2025.09.13Sat
非表示 05:41

いつも雨降るかどうかって聞かれても私気象予報士じゃないとは思ってしまう。だって天気予報で見たことを言ってるだけだし、雨降るよ?って言っても洗濯物を外に干すから意味がない。それなら最初から聞かないでーとは思ってしまう。
そして、雨が降ってきて洗濯物を急いで取り込むのは私だったりするので、それがもう疲れる。
今日も外に干しちゃうんだろうな。


非表示 05:34

仕事の後でも食事を作っていることを褒められて「大したことない、本当に食材をのせただけとかなんですよ」と言ったことと、その“大したことない"料理をアップしてくるあの人。
まあ、通常営業だけど、私にとってはとても疲れる投稿ではありました。
食べてくれる家族への感謝、美味しい食材への感謝。そして、なんだかこだわってるものちゃんと商品名を書くところ。ニッシさんのこだわり豆腐とか絶対書く。これもなかなか用意周到さを感じますね。
手抜きもしても周りへの感謝は忘れないし、褒められても謙遜する私、見てください!ってことなんですよね。私、手を抜いているけど、こだわるところはこだわっていて、ただの手抜きとは違うのよ?ってことを言いたいんだろうと。それを感謝というラップでぴったりぎっちり密閉したような言葉たちだったな。
この人を観察してるのは、感謝や謙虚さも結局はアピール材料にしてしまえばウザいんだなということを学べるからなんですよね。感謝も謙虚さも大事だと思いますが、過剰に並びたてるとゲテモノになる。そんな見本だなと思うのです。

2025.09.12Fri
非表示 20:40

今日は人生の中でいくつかある、「一段上がった瞬間」だったかもしれない。
ずっと、集団の中で孤立することや、自分の意見を主張して相手の不興を買うことがすごく怖くて、おかしいと思うことでも「みんなそうしている」とか、責任感、良識、みたいなものを持ち出されるとそれ以上言えなかった。
その組織の中、自分が関わる人たちから認められたい気持ちが強くて、合わせすぎていたんだと思う。
それが今日は、初めて「それは今後きちんと決めていかないといけないことだと感じます。個人の良識や責任感に委ねるのは人が離れていく一つの理由になると思う」と、感情的に反発するのでもなく、現実的には難しいというのもわかった上で、ただ自分はそれを良しとすべきだと思わない、という一意見として主張できた。もちろん、それにさらに反論されたら、引くつもりで。
けど、結果として、相手は上司で、これまでそういう慣習を良くはないと思いつつも仕方ないと受け入れてきた側なんだけど、その上司が「そうだね」と言ってくれた。
今まで自分が認めてきたことを否定されたに近いのに、それに対して反発して正論、綺麗事、と鼻で笑わなかった上司がすごいのだと思うけど、自分の意見を恐れずちゃんと言えたこと、そうできるだけの自信がついたんだなということも、そうしてみたら反発されたり笑われたりしなかったということも、すごく嬉しかった。


非表示 14:15

言葉って改めて難しいなと思う。
これは中止にすることに賛成して欲しい問いなのか?そんなの気にしなくても大丈夫ですよ!という問いなのかがわからない。
もういい年齢でなんならシジュー近辺だけども、わからない。
中止にしたいなら、中止で!と言ってくれたほうが嬉しい。みんなの意見を聞いて決めるといっても、どっちよりの意見を言えばいいのかわからないから迷う。
中止にしたくなければわざわざ問いかけてこないで予定通りだろうなとは思うけど、だから楽しみにしてたことを含みつつ、中止で大丈夫ですと返しても、「楽しみにしていた」という文に引っ張られてしまうようで、サクッと中止にならない。
じゃあ私も「楽しみにしてた」なんて書かなきゃいいのかもしれませんが、相手が先に楽しみにしてたんですが⋯みたいにつけてきたら、同じように返すと思うんだが⋯
あーあ難しい。なんか本当にこういうの苦手。はっきり中止にしたい!って言ってくれたほうが助かるのです。


