先のことは分からない
お金の計算だけすると不安になる
ちゃんと生きていけるのか
ちゃんと生かせていけるのか
何もわからない
考えなくてもいいんだろう
でも
考えてしまう
先のことは分からない
お金の計算だけすると不安になる
ちゃんと生きていけるのか
ちゃんと生かせていけるのか
何もわからない
考えなくてもいいんだろう
でも
考えてしまう
私がやるべきことはここに気持ちを吐きだす事ではなく
伝えるべき相手に伝える事。
いくら吐きだしたってあの人に受け取ってもらえないならこのせつなさは
消えない、伝えるべき相手に投げなければ解決しない。
眼鏡越しに見る世界は、もしかしたら君の見ている世界とは違っているのかもしれない。確認できないな。もう君はいないんだから。
苦しい。
苦しいわあ。
一体いつになったらわたしの中から消えてくれるのだろ。
もうすぐ6年だ。
相変わらずの熱が残っていて
いつでもどこでもキョロキョロ探す。
なにかしらの欠片を。
さっきはスーパーの駐車場で車見つけた。
でも奥さんと子供。
けどな
同じナンバーだけかもしれないし
とかとかとか
言い訳つけては。
もうね
そんなに渦巻く感情もないんだ。
あの頃みたいな好き、なのかももうわからないの。
話さなくなって、関わりが消えて
あの人もわたしもバージョンアップしてるだろうから
今のあの人がどんなかわからないし。
もちろん、早々変わらない。
けど、確実に変わる。
その狭間でもうよーわからんくなってる。
わたしの中にいるのは、あの頃の、当時のあの人で。
あの頃のわたしと今のわたし、二人であの頃のあの人が好きなんだ。
そんな、妄想だけで振り回されるのはやめたいんだけどね
やめようとずっと試みてきてのいま、なんだけどね
なかなかね
あ、なんだ、違うわ
って
そんな出来事あればいいのに。
他のことはどんどん前向いて進んでいるのに
これだけは
動かずなまま。
もうすぐ4歳になる娘とお人形遊び。
そのドレスかわいいね
そのリボンも素敵よ
と じょし! なやり取りをなさる。
お母さん、そういうのうまくできないんだけど
お嬢さんに感心するわ。
常にどこかで誰かが世界の終わりを予言しています。私は未来予知を仕事にしているので、時々、世界の終わりがいつ来るのかを聞かれることがあります。それに対して礼儀正しく「世界は終わりません!」とこたえることにしています。そして、「この世の終わりについて心配したり、考えたりする代わりに、個人生活は一変するでしょう。エネルギーというものは消滅しません。それは移動するだけなのです。資金や物資や能力を何の目的に使うのであっても、停滞している状況を再活性することが可能です。
「着物警察」というのが最近いるらしい。ネットの記事で読んで知った。着物を着ているポリスではなくて街中で特に若い女性が着物を着ている人を捕まえて着こなしやらルールやらを説いたり勝手に直してきたりする人のことらしい。
着物警察ではないけど、こういうタイプの「警察」がけっこうどこにでもいるよなぁと思った。ルールやマナー敬語の使い方や誤字脱字の過剰なまでの指摘。
話していても、言葉使いが間違っていたりしたら「それ使うなら○○ね」と本来の会話の内容よりもそこがメインになってしまって悲しくなる。自分がされたわけじゃなくても、間違っていても敬語を使おうとしておかしな言い回しになったりしてしまっている若者に勝ち誇ったような顔で間違いを指摘してるのを見るとなんだか嫌な気持ちになる。
もちろん、間違いがあるなら教えてあげたり、正しいことを教えてあげたり教えてもらったりすることは大事なことではあるけれど、日常というのは誰かの間違い探しではないということは最近よく思う。私は若者という年齢ではないけれど、知らないことやわからないことが多いし、スマホの漢字変換もよく間違えたりもする。ここでもそう。気持ちがあれば間違ってもいいじゃん?とも思わないけど、気持ちが置き去りにされるのもやっぱりツラいよね。たまに読み返して誤変換とか言い回しおかしかったりするのに読んでくれてる人もいて、そういう人もいるんだなぁと思ったら外に出たときに会う「警察」にもうまく立ち回れそうです。誰かの気持ちを置き去りにしないようにしたいなー。逮捕はしたくないしされたくない。
今日はなんとも言えない感じ
同僚としては少しずつ良くなってるのかな
でも、恋がなくなってきてるかも
仕事中と素の違いが大きいらしい
なにが彼の真実かわからなくなる