昨日は量り売りのサラダを食べました。ちょっと高いけど美味しいですよね。
ホタテと金目鯛が乗ってるサラダでしたが少しでもグラム数を減らすために小さなものを選んでくれていて100グラムしか頼まなくてすいませんとは思ったけど私には充分な量でした。
昨日は1人カラオケへ。やっぱり楽しいわ〜そして自画自賛しとくと歌うまいな自分(笑)
ジャンルバラバラですが、その中で昨日は思い出のある曲も歌いました。
小学校6年のとき、私は転校することになって学級でお別れ会をしてもらったのですが、そのお礼?として何かこちらもやらなきゃならないことになって一曲歌いました。
その歌手のスタイルと同じでバックダンサーを友達にやってもらって歌いました。
最後だからかもしれないけど、私の歌を先生をはじめ褒めてくれました。
そんなエピソードのある歌を昨日は歌ってみましたが、普通に上手いな自分。と自分で自分を褒めてました(笑)
昔からあまり褒められることがなく、それは私が出来ることが少ないからしょうがないんですけど、数少ない褒められた記憶だからこそ、ちゃんと覚えているんでしょうね。
あの学校の子たちは私のことは覚えていないとは思うけど、何度か転校した学校の中では居心地は1番だったかも。
またあの歌、歌いたいです。
フライドポテトは野菜から出来た野菜じゃない何かだと普段は思って食べてますが、何も野菜を摂取していないときやメニューに野菜が少ないときは、フライドポテトは野菜だと思って食べています。
揚げたても時間が経ってシナシナになったのも好きなんです。心の栄養食だとは思ってます。
タイトル詐欺みたいでごめんなさいなんですが、ポジティブな話についてはワンテンポ置かずクッションも挟まずに始める方ばかりだなって思ったのです。
「ネガティブな話なので〜」「愚痴だから〜」「明るい話ではないので〜」とつけてくれるのはネガティブな話は本当はしてはいけないみたいな刷り込みがあったりするんですよね。
別に暗い話を聞きたいわけじゃないけど、そういうタイプの話にも他人を癒す力や安心させるものもあるとは思っているんですよね。自分だけじゃない、そういう気持ちわかるな〜とか。
たから私はそういう話好きだという言い方をすると悪趣味な人と思われるかもしれないけど、聞きたいなって思うことも多いんです。
一方でポジティブな話はポジティブなタイプによっては全然受け付けないときもあるんですよね。明るい話は好きな部分も多いけど、ポジティブマインドをあなたにも届けたい!ってタイプの話というか主張は遠慮したいなって思うときが多いのです。
変な例えかもしれないけど、スイーツは好きだけど甘すぎるスイーツは苦手みたいな感じに似てるんですよね。
ポジティブマインド爆発、あなたにもどうぞ!私ポジティブなんで!みたいなのにも「苦手な方はご遠慮ください」が欲しいなって思いました。でも、きっとその前置きは一生みることはないんだろうなと思います。それはポジティブは素晴らしいという時代はまだ続くと予想されるからです。
ネガティブをポジティブに進めるくらいが丁度いいんですがね…
今日も頑張ってネガティブに生きる。
逐一人の行動見てる人ってどこにでもいますね。
何かやろうとしたら瞬時に飛んできてお願いされたり、少しでも間違ってたりすると、その場で注意してくる。
頼み事も後から言われるよりはマシだけど、それを頼むためにずっと見ているのか?と思うとゾワゾワしますね。間違えに対してもその場で言われるほうがマシって考え方も出来るけど、間違えるハズだ!というベースで自分を見てるってことは、嫌な気持ちにもなりますよね。
そういうのが続くと、何もしたくなくなっちゃうんですよ。何かすれば頼み事か注意されると思うと、何もしないほうがマシだって思ってしまいます。
1つの組織の話じゃなくて、何処にでもそういう人はいるってのが疲れます。じゃあどうしたら?ってわかんないですよね。だって、監視カメラより性能がいい人種なんですから。「いつも見ていくれてありがとうございます」と言っておけばいいのでしょうかね?こういう人間型監視カメラの人って自分ベースじゃなくて、他人ベースなんでしょう。そういう意味では可哀想なのかもしれません。
不測の事態に備えておけば、不足の事態は防げるのでしょう。
直接的にも間接的にも何かしら準備していてその日にどうにかなっていればいいですよね。どんなことも。
最近、朝はなんだか書けなくて。ネタを出し切ったわけでもないんですが、書きたいことはたくさんあるような気がするし、何もないと言うのも本音のような気がします。
で、ちょっとキモいこと書いてみますね。最近、キレる練習してるんですよ。練習っていうか無意識にやってて、それに気がついた後にも止めずにキレる練習をしているというわけです。
主に父にいざというときにキレる練習、父の姉にキレる練習をメインにしています。もう、理不尽に怒鳴られたり意味不明な圧や理論を振りかざされたらキレてやろう!って思ってるみたいです。「思っているみたい」と書いたのは、無意識にキレる練習してたり本能的なものなんだと実感したからです。
この本能的なものに従って見ようかなと思っています。ただ、自分からは絶対にキレません。導火線に火を放たれた放火のような状態にされたらキレようと思っているのです。キレるなら効率的に相手にダメージは与えるけど自分のエネルギーは最小限にしたいから、練習を無意識にそして、時には意識的にしているのでしょう。脳内でひたすら練習を繰り返しているだけなので大声で怒鳴り散らしているわけじゃないのでご安心を。
そんな練習しなくてもいいんじゃない?って思うかもしれません。でも、たぶん練習はしておいたほうがいいです。まったくの他人ならもう会わないということが出来ますが、親や親戚はそうはいかないのです。それが辛いところですが、この練習が私の心を守っています。練習だけで済むならそれが1番いいのでしょうね。
なんだ、たくさん書けました。
初姪っ子が生まれて嬉しくてあれこれ買ってあげるけど
兄と義姉から、なんの連絡もない、もちろん写真もない
みてね、ってアプリを親戚中に登録させてるのに更新がない
もうそう言う人だって思ってる。
子育てしたながら働いてるし、仕方ないけれど
別にお礼がして欲しいわけではないので、放置することに
以前母がクリスマスにって送ってもなんの連絡もなかった
兄自体がそう言う人なのでそれを嫁に強要するのは良くないってことになってるけれど
なんか、すっごいモヤモヤする
小姑すぎるのかな?
感情的に、ならもう買わないって思っちゃうよね
天邪鬼すぎるか?
姪っ子は可愛い
けど、微妙すぎる心が狭いな
秋だ。
多分、恐らく、きっと、確かだ。
気温が下がった。
冷房をかけていてもジワジワと外から忍び寄る熱気が去った。
秋だ。
そうだ。
ありがとう、秋よ。
夏よ、もう戻って来なくていいよ。
来ないでよ。
また来年。
それまでにちょうど良い夏になってよ。
今は臨時だし正職でもないからもちろん給料は低いけど
以前勤めていたところの環境に比べたら
ストレスもない、十円ハゲもできない
あのひとがなんたら、、、なんてこともない
だから変える予定は今ない
けど
ひとり親で養育費もらえてない
将来は不安だらけだ。