子が問題集が欲しいから買ってと言ってきた。なのでネットですぐに購入した。
私はこの一連の流れで自分は問題集が欲しいから買ってと素直に言えなかったなと思い出した。中学生のときはやる気がなく問題集を買ってというあまり機会はなかったのだけど、高校生、大学生になるにつれて自分の意識は変わったところがあって、何か勉強したいときや検定を受けたいときなど、自分のお金で払っていたことも多かったなって。親に払ってもらうのは本当に厳選したもので。
確かに高いし、ある検定も何度か受けたりしたから何度も払ってもらうのが申し訳ないというよりは、何度も払ってもらえば文句を言われるから自分で払っていたという感覚が正しい。
これをもし親が読んだとしたら、払ってあげてたのにそういうことを言うんだ!と怒りだしたかもしれない。そう、払ってもらっていたのはその一部だよと。
その一部には感謝しつつ、その他、自分で賄ったところは自身を褒めたいなーって思う。
自分がこんなことがあったからといって、子どもに対して甘い!とは思わない。問題集2000円くらいで将来、負の思い出が出来ないのであれば安いと思う。
やってあげた、買ってあげた、お金出してあげた…って少しでも思うと、それが言動に出てしまう。うちの親はそうだったから。私もその遺伝子を持っているってことは常に忘れないようにしないと。
〜してあげたって事実は、何かを相手にした瞬間に忘れるべきなんだろうなって思う。そうしないと、してあげたのに、してあげたから、とずっと思い思われるってツライ。相手にした何かはすぐ忘れましょう。
大きく心が動いた。
とてもショックを受けるような経験をした。
面白いのが、このショックというのが、望んでいたものを奪われたとか、何かを失ったとか、実際に何かが私の現実から消え去ったわけではない。
私はいつも何かに執着して、それとの別れで大きな悲しみを経験するたちだった。人とかのみならず、物とかでも当てはまる。
もし奪われたものがあるとすれば、希望が奪われたようだった。
ああなったら、こうなったら。
そう思っていたところに、現実が表れた。
私は希望を抱いていたにすぎなかった。それは現実ではなかった。
現実の中でできていないことがたくさんあった。
もっといいものを持っている人がいた。
私が希望だと思っていたものは、大したものではなかったのかな、と思えるような出来事だった。追い打ちをかけるように、絶望的な情報ばかりが眼前へと集められた。
私の未来はしょうもないのかな、なにもできていないのかな、私にできることなんて、なにもないのかな。一生不幸なのかな、一生不公平だと思い続けるのかな。
何とか立て直そうとする。
立て直せたかと思えると、またそれを折りにやってくる。
夢も希望も目標も、そうやってどうでもよくなった。
それでも今日決めていた、やるべきことはしっかりとこなした。
人に私の絶望を当てるような真似もしていない。
もうそれだけで、今日は立派だと思いたい。
でも、虚無感だけがやっぱり胸の中に広がる。
猫と暮らしている。
わたしは、自分が太ったこと、それに歯止めがきいていないことに悩んでいるが(我慢しろよ、ダイエットしろよ、ですよね。)、
うちの猫、私が太ろうが痩せようが、私の臭いがそんなに変わらず、私の情緒が落ち着いていれば、それでいいのだろうなと思う。
私は体臭はあまりない方だと思うけれど、やはり環境やストレスや体調や食生活で変動するものだと思う。
だから、そんなに変わらずにいれたらいいなと思う。
猫が私を認識してくれてるにおいのままでいたい。
なんでこんなに太るのだろね。
食べることがやめられない。
わたし、しあわせじゃないのかな。
オリンピックはこっち側はなんだかんだ言っても所詮見ているだけなんだから、選手がつらい気持ちなら励ましの言葉で、悔しい気持ちのちょっとだけでも一緒に背負ってあげて、少し軽くしてあげればいいのに。べつに何も減る物ないんだし。
あの時に食べたアイスクリームなんだっけ?もう一回食べてみようと思って探してみたら、日本ではもう撤退してたみたい。食べたことあるのに味を覚えていないってなんかもったいない。
ネットを見てたら、アイスクリームの情報が。あまり見かけないけど、私コレ食べたことあるよなって思い出していたら、それは8年も前だなって。なぜ8年と詳細に覚えてるのかというと、母が入院していた病院内のコンビニで売っていたから買ったんだったなと。ちょうど8月の今頃だったと思います。
