知恵とは、たずねる価値のある質問と価値のない質問を知っていることです。答えにも、わざわざ聞かせるほどの価値はない答えがあります。では、知っている誰かがさほど情報に飢えておらず、質問を浴びせかけるようなことがなかったら、どんな気分になるでしょうか。防御的になるのをやめてガードをゆるめますか? どうやら今、「余計なことは言いたくない」モードで会話が行き詰っているように思えます。誰も、何も言おうとしません。でも 尋問者の役割を演じるかわりに、質問を控えめにしておくほど得られる情報が多くなるということを覚えておいてください。それから、自分の考えを明かさない権利があるということも。
将来を見据えて未来をみつめる女と、今のことに意識集中して生きていく男
現実みている女といつまでも夢みてる男
これでは話が平行線になるのは当たり前である
見ている方向が全然違うではないか
まあ生物も違うし当たり前なのだが
だから男と女は面白いのかもしれないな
予定を入れるのが苦手なのは単純に怖いからだ
彼女が嫌いとかそんなんではない
何日も先のわからない日にちに「この日!!!」と決定打を打つのが怖いのだ
何があるかわからないからだ。怖いのである。
ただそれだけのことである。単純なのだ
今日明日ならわかるが一か月先のことなどわからない
彼女にも仕事にも自分にも迷惑かけたくないからなのだ
それって自分勝手で無責任なのかもしれない
大人になりきれていないのか子供のままなのか
そういう男性は意外に多い
律がかっこよすぎて
どつぼな事してくれちゃって
どーしよーーーな
最近
あんなこと漫画じゃなくて
だよ?
と思うが
ドラマだよ。
(笑)
恋なんて贅沢がわたしに落ちてくるのだろうか
ずっとまえ
きいたなー
なんだっけ?
言葉が好き。
いつも。
秋だな
もう夏じゃない。
暑くても。
女性は優先順位という言葉が本当に好きだなあとたまに思う。
なぜいつもその言葉を使うのだろうか。
「私と仕事どっちが大事なの!?」にも同じことが言える。
なぜなのか。
どっちも大事だしその大切な二つに優先順位などない。
大体その二つに優先順位つけること自体がおかしな話ではないか。
逆に「なんで?」という感じだ。決められるわけがない。
どちらも同じぐらい大切だからである。
仕事も彼女も友達も自分の時間も寝る時間もみんな普通に大切である。
男性は優先順位という言葉自体意味のないものというか、
あまりそういう何番目とか意識はないと思う。多分してない。
そういう感覚もない。普通に自分の時間を主軸として過ごしてるだけなのだ。
どれも大事な大切なその時の今の行動なのである。
分業化してるというか女性のように同時に一つのことをできないし、
その時その時に集中しててクリアしていってるだけの、
ただそれだけのことなのでその行動に一位、二位、三位、四位、
五位なんてないし、どれが悪いとか嫌いとかそういうのでもないし、
彼女が面倒臭いからとかそんなんでもない。なんか、単純なのである
だから予定も苦手である。ていうか嫌いだし得意じゃない
難しいな・・・このへんから違うのかな
学生時代、一人暮らしを始めて体重が15kg落ちた(浪人生活からの解放、楽しいながらも新しい環境に慣れるまでの地味なストレス、移動が基本徒歩か自転車での生活などによる)のはいいけど、どうもデコルテが削げるような痩せ方をしてしまったので立っていると肋骨がわかるようになってしまった。胸の形も崩れた気がする。
どうせ増やすなら脂肪じゃなくて筋肉の方がいいと思って筋トレしようと思って1回はやってみるけど次の日には忘れてしまう。そして続かない。
毎日10分くらい携帯見る時間減らせばいいんだけど、携帯眺めてぼんやりするのもリラックスのひとつになってるんだよなぁ。
ここに書いたら覚えてられるかな、と思って覚え書きしておく。
何かしらの反応があると見込んで話した内容に
軽くスルーされる
どうでもいい話をしつこく何度も言われて反応を待たれる
反応してしまうようなことをわざと言われる
よくわからないタイミングで見てくる(思わせ振りに様子をうかがう感じ)
好きな人にイラついたとき
何にイラついたか書き出すといい、と
書いてあったのでやってみた。
ざっくりまとめると
からかわれてるのか、リアクションを期待されているのか
それだけな気もする。
私の話にリアクション薄いのが気に入らないのも
結局私も彼にそれを求めていると言うことかな。
ノリの良さが災いして
大抵のことを「前フリ」だと感じる自分のせいでもある。
普通に接したら収まるのかもだけど。
う~ん。
どうしようかな。
なんとかうまいこと利用して気持ち動かせないかな。
願っていたようには運んでいない物事について話し合うことにしましょうか? うまくいかなかったことの責任を誰に負わせるべきなのかについて一緒に考え、それらの間違いを正すためにどんな行動が取れるのかを検討してみてもいいかもしれませんね。でも、そんなことをしていれば、一日はあっという間に終わってしまうでしょう。問うべきことは、何をしくじったのかということでもなければ、誰のせいなのかということでもありません。本当に問うべきことは、今の混乱の背後に隠れているチャンスに 気づけるかどうかということです。それに気づけたら、うまくいかなかったことを含めてすべてに価値があったと言えるでしょう。
家族のAがあんまんを食べたいらしいから、買ってきてあげなよ?と家族Bに言われているけど、好きなものを買ってきてもちょっとしたワガママやら文句がプラスされたりして嫌だから今日は買ってこない。プラスマイナス0の状態が一番幸せなんじゃないかと思う。
ちょっとしたワガママや文句で、私が嫌な気持ちになっているから買ってこないという理由があるのに、「いつまでもちょっとしたワガママや文句を引きずっている」という雰囲気をBから感じて不快だった。
結果的に傍観者の立ち位置のB。傍観者はいくらでもキレイな事を言える。そして、傍観者はなぜか「いつまでも怒っているほうが悪い」という思考になりやすい。
そりゃ、誰かが怒っている姿、怒られている姿は美しいとは言えない。だから、怒っているものを我慢させれば一番美しい景観になると傍観者は思うのだ。
とりあえず落ちているゴミを拾って、一時的にキレイな景色を取り戻しても本当は意味ないんだよ。ゴミを捨てる人がゴミを捨てないようにしなければ、すぐに汚くなるんだから。
ゴミを拾ってくれる人ももちろんありがたい。だけど、ゴミを平気でその返に捨てる人には、何も届いていないんだよ。本当の意味での大掃除はゴミを捨てる人をどうにかすることしかない。だけど、それは大がかりすぎるからとりあえずゴミを拾って、ゴミを捨てないで!とだけ言って、キレイになったから怒らない~怒らない~って言ってるほうが楽だからね。
そういうことがいろんなところで起こってる。
表面だけどうにかするのも大変だからしょうがないか。