なんかストレスは溜まっている自覚はあるけど、解放のされ方はわからないです。
なんか地雷がその辺にあるのに、ぶつかったお前が悪いと言われているそんな感覚になる。
私の家庭はまさしくそんな感じだった。離れてもこの感覚に敏感になって生きていくしかないのか。
ほんのちょっぴりアウトプット。
新聞朝刊がおもしろかった。
家族のおかげで有料会員になってる新聞があって、たまに1面読むだけでも国の施策とかわかっていい。ネットニュースは暇つぶしになるけどインプット量が足りない気がする。
今更なのだけども。
AIが集めてきた参照元がすべて生成AIが作られたものだった場合、どれがどう正しいのか、どう判断すればいいのだろうと疑問に思っていたけれど、新聞など公共の機関、専門性の高い団体などが発行している、いわゆる「人間」がきちんと精査したレポートなどがソース元であれば信用性が高い、ということらしい。
たしかに文章や情報を正しく伝えようとする集積物と言ったら新聞だ。
正しい選択ができたような気分になっていて、備忘録としてここに書きにきた。
まあ、自信がないけどね。付け焼刃アウトプットごっこだから。
いつもよりクリームが倍増のケーキを食べました。
美味しかったけど、いつも通りでいいかなと思ってしまいました。
例えば、玉ねぎ美味しい〜と言うより、玉ねぎ嫌いって言う方が、誰かが反応してくるんですよね。
「わかります〜みんな美味しいって言うけど何が美味しいかわからないです。わかってくれる人がいて嬉しい」「玉ねぎ嫌い?それはおかしい、玉ねぎの旨さがわからないなんて人生損してますよ。」まあ、こんな感じですかね?
玉ねぎ美味しいと言っても、「あんな目立たないもの、時々辛いし美味しいとか思わない」とわざわざ表明されるときもありますが⋯基本的に肯定的な意見より否定的な意見のほうが人を集めやすいとは思います。
玉ねぎ不味いという意見に対して、最初のような「わかります〜」から始まる意見は私も嬉しかったりします。玉ねぎのようなみんなが嫌いとも思わない食べ物を自分は嫌いで、それをわかってもらえた喜びっていうのは大きいと思うので。
だけど、後者の「玉ねぎ嫌い?〜」の意見は本当見たくないし、いらないなーって思うけど、自分が好きで世間一般からも受け入れられている玉ねぎを嫌いな人をわけることで自分が安心したい人なのかもしれません。
まあ、コレ、嫌いってわざわざ言うこともないのかもしれませんし、好きなものを語るより嫌いなものを語るときのほうが言葉を選ばなきやならないので、難しいのですが。
これは例なので私は玉ねぎ好きですよ。ただ、世間一般に浸透していることやものが苦手だったりそういうのはやっぱりあるのです。そんな感覚が同じだった人をみつけたときは、ちゃんと共感したいなとは思っています。
誘拐の拐と招待の招って似てるけど意味が正反対過ぎる漢字だなーと思ったりした。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
冷やし中華は好きだけど作るのは辞めてます。
作ってもらったのを食べるのが一番美味しい食べ物なんじゃ?と
夏になると思うのです。
記憶を持って戻らないと意味がない
記憶を持たないで人生をやり直しても、結局は同じことの繰り返しだからということです。
じゃあ記憶を持って人生をやり直したら、上手くいくのか?と問われたら必ずしもそうではないかなとも思うわけです。
1回目の人生とちがうのは自分だけが以前の記憶を持っていることなので、その他の環境は変わらない。記憶を持っているからこそ、その環境を変えてやろうと意気込んで変わる部分は大いにあるとは思うんですが、それを達成するのに待ち受ける困難みたいなのは以前と変わらないでしょうね。
頑張って勉強して前よりいい高校、大学に行こう!と私が目標を立てても、結局、親は変わらないのであれば一緒ですかね?確かに頑張って1回目よりは知識も高まるかもしれませんが、「あんたなんかが大学?」「絶対公立高校にして」と言われていたのは変わらないと思うんですよね。それで、ああやっぱり頑張ってもこんな感じなんだと2回目の余裕で諦めることも出来るとは思いますが、やっぱり心が疲弊するのは変わらないでしょうね。
でも記憶を持って戻ったら、なんとか大学からは家を出て、事あるごとにに言われた「居候のくせに」っていうのは回避できるかもしれないですね。でも、難しいかな?親を納得させる大学って本当に国立の有名なところしか1人暮らしさせてもらえないだろうからね。それでも、もし頑張れば行けたのかな?なんてありもしないことを想像はしてるけど、傷つくのは1回目も2回目の人生も一緒だろうなということはわかるのです。
図書館で借りてきた酢漬けの本を参考に、きゅうりの甘酢漬け作ってみた。
この本、酢漬けと言うよりほぼ全編甘酢漬けだった。
作って食べてみて思い出した。私、昔から甘酢が割と苦手だった事に。
自分では甘酢味のものを一切作らないので本当に忘れてた。
残念だ。次回は普通に一本漬けとかにしよう…
人によって感じ方は様々だとは思うけど、時々柔軟剤を使うといつもと違った香りで気分転換にはなりますね。まあ色々配慮は必要なんでしょうが⋯
最近、香害なんて言葉もでてきているけど、香水以外は香をさせるという目的より、ただ香り付き洗剤の場合は洗うことが目的で、香りをさせることを一番の目的としているわけではないんですよね。じゃあ、無香料を選べば?という意見もあるかもしれませんが、そもそも洗うことが目的で香りはどっちでもいいので香り付きかどうかでは選ばないんですよね⋯適当に目に入ったものを買ってそれが香り付きだっただけという話で。
無香料がメインというよりは、無香料がいい人がわざわざそっちを選ぶという流れが一般的だと思います。なので、消費者に訴えかけるよりも、販売してるものを無香料メインで香料つきのをわざわざ選ぶという流れにしてもらえたほうが助かりますね。
別に私が迷惑だ!と言われたわけではないんですが、香"害"なんて言葉まで発生すると、いやいや、ただ洗ってるだけだよ?って人のほうが多数だと思うんですよね。もちろん、香りが苦手という人がいるは理解しますし、私もタバコの匂いとがは苦手なんで匂いが強いものが苦手という感覚は理解してるつもりですが、タバコの煙と一緒の扱いはちょっとおかしいんじゃないかとも思うのは事実です。