2024.08.05Mon
非表示 09:21

知識は、知見と体験の両方を得た状態。ネットの知見だけという世の中の流れは、どんなに頑張っても知識の半分しか得られない。それが上手くいく・いかないに関係なく、自分で体験しないとホントの知識は得られない。


非表示 07:25

これでリスペクトのやり方を実践できる時がきたわけだ。日本は柔道で金を取れず、フランスはフェンシングで金が取れず。お互い国技で金メダルの交換して状況は同じだから、互いの心情がわかりやすくなって、国民同士で素直に相手の凄い所を純粋に認めあいリスペクトしやすくなってる。純粋にお前すごいねって相手に気持ちを表す事、やりづらいけど物凄く単純明確なモノなんだよな。
そして、リスペクトする事は自分の足りない部分を客観的に自分で認める事になるから、
自分がさらに前進するのには必要な事なんだよな。リスペクトしないでいる事は、そこの部分を見て見ぬふりしてる事と同じだから、しっかり見た事を自分の中に刻むには必要なんだ。


家は気を溜める場所

非表示 06:57

たまたまネットで見た、スピリチュアルな視点から「家に人を招くと運気が持って帰られる、そして自分と同居している家族も同様に運気を持って帰られる」とあって、なるほどな〜と思ってしまいました。スピリチュアルな感覚を信じているわけじゃないけど、そんな感覚を抜いてもこれはそうだなって。
最近は自宅に人を全然招いていない。ちょっと家は汚いのだけど(笑)自分のメンタルは安定しているような気がする。以前は友達なども来ていたけど外で会うようになったし、自宅に来てホームパーティーが好きな友達とは疎遠になった。
よく、部屋が綺麗なほうが運気が上がるみたいなことは言われるけど、誰かを招くこと前提で掃除をすることは殺気立ってしまうというか、家族が自分の思う以外で部屋を使うこと(ちょっとしたものを移動するとか置くとか)が苛立ちの原因になってしまっていたと今なら思えるので、人を招くという前提の片付けは私にとっては運気が下がるのかもと。
昔に遡ると、父が自宅に会社の人を招いてどんちゃん騒ぎするってのをやっていた。その度に母は殺気立ち愚痴を言い、だけどそれを断らない。私も父からの良いお嬢さんと言われたいあの圧力に耐えていた。
父が例のごとく、どんちゃん騒ぎをやる時に私は熱を出して寝込んでしまっていた。気持ち悪くて吐いてしまったのだけど、自分の部屋からは出られず涙してしまったことは覚えている。様子を見に来た母は心配もしていたかもしれないけど、吐いて泣いている私を面倒だって思っているんだろうなって雰囲気も感じられたのも記憶に残っている。
こんな感じで、家族は最大限に運気を奪われていたんだなって。どんちゃん騒ぎがなくとも、私は熱を出して吐いていたかもしれない。でも、部屋で吐く前になんとか出来たかもしれないし、吐いてしまっても泣くことはなかったんじゃないかな?って思ってしまうのです。この”思ってしまう“ことがもう運気を下げているんだと。
「家は気を溜める場所」こんなことも書いてたような。スピリチュアルな視点でもそうではなくても、各々にとって落ち着く場所が家なのかもしれない。ホームパーティーとか好きな人って知らず知らずに運気が下がっている…のだとしたら、楽しいと錯覚しているだけの消耗なのかしれない。それに付き合わせてる家族はもっと消耗しているのかもしれない。笑っていたとしても。
掃除も整頓も自分のためにやることが運気が上がるといえるのでしょう。でも、まあ、その体力が…ない…


非表示 05:55

規制を緩和というと堅苦しいけど、自分の中でちょっと実験的に緩くしてみた事があって、それをやってどうなるってわけでもないけど…独自のサマータイムみたいなものです。先頭に立たないというのはこれからも変わらないけど、少し前に並ぶようになったということです。

