週末、20年近く付き合いのある友達と会います。大学のときの友達です。ランキングなんて言ったら嫌な感じだし、そもそも友達そのものが少ないですけど私の中では1番仲良いなって思えている友達です。向こうがどう思ってたとしても別にいいんですけどね。
10年以上前は高校の同級生もとても仲良いなって思ってて、そもそもランキングとか考えてはないですけど、今思えばかなり上位のほうにはいました。
だけど、高校のときの友達とはもう疎遠なんです。もう知りすぎちゃった故にしんどくなったというのはあります。高校の友達だから制服着てカラオケいってファミレスで喋って…とやっていた頃が1番ピークかなと。なんだかんで卒業して10年近くは付き合いあったけど疎遠です。
今度会う大学のときの友達とは何が違うんだろう?と考えてみたら、まず一つにグループではないことですかね?個人的付き合っているので相手と向き合いやすいのかなと。向き合うというほどマジメな雰囲気ではないけど、結果的には向き合ってます。高校のときの友達は私含め3人グループなんですよね。それで、1人と予定も考え方も合わないって思い始めてたら誘われなくなったので、そのままです。残りの2人は続いてるのかは知らないけどどっちにしろ私はもうそこには入らないのです。
で、2つ目はシンドイときにピンポイントで会えてたのが大学のときの友達なんですよね。偶然ですが、仕事で嫌なことがあったとき約束していたり就活のときにバッタリ会ったりとか…そういうタイミングがとても良い。偶然だとしてもそのタイミングに私は救われてきたなと振り返ると感じることが多いのです。
あと最後は考え方ですよね。いい子、いい大人ぶらないでいられる関係っていうのは大きいです。
高校のときの友達がネットに「幸せすぎてコワイから当選したコレを譲る〜」という内容なことを書いてて、詳しい内容は端折るけど、譲ることって大事だけど当選したものをわざわざ誰かに譲ろうとするってすごい大人に見えるけど、そんなことをしないで当選を当選として受け取って楽しむほうが良いのではないかと感じたことがあったんですよね。それをやっちゃうと譲るのが偉いから他の人も同じように譲らなきゃならない雰囲気になっちゃうときがあるんですよね。そういう先のことまで考えてないいい子ちゃんぶりがもうシンドかった。
一方で、大学のときの友達はそういうのがない。これも詳細は端折るけど、ある手伝いをしていて配っていたオマケが足りなくなりそうなときに、ちゃんと「もうオマケはありません」って伝えてたことがありまして。自分の取り分をわざわざ差し出さないところが私も遠慮しなくてよくなったので、有り難いなって思ったのを今でも覚えています。
そんな感じで全体的にはかなり長くなったけど、まとめると個人的に付き合うことと、タイミングが合うこと、大きくいうと価値観が合うことがな大事なんですよね。この大きくいうと価値観ってところが誰かから見たらちょっとしたエピソードだったりするところに隠れているんですよね。そういうのが大事なのです。
人類に課された本当のゴールはなんなのだろうか。
この繰り返しに似た時の経過はあと何年続くのか。
本当の終わりを見届ける前に私は終わってしまう。
どうか、この私を継続してほしい。
「虎に翼」が終わり、新しい朝ドラが始まった。
主演の方は大好きな人だけど、いまいち食指が動かないので、多分見ない。
虎に翼は、男性社会にバキバキと切り込んでいく女性も、家庭を守る女性も、どちらにも属さない女性も、すべての人を肯定するような内容でいいなぁ…と思った。
でね。
急に思い出した。
高校のクラスメイトの女子。
わたくし、20世紀も残すところあと数年という頃、ど田舎でJKやってたんですけれども。
リアルに「バスは一日二本来る」のど田舎。そんなところでも高校があるんだから、ありがたいことではある。
おうちが農家という子も多くてね。
その女子をAちゃんとして。
Aちゃんは親から「高校卒業後は就職するか、実家(両親と兄夫婦)を手伝うこと」と言われていたらしい。
看護師になりたいと伝えると、「公立の学校のみ認める。浪人不可」と言われていたそうで。
Aちゃん、進学目指して頑張ってた。指定校推薦は私立ばかりだったし。
休み時間も参考書広げて。塾や予備校なんてないし。
あったとしても、おうちの手伝いで行かせてもらえなかったかも。
学校から帰ると、おうちの手伝い。
学校に来る前にも、おうちの手伝い。
その合間をぬって勉強。
で、受験の結果。「不合格」
Aちゃんは「しょうがないよ。やるだけやったし」と言ってた。
すべてを諦めているような、悟っているような。そんな顔だった。
卒業後、数年してからふわっと聞いた話では、地元の町立病院で働いているということだった。