正直、味は全然覚えていないのだけど、食べているときの前後の雰囲気は覚えているもんで、なんだか変な感じでした。
アイスクリームをのんきに食べている私に父はイライラしてたんだろうなって思う。母の入院とはいっても、入院して人生を終えるってタイプの入院だったんですよね。だから母も朦朧としているし、お見舞いは行くけど冷静に考えたらやることは別にないんです。そんな中、終始もう会えなくなるからというしんみりモードでいるのはシンドかったので、変わったアイスクリームが売っていてそれを食べるという行為は私には必要だったのです。
父は私に対して、物心ついたときからイラついているんですよね。理想の娘じゃないから。たぶん、私という存在をハズレと思っているフシがあって、私のしている行動が気に入らないって感じはありました。今でもソレを感じるので1年くらい会っていないんですけどね。当時もアイスクリームを食べているという”私“が本当に気に入らないのだろうなと。アイスクリームを食べている行為じゃなくて、私が気に入らないから私にイラつくための正当な理由を後付けする。逆に私がアイスクリームを食べないでしんみり暗いモードに入っていれば、それをしている“私”に怒りが沸いてたんだろうなって。後付けで、みんな大変なのにとか理由をつけて。
アイスクリームひとつで色々鮮明に思い出して、もう8年経ったんだなって思う。母はみんなに普通でいて欲しいって言ってたから私なりにアイスクリームを食べてたというのもあります。それが届いていたかどうかはわかりませんが。父には届いてなかったんだと思うけど。
8年経って、私、両親のこと好きじゃないなって気がつくことが増えた。母にいたっては亡くなってからアレコレ見えてきたものも多くて、最近は納骨堂に全然顔出していない。きっとこのままだろうなって思うけど、それが答えだから。アイスクリームの味を覚えていないのに。
日本の古き所作が日本にはまだ根強く残っているようで、それに沿ってSNSの発言の種類ごとにするべき所作は、良い発言や良い行いになる発言は自分を名乗らず匿名でする。相手を傷つける、喧嘩を売るような発言をもしもする覚悟があるのなら、卑怯でないように自ら自分の名前を名乗り、自分の発言に責任を持ってする。これが武士道。
はぁ…ショック。
先週買ったばかりでまだ3回しか乗ってない電動自転車盗まれた。
ちゃんと車輪ががしゃんってなる地下駐輪場に置いて、鍵もかけたのに。
よりにもよってなぜ私の自転車? 自転車いっぱいあって、電動自転車もいっぱいあったのに…
しょんぼり電車で帰宅。
車でもう一度現場に行き、最寄りの派出所で届出しようと思ったら、ちょっと厄介な案件で派出所がもぬけのからだったので、自宅に帰って自宅近所の派出所で届出した。
この事で午後いっぱい潰れて疲れたよ…
何より気持ちが疲れた。派出所でも「実は電動自転車って盗まれそうで案外盗まれないものなんですけどね。しかもここまでちゃんとやってて盗まれるのは稀ですよ」なんて言われた。
電動自転車はそもそも普通の自転車よりどうしても重いし、有名メーカー品じゃないからバッテリー切れたら充電器が簡単に入手出来なくて充電出来ないからあまりメリットないんだって。
鍵がないから無理にバッテリーも外せないしね。
すぐさま盗難保険で新しいの買っちゃおうかと思ったけど、もう少し待ってみては?見つかるかもよ?と言われて迷ってる。
私、今回、異常なほど盗難恐れてて、怖かったんですよね。実際こんなに早く盗まれたのは、何か虫が知らせてたのか?
そのくせ盗まれてしまってショックだけど、何だかひょっこり帰ってきそうな気もしてる。
早く無傷で帰ってきて欲しい…
なんか全部がどうでもよくなってしまった
嫌いになったとか飽きたじゃなくて、どうでもいい
星野道夫の本を読むたび、ゴタゴタした毎日より遠くの広い海でゆったり泳いでるクジラのことだけ考えたいと思ってたけど、最近は心だけそっちに行っちゃった感じ
人とワイワイ楽しく過ごせる人間の方が評価されるんだろうけど、人の評価は墓場までは持っていけないし
昼寝が一番楽しい
今日も30℃オーバーだったけど昨日8月になった途端に感じる風が変わった
夜になると虫たちが鳴き始めてた
郊外の田んぼも稲穂が首を垂れ始めてた
季節が少しずつ動き始めてる