2024.08.04Sun
非表示 21:30

オリンピックを今回はTVer中心に見てる。
BSで見たら日本人中心に日本語解説のものが見られるんだけど、今の家は今どきBSが普通のアンテナだけでは見れないので、BSは視聴出来ない。
苦肉の策で見始めたTVerのLive配信。解説は英語で殆ど分からないし、日本の試合はあまり見られないんだけど、新しい楽しみもある。
その時にやってる気になるLive見てて、ハンドボールの面白さを知った。
未だにあんましルールに明るくはないんだけど、迫力とスピード感があって単純に見てて楽しい。
ドッジボールガチ勢だった昔を思い出すボール捌き。バスケっぽい縦横無尽の攻防。
そういや昔、体育でやった時、唯一何となくいい感じにできた球技がハンドボールだったななんて思い出した。
ハンドボールはなかなか見られないだろうから今後もTVerで観戦しよう。
慣れると単語である程度状況分かるし、勝手なアテレコして楽しんでる。


非表示 20:30

幸せの増幅の仕方を知ってる。
感情は怒りや悲しみも喜びも嬉しさも他人に伝播するもの。
だから、昔から幸せのお裾分けって言ったりするように、自分が幸せになったら他の人にも分けてその人が幸せな気持ちになったらその気持ちが自分にかえってきて、幸せな気持ちが増えていくわけ。
これをどんどん色んな人にして沢山の人を雪だるま作りのように巻き込んいくと、台風のような幸せの大きな渦ができるんだ。
ひとりで幸せを抱えても、たぶんしばらくすると慣れて普通に感じて、気持ちは萎んでいってしまうから、大きく長持ちさせたいならこの方法がいいと思う。


非表示 18:49

頑張れないなと思って、急遽 休暇申請した。
ひとりでぼーっと過ごし、少し平穏を取り戻せたつもりだった。
この土日、なにもせずにいた。
今とてもかなしい。
心の持っていき方がわからない。
行くしかないし、踏ん張るしかない。
それだけのことが私には難しい。


非表示 10:44

昨日の夜、娘達と夜の川に足を浸しながらアイス食べるという夕涼みしてきた。
川沿いの道を歩いてコンビニまで行って、川に降りるために階段状になった所に座って川に足をつけてみた。
足湯みたいな感じで川遊び? 遊んでもないな。アイス食べてのんびりしただけなので。
昼間は水遊びの家族や子供達で賑わう川だけど、夜はランナーや散歩の人、私達みたいに階段に座って涼んでる人達がいて、みんな思い思いに川と生活してるんだなと感じた。
川横の道はそこを歩くと何となく楽しくて、同じ距離歩く時はわざわざ川道を通る時もある。
子どもが生まれてから、たまたまなんだけど景観のいい川のそばに住み続けてるなと気付いた。
割と子どもと川に行ってるなと思った。


非表示 08:14

この時期、疲れ出てくるよね〜
ひとりになりたい症候群みたいになってる。
頭痛薬は早めに飲むのがオススメ。


すぐ忘れたほうがいいこと

非表示 05:57

子が問題集が欲しいから買ってと言ってきた。なのでネットですぐに購入した。
私はこの一連の流れで自分は問題集が欲しいから買ってと素直に言えなかったなと思い出した。中学生のときはやる気がなく問題集を買ってというあまり機会はなかったのだけど、高校生、大学生になるにつれて自分の意識は変わったところがあって、何か勉強したいときや検定を受けたいときなど、自分のお金で払っていたことも多かったなって。親に払ってもらうのは本当に厳選したもので。
確かに高いし、ある検定も何度か受けたりしたから何度も払ってもらうのが申し訳ないというよりは、何度も払ってもらえば文句を言われるから自分で払っていたという感覚が正しい。
これをもし親が読んだとしたら、払ってあげてたのにそういうことを言うんだ!と怒りだしたかもしれない。そう、払ってもらっていたのはその一部だよと。
その一部には感謝しつつ、その他、自分で賄ったところは自身を褒めたいなーって思う。
自分がこんなことがあったからといって、子どもに対して甘い!とは思わない。問題集2000円くらいで将来、負の思い出が出来ないのであれば安いと思う。
やってあげた、買ってあげた、お金出してあげた…って少しでも思うと、それが言動に出てしまう。うちの親はそうだったから。私もその遺伝子を持っているってことは常に忘れないようにしないと。
〜してあげたって事実は、何かを相手にした瞬間に忘れるべきなんだろうなって思う。そうしないと、してあげたのに、してあげたから、とずっと思い思われるってツライ。相手にした何かはすぐ忘れましょう。

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