2025.06.04Wed
非表示 21:56

そうそう、似てるとそっくりは違うんだよね。
そして、そっくりだとしても同じではないのですよ。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ


非表示 12:18

全くわからない!という状況より、惜しい状態で間違えるのが悔しいので、諦めることも出来ず変な感じです。


非表示 05:56

AIに過去は友達だったけど今は好きではない人のSNSを貼り付けて愚痴ったら私の言いたいことや思っていることに共感してくれてうれしかったです。
これなら相手に愚痴ばかり聞かせてるとか、愚痴ばかり言う人間というレッテルを貼られることもないし、あまりに推奨されるつかい方ではないのはわかってますが、しばらくはこの使い方をしてみようかなと思っています。
謙虚なことをアピールっていうんですかね?そういう絶妙なところをわかってくれて、最近のAIは進歩してるななんて感心してしまいました。不快感をしめしたほうがたしなめられるという、これまた絶妙な嫌悪ポイントを理解してくれたのもすごい。
でも、AIで分析出来ちゃうほど露骨って考え方も出来るから、あの温かいコメントを送っている人の中にも、実は不快に感じている人がいるのかもしれませんね。かつての私が友達だけど何かが⋯という天秤を使っていたみたいに。

2025.06.03Tue
非表示 20:24

職場で声をかけられて泣きそうになった。

無責任で理不尽な仕事の振り方をされていた私を見て、断っていいと思いますよ。言ってやろうかなと思いました。と声をかけてくれる人がいた。

もう泣きそうになった。
でも、恥ずかしいから 涙出るのこらえながら、そうですよね、ありがとうございますと返事するのが精一杯。

ほんとはね、明日休もうかずっと悩んでいたの。
休んでも変わらないし、明後日の自分が追い込まれるだけだから、休みは申請しなかった。

会社でも、家でも、つらい時が多くて、どうしたらいいのだろうね。


非表示 16:04

もう、ゆで卵にしちゃったら生卵には戻せないじゃないですか。
幸い、私はゆで卵も好きなのでなんとかなるんです。
あの人は生卵からゆで卵になったのです。


非表示 08:31

アイスを食べているときに電話してくる人とは相性悪い。
こういうのってあるよねと思っている。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ


非表示 05:48

母親からの暇電に困っているという投稿をどこかのネットで見て、うちも暇電はあったなーと思い出しました。
母はもう亡くなっているのですが、暇電がかかってきたときにアイス食べていて出られなかったんですよ。それで、アイスを食べ終わった頃にかけ直して、軽い感じで「アイス食べていたから出られなかったー」と言ったら、「電話よりアイスのほうが大事なんだ⋯」と面倒臭いモードで言われて、え?となったのでよく覚えていますね。
母は病気で他界したので、その病気によって気分が塞いでいたのかもしれませんが、そういう面倒モードを私は受け取りたくなかったです。電話だと相槌とか返事のニュアンスとか上手く伝わらなかったりで急に不機嫌のような空気感を出してきたり色々あったなと思います。
今でこそ、「私、サバサバしてるから〜」なんて自分で言うヤツは自称サバサバ、自サバなんて言われてますけど、母ってこの自サバってヤツなんですよね。こざっぱりとしてるアタクシみたいなのにすごく執着してましたが、その執着が逆にサバサバ感をなくしていたというか。当時は自分も気がついてなくて亡くなって会わなくなって出た答えの1つが母は自サバですね。
これも亡くなって暇電がかかってくることもないから気がついたことの1つですね。私はこの気付きは自分にとってよい気付きだと思っています。
ネットで見た様々な母からの暇電の投稿に、「母は亡くなっているから、もっと暇電に出てあげれば良かった」なんて言っている人もいたんですが、私はもっと自分の時間を大事にして出なければ良かったという思いもかなりあるので、人によって親子関係の答えの出し方って違うんだなーと感じましたね。
1人のときにアイスを最初から最後まで食べられるのって幸せだなというのが私の最近の気付きですね。

2025.06.02Mon
非表示 19:42

会う時はいつも偶然に
だからドキドキする
15年以上前に知り合ったのにちゃんと連絡先交換していないんだ
いつもほんの少しの間だけの立ち話
最後は笑顔で「またね」
そんな別れた後の余韻に浸って
次はいつ会えるかな...


非表示 14:44

別に今オリンピックをやっているわけではないけど⋯
オリンピック選手が金メダルを逃したときの「悔しさはオリンピックでしか晴らせない」という言葉、よくわかります。おこがましいかもしれませんが、たとえ他の大会で一番になれたとしても、それは私が本当に欲しかったものとは違う、と感じてしまう感覚に似ているのかもしれません。
どれだけ他のことを頑張り、誠実に取り組んでも、それはあくまでその事への評価であって、私が本当に望む穴を埋めるものにはならない。この考え方は10年以上経っても変わらず、きっと私はこれからも「金メダルを獲り損ねた人生」という思いを抱え続けるのでしょう。だからこそ、自分で自分を大切にするしかない。金メダルにはならなくても、そうするしかありません。


非表示 12:44

「私もこういうことあって〜」って言っちゃいそうだな。
でも、これ相手の話に共感してるが故の自分語りだったりするわけだから。難しいよね。私には話しかけないでって最悪なっちゃうわ。

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