけで人間には排除されてしまう。それはそういうものだからしょうがないですけど、私は熊のような人間のような、人間のような熊なので排除されたり反論されたりすると疲れます。
でもなんとなく最近は居心地が良い場所になってきました。夏くらいから徐々に自分にとっては敵だなと思える人がいなくなって良い場所になったかなと思うのです。
機種変更をしたので、新たなスマホで以前の攻撃を受けた地に行ってみたら、攻撃をしたのがなかったことになっているんです。更地となっていました。更地にするくらいなら最初から攻撃しなければいいのにダサいなって思いました。自分が攻撃したという自覚があるから更地にするんですもんね。どこにでも自分から爆弾をしかけて逃げて行く人をよく見かけますね。
そんなこんなで私は今のような冬眠生活に入ってますが、以前より早目に冬眠を終えて前にいます。誰にも反応されていなくともそれはそれでOKですし、たまたま見つけて良い痕跡を残してくれた人には素直に感謝しています。

2024.12.27Fri
非表示 10:03

冷凍の中華丼の具、うずらもネェ、肉もネェ、白菜変な水分出ると文句を言われたけど私が作ったわけじゃないからまあいいやってなってる。確かにうずらの卵と豚肉くらいは入ってたほうが美味しいよね。


非表示 06:21

昔の元友人のブログによく登場していた元友人の友達、最近めっきり出てこないなーなんて思い出しました。
時は流れてブログから他のSNS媒体に移行してたけど、それでもあんなに仲良し記事が多かったのに、もう存在感が薄れているというか付き合いあるのか?ってくらいに登場しない。
あれだけドラマティックな友情を見せつけられて、おそらく私よりも断然好きな友達なんだろうなって感じさせてたのに、現在の私と同じように連絡すら取ってなくて疎遠になっていたとしたらまあ、なんか面白いかなと言葉のチョイスが意地悪かもしれないけど思います。
どのコミュニティにいたとしても私が1番であるわけがないって考えているから、友達の友達に嫉妬とかはないんですよね。こう書くと、いやいや、嫉妬でしょう?と思われるかもしれませんが⋯
元友達の友達のブログも私はよく見ていました。なんかやっぱり元友達と似たような感じの文体と内容がそこにはあったなと。
わざわざ言わなくてもいい、自分の温かさを載せてるというところが本当に元友達にそっくりだったなと。
私、あの頃はまだ付き合いはあったけど、元友達を嫌いになりかけてる時期というか、ほぼ嫌いだったのです。だから付け足さなくてもいい温かさなんて思ってしまっていたんでしょう。
元友達の友達というか、私にとっては他人さまに飛行機で会いに行って自分の家族と両親を連れて感動の再会!みたいな記事があったけど、ここで私の気持ちはさらに引いていったからよく覚えている。自分の友達に会うのに家族を巻き込んで、みんな楽しそうだったと言い切れる精神に⋯
でも、それが公開されたから私はもっと元友達を嫌いになれたし、他人さまと同じような感覚持てなくて、家族総出で会いに来られても歓迎出来ないって思ったのです。
類は友を呼ぶなんて言うけど、私は同じじゃなかったんだなって久しぶりに思い出しても、そう感じます。でも少しでも友達だったのはいったいなんだったんだろう?って疑問は自分に対して今も持っています。
そして、もう存在感がない、他人さまとはどうなってるのかな?なんて思いました。悪趣味で元友達のSNSは見ているけど、全然出て来なくなって、他の友人とのドラマティックっでハートフルな投稿で溢れているので⋯家族ぐるみでのお付き合いだったはずなのに⋯もしかしたらSNSという物語には出て来ないとだけかもしれないけど、飛行機の距離感をわざわざ会いにいく関係なのに表面上だけでもなかったことみたいになってるのは滑稽だなって思いました。そうやって、自分の温かさを表現出来る人が元友達の親友なのかもしれません。その都度、親友が変わるタイプなんでしょう。私は元友達の作品にはなれなかった、それだけなのです。

2024.12.26Thu
非表示 21:21

酔ってませんみたいに振る舞っても明らかに酔っていて
浴室がやけに静かと思ったら案の定湯船で居眠りしてて、声掛け
上がってきたら歯も磨かず下着のままベッドに横たわり、声掛け布団掛け
放っといたらどうなるんだろう、わたしだって早く寝たい
その上無施錠だった、翌朝気がついた、腹が立つ
そこまで確認しなきゃいけないのか
たいして飲めないのに何度も繰り返す
いい歳して情けない恥ずかしい
早く痛い目にあえばいい

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