会社なら元が取れずにとっくに撤退してるはずの行為で、本来ならバレないように上手くやる方が金を集められるし、人を固定させれば分け前も技術も上がるから金集めにはいいはず、それに年寄りなら脅せば金のありかを言うだろうが必要以上の暴力、毎回のように駒の使い捨て。何であんな割に合わない金額の盗みで人件費とかで資金源は底をつかないのか。まるで他に目的があり、むしろ暴力や事件性が目的に見えてくる。以前あった炎上商法で投げ銭や仲間内ヒーローの為に寿司屋とかで常識外れの行為をしてた連中になんか似てる、腑に落ちない闇バイト強盗の行為。
「いつも自分から誘う」ってモヤモヤしている人いるけど、私は基本的に自分からは誘わないです。例外はあるけど…友達なら基本的に誘われたら行くし、なんとか調節します。どうしてもダメなときもありますが。
こういうスタンスなので、誘われたほうが予定が合いやすいんですよね。だからあまりそこまで自分からしか誘っていないってこだわらないで欲しいのが本音。あまりこだわれすぎると誘われてもプレッシャーになるし、誘わなきゃ誘わなきゃって思っているのが負担に感じるんですよね。
別に誘い役がいたっていいと思います。その方がスムーズならば。仮にお互いに誘わないといけないという見えないプレッシャーがあると、私から誘ったときはスムーズに予定が決まらないと嫌だなって思っちゃうんですよね。誘われたら自分はなるべく予定を組み込むことを優先するし、相手にもそうして欲しいって思っちゃうから。だから、誘われるほうが楽なんですよ。相手も私と予定を組みたいから誘ってきているというベースがあるし、私は誘われたら行くのスタンスがあるのでそのほうがスムーズ。
もちろん、そんなスタンスだとずっと誘われないこともあります。もしかしたら相手はいつも「自分から誘う」と思っていて、私からの誘いを待っていたのかもしれません。それでもいいんです。私は予定がスムーズに決まることも相性の1つだと思っているので、スムーズに決まる方法や手段があるのに、それを使わないっていうのはもったいないなって思うのです。
予定を合わせるって大変だし疲れるっていうのが本音だから、基本的に個人的にしか会わないし、グループとか無理なのは予定調整の乱がシンドイってのもあります。みんなよくやっていますよね。
このシンドさがわかるからこそ、誘ってくれていることには感謝しているし、それは返しているつもりなのです。
今まで惰性で行ったランチ会、飲み会、イベントの金額を足したらけっこうな金額だよなーとケチなことを考えてしまいましたが、楽しくなかったのにもったいないなってやっぱり思ってしまいます。これからは楽しいランチにお金を。
涙もろいとか感動して泣いたは別に構わないけど、それを絶対に伝えてくる人って何なんでしょうね。
その涙、本当なんだろうけど、その涙が流れたことを言いたいっていうのは心が幼稚なんじゃないかなとも思う。幼稚だからこそ想像力が単純ですぐ泣くのでは?と思ってしまうのです。
人の涙にあーだこーだ言うのは下劣な行為だとは思うんですけどね。何回もアピールされると涙もその行為も全部幼稚だと思ってしまうのです。
泣いてることって知られたくないじゃないですか。なのにそれをネタにしてしまうところに本当の幼児よりも幼児性を感じてしまうけど、純粋な幼稚さじゃなくあざとさまで感じてしまう。
この作られたちょっと加工された感覚の純真さを見せて生きてきたんだろうな。
この人を嫌いだと言う事は、自分は穢れています。と周りから受け取られてしまうところが無理なんだと思う。その純真さを盾に真後ろで自分の好きなように生きているだけの人なのに。
過剰な無垢アピールをする人に警告音が鳴るのは、この人と人生で関わって私が泥のように感じさせられるからだと思う
最近洋画見て思うけど、船って夢の象徴なんだよな 飛行機のない時代だと新天地で夢を掴むぞとなると必ず船に乗る
船乗りはがさつで粗野だけど気前がよく職業として憧れの的だったという話もあり、船に関するあらゆるものが花形だった時代もある
