「私もこういうことあって〜」って言っちゃいそうだな。
でも、これ相手の話に共感してるが故の自分語りだったりするわけだから。難しいよね。私には話しかけないでって最悪なっちゃうわ。
黒糖のくるみ美味しくてどんどん食べてしまう⋯
チョコよりカロリーや色々マシかと思いつつ沢山たべたら意味ないよなと⋯ほどほどが難しい
自分が撮っていない他人目線で作られたの自分が写っている写真満載のアルバムといいましょうか。
自分と同じ時間を一緒に過ごしてきて、同じような写真を自分も持っているはずなのになぜかとても新鮮でした。
なんか自分が楽しそうなんですよね。私、この時代、ちゃんと楽しんでいたんだなって理解出来たことが良かったです。
その時代に苦しかったことやモヤついた気持ちは20年近く経っても現在の自分を支配していて、それが現在の苦しさに繋がっていると感じていたのです。
その苦しさは終わらないし、ずっと続いていくものだとは思っているけど、その隣にちゃんと楽しいこともあったと思うことで今までの階段の悪くない部分に目を向けられたこが有り難い。それを残してくれいて、そして何年たっても共有出来る関係が自分にもあることが今後の励みになりました。
今日は自分側のアルバムを引っ張り出してみようかな。
この1週間は、できるだけルーティンを崩さないようにしようと思って過ごしてきた。普段の生活を取り戻せたと思う。
家で食事をする時はパンやオートミールが多いのだが、何となくお腹が緩くなることが多い気がするのと、少し上半身を大きくしたいので、米を食べる回数を増やしてみようかと思う。と言っても、週に1、2回、パックのご飯を食べてみる程度。
気づけばもう6月で、先月までは毎月のように何かしら起こっていたので、これからはあまり驚くようなことは起こらないで欲しいなと思っている。
先日、ニトリでレンジで使える蒸し器を買った。
せいろが欲しかったけど置き場所がないし迷ってたんだけど、これなら隙間に入れられそうだったから買ってみた。
今までもブロッコリーとかはレンジでチンしてたから、正直そんなに変化あるかな?なんて思ってたんだけど、全然出来上がりが違って驚いた。
野菜が甘い! 思ったより早く出来上がる。これはいい。
これからは半端な野菜はぜーんぶ蒸しちゃお。簡単で確実に美味しい。
この買い物はアタリだったわ。
「人柄」と「タイミング」、そして「価値観」
結局のところ、良好な人間関係を築く上で核となるのは、個人的な相性と巡り合わせ、そして何よりも価値観の共有です。
特にこの「価値観」というものは、日常の些細な出来事や言動の中にこそ宿っています。誰もが「取るに足らない」と感じるような瞬間の中に、実はその人の本質が垣間見えることがあるのです。そうした細やかな部分にこそ、真の繋がりを育む鍵があると言えるでしょう。
久しぶりに昔からの友達と旅行に行った。
今回の大目的は「川床で贅沢ごはんを食べる」だったので、非常に堪能出来てとても楽しかった。虫がすごかったけど(盲点)
それは2日目って事にしてたので1日目どうするかなーって、お互いフワッと決めて行った美術館が休館日でちょっと絶望した。(2日目にリベンジ出来た)
で、そこから第二、第三候補の寺に行ったり、前から気になってた所にぶらりと行ったり、随分フレキシブルで適当に動き回ったけど、それも楽しかった。
つくづく旅行ってどこに行くかも大事だけど、それ以上に誰と行くかで楽しさ決まるなと改めて思った。
私は薄い付き合いの人とは楽しく旅行出来ない人間のようだ。
健康系のカカオ成分多いチョコとかそれを使ったお菓子って、まあ苦いなとは思うけど、後からクセになってくる不思議。
何でもかんでも言っていいわけじゃないなーと思うのです。
その人のポジティブがなぜか私のネガティブを作り出す。
逆に誰かのネガティブが私のポジティブを作り出すこともあります。この場合は、ネガティブさを自分とくらべて優越感に浸っているというのではなくて、自分も同じだよという安心感からポジティブになれるという意味ですね。
LINEのアイコンが変わっていて、その画像から直感的におめでたいことがあったのかな?と読み取ってしまった。違ったとしても自分の中で勝手に思って、こういうところでボヤかして言っているだけだからいいかなと。
別にソレがなんであってもいいし、おめでたいことなら素直によかったねーと思うことも事実なんだけど、直感的にそういうことかな?と思ってしまう自分の人生経験が嫌だなとも思いました。その直感的なことが当たっていた場合、本人から報告を受ける前からなんとなく察してしまったことが残念というか、変な曇りのような、そんな気分になるでしょうね。