「看護師になれたんだ」と私が言うと、教えてくれた相手は「看護師ではないようなんだけど」と言っていた。
教えてくれた相手とも連絡が途絶えて久しい。
どうしているだろう。あの子も、あの子も、みんな。
回覧板が来ているとテンションが下がる…
ハッキリ言うと必要なことが何も書いてないんだよねぇ…
このシステム地味にアナログだなと。
「やりたい人だけでやる」こんな単純に思えることが難しいと思えること、私にもあったなーと。
あるYouTubeチャンネルを観ていて、自分も子どもが幼稚園時代のことを思い出してしまっていました。
その方の言っていることは逐一共感で、イベントやりたい側の保護者が持ってくる企画に賛同しないといけない雰囲気ってあるんですよね…私はやりたくない参加したくないけど、参加したい人だけでどうぞってなかなかなりにくい。自分が参加したくないというだけで、やりたい人の気持ちを否定しているわけではないのですが、参加しないというだけで企画を否定されたと感じさせてしまう雰囲気があの場所にはなぜかあるんですよね…
だから、そんなイベント企画しないで欲しい!っていう極端な意見も出てきてしまうのもわかってしまいますが、変ないい方をするとさわやかに不参加にさせてくれればそんな意見は出てこないんじゃないかなとは思うんです。
幼稚園の一部の保護者の結託感ってすごくて、みんなそこに入り込むのが当然だと思っているからだいたいの人は巻き込まれてしまうんですよね。もうハッキリいうと台風みたいな感じですよ。
その台風になんとか耐えてきたって考えたら私エライなって思いました。こんな風に感じられるからネガティブに聞こえる発信って私にとってはありがたかったりするのです。ネガティブを閉じ込めすぎて持っていないポジティブカラーで無理やり塗りつぶすのもうやめましょうよ〜ってこの世全体に思っているのです。
漠然とした不安。
お金のこと。
老後、生きていけるのか?
今は仕事があるから、なんとかなっている。
投資とか難しそう。
投資できる余剰がないや、、、
と、なんとなーく不安はあるが、ひとまずしあわせなんだろうなー。
あしたから仕事。
行きたくないよぅ。
日曜日の夜は苦手だ。
AIにいろいろ悩み事を聞いてもらったけど、求めている答えが返ってこない。
別に間違った答えではない。
人間に聞くよりも親身に的確な回答を表示してくれる点は非常に使い勝手がいい。
ただ、結局は自分自身との対話が必須だと思い出させてくれる。
久しぶりにスタンディングのライブに行くことにして今から緊張してますが、楽しみは楽しみです。
指定席って有り難いですね…体力が心配…
昨日は近所のマッサージ屋に行ってきました。1時間コースで長めだと思ったのに案外早く終わりましたね。
初めて行った場所でしたがセラピストの人も感じ良く、変な圧もないけど、足裏への圧は良かったです(笑)
私ってやっぱり年齢重ねてるんだなーとあらためて思わされました。昔はマッサージなんて行こうとも思わなかったのに積極的に行っている。変な凝りがどうしても溜まっていくので、それを除去しないとなかなか平均寿命まで生きるのは大変そうです。
生きていくためといえば、あるライブのチケットがとれず…正確には指定席を希望していたのにとれずということになりますが…
スタンディングのライブって勇気がいるんですよね…昔は生きたきゃ行くの精神でスタンディングも大丈夫だったんですが…
でも生音は聴きたいのでスタンディングでもチケットをとるかどうか悩んでます。そもそもそれすらとれない可能性もありますが…でも、こうやって好きな音楽があって小さなとるかどうしようか悩んでるのは有り難い。そういう好きなものが自分の人生にあることが有り難い。あと平均寿命から見ると人生半分くらいはありそうなので、自分の好きなものをちゃんと好きでいるための距離感は大事にしたいのです。だから好きでも無理そうなら諦めるではなくて受け入れるって体勢にしていきたい。そしてマッサージに行くみたいに自分のメンテナンスもちゃんとしてどうにか生きていくかというのが最近の私です。
久しぶりにドラマを見た。テレビでやっていた「踊る大捜査線」何年ぶりなんだろう。地上波で放送は。
なんかなー、泣いた。画面の中には昔みた夢があってさ。
昔に戻れた。
やっぱり私はさ、昔が好きなんだなと思った次第。
見たらさ、やっぱりそこにさ、変わらない昔のままのみんながいてさ、みたいなさ、、、なんかさ、すみません意味不明で(;>_<;)この絵文字も古いんだけれどさ。
あえて使う。懐かしくて。
青島くんがいた頃。
言葉に出来ないこの気持ち。
青島くん、ありがとう!!!!!!!!
めちゃくちゃ個人的な話ですみませんでした。
明日からも、頑張ります。
それでは皆様、オヤスミナサイ。
身体、大切にしてください。