久しぶりに余白の時間が生まれたけれど、この雨じゃどこにも行けないと思い動かず。
計画してからの旅よりも、思い立ったときに動けるこの身軽さを大切にしたい。
パーカーってかわいいな
けど、しまうのにかさばるし
干すのに場所をとるし
乾くのに時間がかかるから買わない
と言い聞かせて何年たつのかしら
パーカー着る年齢じゃないかなも追加だわ
ひとつ買えば気が済むんだろうけどね
若者の一部度を越した事件をニュース見るたびに、想像力の無さとその犯罪をする・しないの選択をするにしても、その土台に自分の戻れる場所を家族が作ってくれてる事を忘れてるなって感じる。
学生が金が無いから一攫千金のような犯罪に加担し金稼ぎをする。お前が学生でいられるのは、どんな親かは知らないが、少なくとも毎日仕事をしコツコツと長い時間をかけてお前の為に学費を貯め、少なくともその貯めた金は自分の人生の好きに使う事を諦め、お前の為に用意したまとまった金だって事だよ。嫌な日も辛い日も仕方なく仕事を続けた長い日々をお前は軽はずみな少しでも楽に大金を手に入れようとした思いだけで、全部台無しにしたって事だよ。そんな家族の前でお前は家族の絆や思いを家族の目の前でビリビリに破り捨てたって事だよ。お前に親しい人や友人や仲間がいるなら、お前のその人生のその犯罪に加担する前のその時に、何の変哲もない人生って言って普通の生活を送れてるなら、それは全部お前の周りのその人達がいるからその環境でいられる事を忘れるな。よく想像しろ。当然に思うな。
闇バイトの闇は、お前の人生が闇になる闇の入り口って言う地獄の一丁目の看板だよ。闇バイトはやる人間がいなきゃ、無くなるんだよ。動物のように自分を自制しづらい生き物じゃない人間って言うなら、人間を目指せ。
愚痴とかネガティブな話はしないようにと気をつけていると、イザというとき話すことがないんですよね。
昨日もそんなことがあって疲れました。話すことないのに一緒にお茶してる状況っていうんでしょうか。
でも、もうそんな感じでいいんだと思います。お茶を飲みたいからお茶をするって感覚ですかね?無理に話そうとか考えないほうがいいです。
愚痴とかネガティブな話はしちゃいけないというのが定説ですが、それ以外の話も聞きたくないときは別に聞きたくないじゃないですか。暗い話がどうかってよりは、その話今聞きたいか聞きたくないかなんですよね、本当は。
昔はそういうフィルターがなかったから関係を築けたんですよね。別に愚痴も言ってたけど、ちゃんと明るい話もしていたような気がするのです。
自分で言うと変な感じになりますが、あの頃は相手は「私の話」に興味があったんです。だから私の話すことなら何でも良かったんでしょう。そういう状態のときって、例えネガティブな話だったとしても、そんな話を自分にしてくれたことがありがたいとか、信頼されてるから話してくれるって感覚になるんじゃないでしょうか。それが自分にはよくわからないタイミングで「私の話」に興味なくなってしまったみたいですが。
信頼してました。じゃあ今信頼していないのか?と問われればそういうわけでもないのです。信頼の種類が変わっただけなんですよね。ここは信頼しようとか、この部分は信頼まではいかないかなってちゃんと引き出しに場所が決まってて、必要あらば信頼を取り出す感じに変わりました。
それをやっていたら今は向こうのほうが話すかも?私も時々スイッチが入ればディープなことも話しますが、ああ、話し過ぎてしまったなと思うことがあるので、それは昔にはなかった感覚ですね。
もう昔みたいにありとあらゆる事は話さないですね。ただありとあらゆる事を話しているようには見えるのかもしれません。それが出来るようになってきたのは成長かもしれないけど悲しさもあったりしますね。
のどがちょっとむせるけど、カラオケ行きたくて行きました。
最初はダメかな?と思いましたが歌っているうちに治りました。
そして今もむせる感じや喉の乾燥した感覚がないので治ったんだと思います。