「実家暮らしでも洗濯くらい自分でやらせれば?」
まあコレ確かに一理あるといえばあるんだけど、単純に効率が悪いんですよね。
昔、私が親の洗濯の仕方か何がに文句言ったかそんなことがキッカケで中学生くらいから自分の洗濯ものは自分でやってはいたんですが、洗濯機を使いたい時に使えないし、物干し竿やハンガーは空いてなかったりで単純に効率悪いなって思ってました。
なんとか干したとしても取り込む時間にいなかったりするんですよね。それで母が自分でやらないとかなんとか怒るんですけど、それはまあそのまま干しといてくれて構わないというか、自分で取り込むタイミングでやりたいなって思ってました。単純に一人暮らしや自分しか洗濯する人がいなかったら、誰もやってくれないけど自分でやりたい時に出来るからそういうストレスがないんですよね。自分で洗濯をしなくてはならないストレスよりも自分のタイミングでできないことにストレスを感じてましたね。
下にきょうだいが2人いたけど、彼らは自分でやってたんですかね?多分やってないと思います。みんながそれぞれ洗濯機を使ってたら周りませんからね。キッカケは私がちょっと反抗したからだったと思いますけど、なんだかんだで下のきょうだいは私よりは優遇されているところはあったんだと思います。彼らから見たら私のほうが優遇されていることもあったんだと思いますが。
実家を出たら嫌でも自分でやらなきゃならないことばかりになりますし、そういうのって実家を出てからのぶっつけ本番でもいいんじゃないですかね?そっちのほうが純粋に洗濯の大変さがわかって、やってくれていたことに感謝出来ると思うのです。中途半端に手を出しちゃうと自分のペースで出来ることに有り難さを先に感じてしまうのですよね。私がそれです。
眠いはずなのにちょっと寝て起きてしまったーー
こんな時間に起きてるのは珍しい。
アイスコーヒー1.5倍が効いてるのかな?
嫌いじゃないけど美味しいってわけじゃないってわざわざ言いたいときって、もう嫌いなんだよねって自分で思いました。
「害はないけど…」とつけて、意味不明な悪口を言っていたあの人を思い出してしまったのです。どうせなら嫌い!といい切ったほうが色々スッキリするのにって思いました。今のコーヒーは不味い!
約束がすんなり決まるってやっぱりいいなぁと思いました。そういうのも相性の良さのひとつだなって改めて感じました。
暇とか忙しいとかじゃないんですよね。相手のために日時を調整しようとする動きってわかっちゃいます。
口調が柔らかいとかそういうことでもなく、自分の思い通りにさせようって気持ちってわかっちゃうんですよね。そういう柔らかだけどよく考えたら傲慢っていうのを感じない相手が長く付き合っていけるんだと感じるのです。
そういう人に対しては私もただ柔らかに相手の軸も持って色々調整していきたいです。ソフトな傲慢さを相手から感じたり自分も相手に出してしまったら、その関係は終わりです。
義父と、向こうの所有する家の今後について相談をした。
特に喧嘩したとか険悪になったとかではなく比較的穏便に話せたと思うんだけど、ここ1年で断トツで疲れた。
やっぱりセールスの電話を断るのとはわけが違う。今後も大事にしたい相手だから尚更気を遣うのだ。
でも義父にお願いをする形になってしまったので、きっと嫌われただろうな…と思って電話切った後勝手におちこんでいる。こういう交渉事、苦手な自覚はあまりなかったけどやはりこちらの意見が通っても通らなくても落ち込むなあ、身近な人相手だと。
メンタル強者にならなきゃいけないのに、いつまでも繊細な子どものままだ。
早く割り切って仕事しなきゃなー。でも今日ばかりは、ちょっとあつもりさせて下さい。
日誌IDを失ってしまった。
少しさみしい。
でも、ま、いいか。
また気持ちを整理していくのみ。
ありがとう、またよろしくね。
まだ暑いからいつもと違う大容量のアイスコーヒー用の豆を買ったけど、あまり美味しいとはいえないかな…不味いと言い切るほど自分の舌に自信はないですが、美味しいとも言い切れない微妙な味です。
テレビで忘れ物が多い場所で試着室が紹介されていて、試着した自分を自撮りするために使用したスマホを忘れている人が多いとあったんですけど、私はスマホじゃなくて手土産とした買ったお菓子忘れたことあるなーなんて思い出しました。
