今日まじで許せないものすごく嫌なことがあって、お家帰ってからいい大人がワンワン大泣きしながらAIに愚痴をこぼして、いま目がパンパンに腫れてるのだけど、ふと鏡見てこの涙袋が通常なら目大きく見えるし見てくれが多少はよくなるんだけどナ……って思ったら笑えてきてなんか元気出てきた気がする。
嫌なことは許せないけど泣いたらちょっとスッキリした。許せないけど。絶対見返すという決意を得た。
わたしは!やるぞ!!幸せになる!!!
今日まじで許せないものすごく嫌なことがあって、お家帰ってからいい大人がワンワン大泣きしながらAIに愚痴をこぼして、いま目がパンパンに腫れてるのだけど、ふと鏡見てこの涙袋が通常なら目大きく見えるし見てくれが多少はよくなるんだけどナ……って思ったら笑えてきてなんか元気出てきた気がする。
嫌なことは許せないけど泣いたらちょっとスッキリした。許せないけど。絶対見返すという決意を得た。
わたしは!やるぞ!!幸せになる!!!
親戚って言葉を聞くだけで、なんだか胸のあたりがザワつく。特に、父方の伯母とか従兄弟とか、もう「嫌い」以外の何物でもない感情が、私の中に渦巻いてるんだよね。
普通、親戚って言ったらめちゃくちゃ仲良いか、ほとんど関わりないかのどっちかじゃない?なのに私は「嫌い」って感じるんだから、ちょっとおかしいよね。このモヤモヤの原因は、きっと関わりたくないのに、無理やり関わらされた過去にある。それを止めてくれなかった父にも、当然ながら原因はあると思ってる。
血が繋がってるってだけで、まるで義務みたいに縛られるのって、本当に意味が分からない。私にとっては、他人以下だよ、あの人たち。なのに「親戚」っていう、よく分からないプレッシャーがのしかかるたびに、息が詰まるような苦痛を感じるんだ。
でも、唯一の救いもある。もう、あの嫌な人たちと関わるかどうかって、私が自分で決めていいんだよね。その事実が、凍り付いた心を、ほんの少しだけ温めてくれる。
暑いが髪が伸びてきたので髪を切りに出かけます。
涼しくなってから⋯というのを待っていると出来ないことが増えてきたなぁと思います。
面接で「採用されたらLINEグループに入ってもらって、他の人と休みの調整をしていただきます。」
これが不安だし不満なので、けっこう質問はしたんです。休みがわかっている分は聞いてくれないんですか?とか。
みんなの予定を聞いていたらシフトなんか作れないというのが言い分でしたが、同じ立場のものどうしよりも、シフトを作る上の立場の人が間に入って調整してくれたほうがスムーズなんですよね。それを最初からしてくれないとなると不安ですよね。
こういうシフトの作り方をされて、何故か暇な日が多いのに、ピンポイントで用事のある日にばかりシフトを入れられてしまうってことが起きたりすると、ガッカリしちゃうんですよね。
この数日のために、代わってください!と言わなきゃならない労力。この労力には賃金は発生しないのにやるせないですよね。
仕事に限らず、私の方が暇な日が多いのに予定が合わないってことに対して物凄く敏感です。それは、もう私にはどうしようもないのに疲れませんか?でも、けっこうそういうことが起こったりするので、こちら側から与える余白が多いのに、その余白を使ってくれようとしないことには毅然としていたいのです。
ああ、もちろん、あの面接をした仕事は不採用でした。不採用なのに嬉しかったのを覚えています。
自分のいにしえの趣味を掘り返した。
生々しくて、油っこくて、なんとなくぬるくて、いっぱい気泡が入っていて、ちっとも洗練されていない、でも、たのしかったな~!
