誰かに刺激されたくない。自分の心を大切にしたいのにそれが難しい世の中だよね。刺激は必要じゃないタイプ〜
ずっとエアコンつけてたけど、ベランダに出たら外のほうが涼しかったから久しぶりに窓開けました。換気、換気
ネットを流し見して見つけた記事にてある有名人の方の話。引きこもっていたときは無駄だったと自分で言ってるのに「でもその時間があったから現在があるんですよね?」と持っていかれる。綺麗な着地点に落ち着かないと人は過去を納得出来なくなっているのでは?と言った内容でした。ちょっとニュアンスが違ったらすいません。
なんかこれ、すごくしっくり来ました。それがあったから現在がある。ってそれはそうなんですけど、それがないならないほうが良かったよねって事のほうが実は多かったりするよね?なんて思いますし。あれは無駄だった!次!くらいのほうが清い気がします。
綺麗な着地点で納得出来る人はそれでいいと思いますが、私は無駄なものは無駄だったとちゃんと言っていたいなって思います。綺麗じゃないものを無理矢理に綺麗にしてもまっさらな美しさじゃない違和感。その違和感は違和感のままでいいし、そもそも綺麗にしなくていい。邪魔だった。無駄だった。最悪だった。不要だった。こんな言葉で終わらせるのが正しいときもありますね。やっぱり。久しぶりに自分にフィットする言葉に出会えたので嬉しかったです。
熱中症気をつけてね、ほんとに
去年1600人以上が熱中症でタヒんでるの
そして救急搬送されて1泊2日入院したら6万くらいの費用がかかりました
健保3割でね私じゃないけど、だいたいそんなもん
軽症でその日に帰れても多分29.000くらい
エアコンずっとつけてても、そんな値段に、ならないから
親世代にも言ってあげて
酔うと、誰かに連絡したり、ゆるくなる。
さみしいのだろう。
普段は話さない。
飲むと、話したくなる。
それが嫌い。
自分が許せない。
今、酔っている。
誰かと話したいとか、あさましい。
聞いてほしいなんて、わがまま。
わたしに、腹を抱えて笑わせる話術なんてない。
ちがうな、それが言いたいのじゃ無い。
酔って絡まないために、ここにきてます。
お酒やめないとね。
頑張るや努力は自分の為で、自分の気持ちや意気込みの事だから、周りがどんなにメリットを並べても本人が自分で何か目標を持って始めない限り続かないだろう。ただ、望み通りの結果は得られるかどうかはわからないけれど、やらない時よりは前には確実に進んでいるはずだから、もしも自分の目指す事やりたい事があるなら、まるで無駄になる事はないだろう。
若い人に努力が無駄に思えてしまう原因に、この薄曇りで先行きがどうやっても明るくは見えない社会や世界の現状に夢を持ってもなぁと言う気分になってしまう事や、ネット世界の中で何かをする時にその工程を踏めば必ずそうなるという予定調和的世界に慣れすぎてしまって、何かやってもそうならない可能性を受け入れづらい傾向があるのかもしれない。
誰もいない感じだからダラダラと書いちゃおう。
今日は文化祭行ったんですよ。まあ付き合いで。そうしたら私、現役の高校生のときもこういうの好きじゃなかったなーってみるみる思い出してしまって。なんか疲れたなーっていうのが正直な感想です。すっごい面倒くさがりなんだよね。主催するのも盛り上がるのも面倒だって当時も思ってた。そういう意味では昔に戻って懐かしい(笑)大学生になってやりたい人だけがやるって方式になったときにほっとしたんだよね。ホント、やりたい人だけやるって大事なことだと思う。楽しくないことを楽しむように求められてるけど、本当は楽しいことだけ楽しいって感じていたい。
ちょっと今日イライラしちゃったことがあったんだけど、私のイライラって原因を探っていったら、何かを押し付けられているように常に感じちゃうことなのかも?みんなが楽しめることや好きなものが好きじゃないことが多いし、そういう好きじゃない事、ものに自然に囲まれて生きてしまっているのが現在。それが当たり前過ぎて自分でもマヒしてるなーなんて思っちゃいました。
今日かなりイライラしてて、テレビで野球の特集がやってて、私野球好きじゃないんですよね。だからソッコーでテレビを消したけど、こうやって知らないうちに嫌いなものがテレビから流されシンドイ思いをしてるんだなって思った。
みんなが好きなはず、楽しいはずっていう見えない強制が何年も何年も自分を苦しめてるんだなって。
自分らしく生きようとすると、みんなが好きなものから離れることになって否定されてる人生。直接的ではなくとも間接的は否定されてる。私は野球を好きな人のことは否定していないのに、野球を好きじゃないことは否定される。野球だけじゃなく全てのことがそうなんだよ。だからシンドイのよ。でも、そんな中でも生きてるの偉いな自分。そんな空気の中でなんとか吸える空気吸って生きてる自分スゴイじゃないか!
本当は私みたいな人に少しでも気持ちを届けて、あなたは偉い!って言いたいけど、私の言葉はいつも変な角度になって正反対な気持ちの人に飛んでいくから一瞬だけ現れてドロンして忘れた頃に見える化します!
他人のことを慮ることを付け足す時って、だいたい自分がそうしたいときなんだよね。自分が1番ソレをしたいけど、自分の意見だという自信がないだけなんじゃ?って思うのよ
言わなくてもいいことをわざわざ言って、せっかく静まってた事を掘り起こしてくる人ってどこにでもいるんだよなーって思い出してしまった。しかも、その手の人って、それを言った自分に酔ってるんだよね。重ねて最悪なのが、みんなの総意です!みたいに言うんだけど、その人だけの気持ちだったりすることが多い。少なくとも、総意の中に私は入っていないなって思っていたりする。
子どもが幼稚園のときに、その手のタイプの保護者がいて参ったなって思ってました。係になった人の負担が多いということで廃止になった行事を復活させようとしてる人いたなー。みんなの前で意見出来る自分、そして、自分は廃止でもいいけど、他の人が〜みたいに言い換えてて卑怯だなって思ってた。その保護者とはすべてが合わなかった。係も一緒だったしシンドかったなって思い出したな。
昨日、ある人のある発言を聞いて、収まってるのを引っ掻き回してるだけなんじゃないかと思えた。昔の嫌なことも思い出してしまった。でも合わないタイプが自分の中ではハッキリしたなと。それはリアルでもネットでも、どこにでもいて何故か遭遇してしまうもんなんだなと。
少数派で生きてるというか、堂々と言えない気持ちが自分の本意だったりするので、みんなそう思ってます!みたいなことを言う人の”みんな“に当てはまらない人生だったな。だから、自分の意見を言う時は、あくまで私の意見ですが…って気持ちが常にある。
自分を褒めるとしたら、自分の気持ちを他人の気持ちにすり替えないというスキルが身についているような気がする。これもあくまで私の意見ですが…
自分のことを波立たない湖畔のようだと思ってて、他人もそう思っているはず…と思っていても、他人からみたらいつも大洪水大氾濫の川か、高波しかこない海だと思われてるってことはよくあるんじゃないかな。