非表示 14:02

昔仲良かった友達がマクロビオティックという食事法にハマっていたことがある。
よくわからないけど味気ないものを食べたり、肉を食べなくなったとか、チョコレートを控えたりしていた。
でも、それは私には関係ないからあまり気にしていなかった。本人も「ゆるくやっている」なんて言っていたから、ああ、そうなんだ、と言った感じ。そもそもその時に初めてマクロビオティックなんて聞いたし、その友達がやっていなかったら何十年も経ってる今でもその存在を知らないだろう。
「イライラしなくなった」とかも頻繁に行っていたけど、あれ、本当はイライラしてたんだなって思う。イライラしていないときに「私はイライラしていませんよ?」なんて言わないし、その発言自体が不自然だった。
私は彼女の「ゆるくやっている」「イライラしなくなった」を言葉通りに受け取って、会うときにチョコレート持っていってしまった。ゆるくやっているんだから私が気にすることもないし、マクロビオティックなんてよくわからないし、とにかく私が気を使う必要はないと。これは今でも思っていますが。
でも、すごいイライラされちゃいまして。持って帰って!と言われちゃったなー。配慮が足りないのかもしれませんが、じゃあ「ゆるくやってる」なんて曖昧な言葉を使わないで欲しかったし、何もわからない私に突然同じ感覚のゆるさを求められてもわからないのだよと。
あれから何年も経つけど、こういう微妙な言葉から配慮するって難しいですよね。「ゆるくやってる」なんて、それをやってる側からと、何も知らない側の視点なんて違うんだから。
イライラさせちゃったのはびっくりしたけど、あの子がそんなにイライラしたのを見たのはその時が初めてでした。とりあえず、私はずっと肉もチョコレートも食べられる限りは食べようと、その経験があったから思った次第です。
病気で食べられないとか、体調が悪いとかはっきり言ってくれたら、私も配慮します。ただ、強めな言葉は使いたくないけど、配慮はして欲しいって傲慢でズルいとは思う。私はこんな食事法は絶対にやらない。


非表示 12:47

今日はちょっとクーラーを使わない時間もあって、それだけで奇跡を感じています。なんか暑すぎると普通がおかしくなる。


非表示 05:49

よくある展開で離れても別れてもこの景色や出来事は覚えていたいって言い方あるじゃないですか。
こういうフレーズって相手ありきで相手と楽しんだこの場所や出来事をってことなのは重々承知なのですが、私はもう離れたら相手ありきじゃなくて、楽しかった場所や出来事のみだけだったら覚えていたいタイプです。
今はもう付き合いはない友人とか恋人とか家族だとしても今は昔とは違う感情があったり持っていたりしますよね。
その時、あの場所楽しかったーあれ、美味しかったとか、これ良かったなーって感情はあくまで、その人がいなくても楽しかった場所だし美味しいものだし良いものだということを覚えていたいんですよね。
特にもう付き合いがない、あまり良い感情でない離れ方をした人との思い出はその人にモザイクがかかってます。芸能人がやらかしてうまく編集されていなかったことにされている映像ってあるじゃないですか。あれみたいな感じです。作品や番組としての価値だけを考えてなかったことにする。役回りによっては難しいこともあるでしょうが、あなたじゃなくて、この作品を残したいの、それだけなんだ、というのは各々の記憶の中の人間関係でも起こっていますよね。少なくとも私はそうです。

2025.09.11Thu
非表示 13:49

頑張っても無駄なんじゃないのか
「そんなつもりはなかった」
って言えば許してもらえるやろ。
真面目に働いて、真面目に税金納めて、真面目に社会的ルール守って、真面目に真面目に真面目に。
しんどい思いした先に何があるん?
我慢して報われるん?
そうじゃないって言われるんやろうけど、
納得いく答えがあるんやったら教えてほしい。


非表示 13:37

今日はローストビーフにします。
耐熱ポリ袋に入れて湯煎で作る方法を試してみます。
最初にフライパンで焼き目をつけて、そのフライパンでソースも作り、ソースごと肉と湯煎する方法です。
旨さが染み渡って美味しそうだなと今から期待しています。


非表示 05:51

体調の関係もありますが、どんよりとした気持ちに支配されてました。過去の嫌なことが詰め合わせのように思い出される感じでした。
そんな中で、私は許すことは出来ないタイプなのかもしれません。もっと詳しく言うと、なかったことにするタイプの許すというのが出来ない。まあ、みんなそうなのかもしれませんが⋯
この人はこういうことをする人、言う人というのを持っていないとその先に進めないんですよね。最初に受けてしまったダメージを負いたくないし、もし、同じダメージを受けてしまったら耐えられないでしょうね。
だからいつまでもグチグチ言ってます。でも、それで自分を守っているのでしょう。

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