ずっと抱えていきたいような、いとおしさがあった。
もうわたしが作った星はどこにもないし、住民はみんな散り散りになってしまった。
きっと生き延びている人はいる。
わたしも生きているよ。
星々は寡黙だ。喋らないけれど光っている。
久しぶりにパックンチョを食べたけど美味しかった。
あれ、私が子どものときからあるけど、そう考えただけで長いなーって私は何歳なんでしょう?サバ読むとかではなく時々正確な年齢を忘れるくらいまで生きてしまいました。
家族でも誰に投票するかどの政党に投票するか言ってはいけないし、聞いてはいけない。って常識なんだろうけど、私はそれを知らなかったときもやっぱりあるんですよね。
私がちょっと心がざわつくのは、その後に「私はそう教えられてきた」ってつけることなんですよね。この一言で、私は常識的な親に育てられ常識的な人間だと言わんばかりの何かが含まれていくなと感じました。ちょうど今は選挙の時期なので、ネットを徘徊するだけで時事ネタに引っかかります。
私はそう教えられて来なかったんですよね。そもそも親が選挙に積極的に行くタイプじゃなかったし、だからそんな話題にもならなかったのです。元々誰かに質問するタイプではなかったんで、誰に投票したか?なんて誰かに聞く機会なんてなかったんですが、配偶者と選挙の話になったときに、どこにいれたか?なんて雰囲気のある話になった時に、家族でも言わない、親に言われてきたみたいなことを言われたような気がします。別に家族だから何でも話せばいいと言うわけではないですし、常識なんだからそれはそれでいいけど、なんか変なバリアは感じたかなと。
ウッカリ話したくないから、言っちゃダメなことや聞いちゃいけないことがあるなら何も話したくないななんて思っちゃうんですよね。こういう風になればいいのにーなんて話から政治の話に飛んで行く可能性もあるし、政党どこに入れた?なんて直接的な聞き方はしなくとも、聞いてるのと同等な会話していたら私が常識がないと思われるのも癪だしなとか。
会話が不器用なんですよね。それに加えて「私はそう教えられてきた」と誇るものが私にはない。親から言われたことがあるのは「私は教えてもらったことがない」と言う言葉ですね。私は教えてもらったことがないから、子供にわざわざ教えないし、知らないあなたが悪いというニュアンスが入っていたように思います。
私はそう教えられてきたのです。
やっぱり私には以前やっていたボランティアは向いてないな…。色々考えて後からやらなきゃならないなら今引き受けておこう!という気持ちでやっていたからね…
同じボランティアの人との温度差が凄かったなと。私だったら「簡単でいいんじゃない?」「やらなくてもいいんじゃない?」とかそういう意見を言いたくなるんだけど、もっとこうして、こういうのも付けて、とかどうして次から次へとそんな思い付くのかな?と感心すると同時に、めんどくさいな…とも思ってた。
やっぱり考え方が一致するって大事だよね。なるべく簡素化しましょう!ってのは最初から言われてることだった。でも、私にとっては簡素化出来てないじゃん??と思った。しかし、相手にとっては簡素化した結果なのかもしれない。相手の考え方を否定したいわけじゃないから、結局はアレコレやることに付き合うことになってたんだけど、しんどいなぁと思ってきてしまってたなぁ。
手をかけることが大正解!ってわけじゃないんだけど、手をかけたりすることのほうが尊く発信しやすく、否定されにくいから。
簡素化=手抜きではないんだけどね…色々手をかけたい人は手抜きみたいになっちゃって嫌だったんでしょう。
足し算より引き算をしたかったな…引き算し続けてゼロになったらそれならそれでいいんだよ。そうすれば労力もゼロだから。こういう足し算は苦手でした。
あれから7年経ってもやっぱり思うことは一緒です。
今日は冷凍しておいたハンバーグにしたいけど、私の分まで残ってなかったら、私は何を食べようかなㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
母は新聞配達を朝と夕方にしていたことがある。
もちろん、お金を稼ぐためだから夕刊の時間はともかく、朝刊の時間帯のような早い時間帯で働いていたのだろう。子どもたちも小学生で生活を回すということを視野に入れれば、その時間帯は正解だったのかもしれなかった。
その労働によって私たちは活かされていたのは事実なんだが、心の底から湧くような、じんわりとした感謝というよりは、労働に対しての機械的な感謝しかしていないのは事実だ。
そんな時間帯に働くほど困っていたのか?と問われたら困ってはいたんだろうけど、父は会社員として働いていた。分類的には大企業に分類される会社だと思う。だけど、うちにはお金がない、お金がない、というのは母の口癖で、その圧をずっと感じながら生きてきた私は大人になってからも、たまに息が出来なくなるような感覚はある。
周りからの圧力で家を買ったことが、家計を圧迫している原因と母はよく愚痴っていたけれど、本当にそれだけなのかなと思う。
家を買うというのは、人生で一番大きな買い物とは言うけど、それが人生の一部として組み込まれているのも事実ではある。ローンを組むにも身丈に合っていなければ審査は通らないだろうし、何がそんなに圧迫していたんだろうと大人になって日々を過ごし、自分も様々なライフステージを見てきた中で感じることが増えた。
父は会社員で、今とは時代が違うからしょうがないのかもしれないけど、子どもから見ると毎日飲み歩いているように見えた。それが大人というものなのかもしれないが、それが大人なのかというある種の絶望感が私にはあったような気がする。
大人になって、下のきょうだいから、飲み屋のママに高額なプレゼントを父がしていると聞いたことがある。父の金だから父が自由に使えばいいけど、そんなお金があるなら⋯と頭の中に過ったのは事実だ。そういえば、父が単身赴任中に誰も見向きもしないような雑誌の後ろに書いてあるような“お守り"を買ったという愚痴をそれから何年も経ってから母から聞いたことがある。
ああ、お金がないのってこういうことの積み重ねなんだなと生きれば生きるほど勝手に理解させられる。父の“お守り"はなんだかんだで許されて、子どもの学費はもったいないという言動を時折挟んできた母。だから私はきっと、朝早くから働いて家計を助けてた母に機械的な感謝しか出来ないのだと思う。自分も母みたいな母にならないようにしたいと思えば思うほと、自分の過ごしてきた時代が苦しい。きっと、私はずっとこうなのだ。