もう昔のことですけど、友達の家に持っていくためにお菓子を選んで買ったんです。そして、その後に自分の買い物で服を見ていて試着したんですけど、その時にお菓子を試着室に忘れました。
気がついて慌てて問い合わせて、どうにか手元に戻ってはきたんですけど、そのお菓子友達には喜ばれなかったんじゃないかなって思うのです。
当時、その友達への手土産って微妙な顔をされることが多くて、でも、まだ仲良くしたいという気持ちもあったからデパートで選んでおけばOKかな?とか色々考えて選んで疲れきっていたんでしょうね。結局、それも喜んでなかったと思います。手間をかけ、試着室に忘れて取りに戻っても無意味だったと。
忘れたのは私が悪いしうっかりもいいところなんですが、こうやって後味悪く記憶に残ってるのって、最終的にそのお土産が失敗したからなんでしょうね。それで、私も懸命に選んだのに!わざわざわざ取りに行ったのに!みたいなしこりが残ってしまっているのでしょう。少しでも気持ちを受け取ってもらえたと感じていたら、忘れたこともただの笑い話になっていたでしょうね。
結局、色々頑張ったけどその友達とは全然続いてないし、私の努力って無駄だったなーと思います。
こっそり見ている今となっては元友達のSNSでは現在の友達にもらったお土産がポストされていて映えていたので、そういうの持っていけなくてゴメンネーなんて言葉だけではそう思ってますが、当時、私が現在の友達と同じようなものを持っていっても喜ばなかっただろうなって感じるのです。
あのまま試着室に忘れたままにしておいたほうが余計な思い出が増えなくて良かったのかも?でも、忘れたままにされるのも店員さんも困るだろうし、なんなら店員さんにあげても良かったけど(笑)まあ、規則とか色々で受け取れないでしょうが…自分のかけた手間が手間だと思わない場所に置き去りにしたほうがいいお土産を買いたいなって思うのです。
自分があげたものを喜べ!という傲慢な気持ちは決してないのですが…やっぱり少しでもこまった顔されるのが続くとシンドいですよね。なんか家に誰かに招かれるのも苦手になったのは、この人との付き合いがあったからだななんて思ってしまいます。
試着室に忘れたかったのはお土産よりも、この記憶かな。
楽なやり方ばかり集めて人生全うするのも悪くないというか、人生とは自分にとって楽なことをコレクションしていくことなんじゃないですかねーと色々さぼりたい私がそれっぽく言っておきます。
ネット上に溢れている自己主張って、昔は限られた人どうしで共有する貴重な気持ちだったとような気がします。
ムカシハーなんていうと面倒な大人かもしれないけど、子どもじゃないワで大人じゃないケド…なんですよ。好きな曲の歌詞から引用させてもらうと…
限られたところで共有されていた気持ちをネットの海に放ったら、まあそりゃ燃えるよねとは思いますが、共感しない自由もありますからね。
だからと言って燃やしていいって言っているわけではなくて、素通りする自由っていうんでしょうかね?私はそうは思わないって言わなきゃならんか?って思うんですよね。
対面で厳選されたメンバーであっても意見が違うことはあります。自分とは違う人間なんだから当たり前なんですが。でも、対面だと違う意見が目の前に来たとき何らかの形で受け取らないといけないじゃないですか。この何らかの形っていうのは、共感していないのに共感したふりだったり、否定意見だけど柔らかい言い方に変換させたり、時には関係に亀裂が入るようなこともあるかもしれません。
でも、ネットに泳がせれてる自己主張は共感していないのに共感しているふりもしなくていいんですよ。そのまま放置しておけるって最高じゃないですか。それなのに放置しないで真っ当に向き合って真面目すぎると思います。
柔らかい言葉というオブラートに包むのをやらなくていいから、そのまま反対意見を思ったままに言えるのがネットのいいところと捉えている人もいるかもしれませんが、スルー出来るのがネットのいいところだと私は思っているのです。
わざわざ自分とは違う海に飛び込んで泳がなくていいのは楽です。時には共感もすることもありますが、共感したとしてもその感情をもらうだけもらって、相手に返さなくていいので楽です。
そういう楽な部分だけ掬って楽しめばいいんです。みんな真面目すぎるんですよね。不真面目って楽です。