二次創作、勢いで書いていいしガバガバ設定上等だと思っている。
多少矛盾があったとしても、これが書きたかったんだ!というのを読めたら面白いので、
みんなどんどん好きな作品の二次創作書いてほしい。(ガイドラインには則って)
今日はカップ焼きそばの気分だから食べます!
湯切りのお湯をスープに使えるタイプのカップ焼きそばです。あまり私の住んでるところでは売っていないのです。でも、カップ焼きそばはコレを食べて育ったんです。でも、他のタイプも普通に好き。
昔話だけど、私の友達が親に仮面浪人を勧められているという話を聞いたことがありました。で、その話を軽い感じで母に話したら、ちょっと不機嫌になったんですよね。
時は流れまして、私は結婚することになりました。こじんまりとした式と家族で会食というスタイルでしたが、私はお色直しを1回したんです。でも、義母が「私の娘はお色直し2回したけど、いいの?」と言ってきたので、そこまではしなくてもいいかな?なんて思ってたし、まあ、2回やる人もいるよなという軽い気持ちで、その事を母に話したら、ちょっと不機嫌になりました。
もう本当に昔の話で、忘れてしまうような些細な出来事だけど、なぜか覚えていて。今となれば母が何故不機嫌になったのかわかるんですよね。この話の共通点はお金がかかることなんですよ。
私としては自分の家庭と比べて嫌味を言ったわけでもなく、ちょっとした世間話の種類だったんですが、母は嫌味と受け取ったんでしょうね。
「大学行かせてやってるのに、友達の仮面浪人の話を出してきて嫌味ったらしい娘だな。お色直しの件も相手の親はそんなことを言ってきてくれてるのに、ウチと来たら…って言いたいんでしょ?」
たぶんこんな感じだったんだと思います。嫌味で言ったことを嫌味として受け取るならいいんですけど、嫌味じゃなかったからなー。確かにウチの親はケチなんですよ。で、周りの同世代の子どもを持つ親と比べて何もしてあげていないという自覚もあったんだと思います。でも、やってあげたいけどやってあげられないって気持ちよりは、やってあげるのはもったいないって気持ちの方が勝ってたんだと思うのです。
あの頃の母の年齢に私も近づいてきて改めて思うと、母の本当の気持ちがわかってしまいます。やってあげたいけど出来ないってわけじゃなくて、もちろんお金は有限だけど、必要ないって思われてたんだと思います。特に教育関係や行事のお金、もったいないってずっと思っていたんだろうなって。
経験にかけるお金をケチるのはよくないって聞いたことがあるけど、こういうことなんだと思います。ケチられた記憶というのがずっと染み付いてとれない。そして、母は亡くなって数年経ってもケチだと思われながら私の中では生きているのです。
自分はこういう風にはなりたくないって最近常に思っているのです。負の見本ばかりもらっている気がするこの頃ですが、私も私でどこかはケチなんだよな〜確かに払いたくない納得出来ないお金は一円でも高いと思っちゃうので。
自分かしんでも、ケチだったという記憶となって相手の中に生きないようにだけはしたい。その代わりケチだと思われてもいい人にはとことんケチります。
昨日は友達と会ったけど、昨日会ったばかりみたい話せて嬉しかった。
この「昨日会ったばかりみたいに」って当たり前じゃないんだよねー。なんか突然仲良かったはずなのに、ちょっとした知り合いみたいな感覚が少しずつ吹いてきて、完全疎遠になってしまうものだから。
もうどこかでばったり会っても知らないふりしちゃうだろうな。そういう人のほうが多いのよ〜
復活!!
縦になれる!
買い物にも行った!
景気付けに酒も飲んでいる!!!
復活!!
あ、まだ文字数足りないみたい(笑)
明日から仕事ー。
仕事は休みたいけれど、健康の尊さを痛感しました!
今から肉まんたべる〜
今日は珍しく自分としては寝坊してしまって、朝のルーティンが乱れてますが、どこかで整うでしょう。
以前、80年代を極めた某アイドルの会見やインタビューの映像がオススメに突然出てきたから見たことあるけど、言われてるほどぶりっこじゃないよね?ただ言われたことにハッキリ答えていて爽快感さえありました。あと、言葉は丁寧なんだけど昭和の喋り方だなーって感じたのは覚えてる。
ちょっと前にどこかで「母がぶりっこでキツい」っていう投稿を見たんですけど、確かに母が親せきのおじさんの前で「やだぁ〜(キャピキャピ)」とかやってたらキツいわぁと思いました。
一方でおそらく80年代に若者だった女性って、そういう手段がないと生きていけない時代でもあったんだよって書き込みもあって、それはそうなのかもしれないなーって感じました。
自分の母も80年代に若者だった世代なのですが、母自身はぶりっこということは全然なかったですが、妙にぶりっこを敵対視してるタイプで男に媚びるみたいな態度に敏感だったと思います。
私が中学生のときに三者面談の日程を男子と交換してあげたことがあって勝手に変更した私が悪いんですけど、交換してあげたのは男だと知ったときに、妙に勝手に納得して悟っていた態度だったんですよね。今思えば、私が男に媚びていてそれを母はわかってるのよ?と言いたかったんだと思うけど、私は交換を依頼してきたのが女子でも変わってあげてたと思うので見当違いもいいところだなと思います。
母みたいにぶりっこを敵対視するタイプもけっこう面倒だなって思います。母自身がそういうぶりっこになることが出来なかったからといって、必要以上に目の敵にしているのを見ているのも疲れるというか。
どの時代にも、ぶりっこと言われるような女子は存在するとは思うんです。いただき女子のなんとかちゃんも、あれはぶりっこを極めることで男性を欺いたのが犯罪にまでなってしまったとも思うんですよね。でも、なんというか、そういうタイプがいたとしても別の生き物として見ているというか、露骨すぎる引くことはあるかもしれないけど、敵対視まではしていない女性が現代では圧倒的に多いとは思います。いただきさんのような犯罪はダメですけども。
敵だ味方だ、私はどっち派だ!ってハッキリ分けないけど、そういう人もいるよね?ってお互いに思っているのが現代なのかな?って思います。自分とは違うからといって怒りにまで昇天させないのが現代のぶりっこでもあり、ぶりっこじゃない派なんじゃないかなと。お互いに勝手に生きていくのがもっと進めば生きやすいかもしれません。何も進歩していないようでぶりっこに対する周りの目線は昔とは違うんでしょう。そもそも今って“ぶりっこ”って言葉自体をあまり使わないなー。それが答えでしょうか。
ずっと微熱が続いている。
しんどくはないが、動けない(それがしんどいのか)
横になっていたら無敵。
縦になったらもうダメだ。
早く治ってほしい。
簡素化=手抜きではないんだけどね…色々手をかけたい人は手抜きみたいになっちゃって嫌なのかなぁ?
足し算より引き算をしたいなぁ…引き算し続けてゼロになったらそれならそれでいいんだよ。そうすれば労力もゼロだから。こういう足し算は苦手だ…