好きだなー、いいなあって思う人ができると
でも恋人と付き合うまでの過程がめんどいし
やっぱいいや、でも好きだ、どうしよ
みたいな思考によくなる
駆け引きもできないし好きな気持ちが重い
でもそういう存在がいればいいなあとはたまに思う
過程に対して頑張れない
友達が少ないから友達じゃなくなるのが怖い
無理のない距離感で相思相愛になることって
今から本当にあるのかな
文房具屋に翌年の手帳やカレンダーのコーナーを見かけると、もう今年も年末なんだと感じる。来年のカレンダーをどうしよう。
求めているのが、あまりニーズのないタイプなのか、毎年見つけるのに苦労していた。シンプルで小さくて壁に掛けられるのが欲しいだけなのに、なかなか見つからなかった。
Hütte Paper Works の Botanical Garden というカレンダーは、少なくともここ数年、毎年発売されているので、去年買った時にもう毎年これにしよう、と思った。
先週、ネットショップで買おうと思ったら売り切れてて、去年買った店に行っても売ってなくて、またカレンダー難民か、と困っていたが、今日、表参道まで出かけたら買えた。
何軒か目星をつけておいた店の中から 1 件目で見つかって買えたので、そのまま真っ直ぐ帰れば良かったのに、小さなペンケースが欲しくなって何軒も回っていたら、帰るのが夕方になってしまった。まあでもいい買い物をした。
少しだけ休憩したら夕飯にして、その後、靴磨いたりアイロンかけたりしないと。…するかな?
たばこ屋さん、金物屋さん、八百屋さん。小さい個人商店での買い物が好き。顔を覚えてくれて、会計の時に以前のあの話、どうてした?なんて声をかけてくれる。
品揃えはスーパーやホームセンターに勝てないけど、その分ちょっとしたことに気を利かせてくれたりして「また来よう」と思うことが多い。
ボタン1つでなんでも買えるようになったけど、やっぱ対面のお店を利用したくなるのはこういうところ。
親元を離れて13年。働きはじめて9年。
何に2回だけ実家に帰るけど、2日もいると「家族」のやりとりが面倒くさくて冷たい態度を取ってしまう。そしてあとからものすごく後悔して落ち込む。そうなるのがわかってるのに、いつまでもこの癖がなおらない。
家族のことは好きだけど、家族という組織を運営するだけの能力がわたしにはないのだと思う。憧れはすこしあるけど、結婚もきっとしない。本質的には自分のことしか考えていないのを自覚してる。
自分から家族をつくらないなら、今いる家族くらい大切にしたい。って思ってはいる。うまくできないだけで。でも年に2回帰ったって、あと100回は会えないのわかってる。大事にしよう。大人にならなくちゃ。
たくさん歩いた。特に目標や目的があったわけでもないけれど、その場で適当に考えたプランで適当に電車に乗って適当にスマホでその周辺を検索し、適当に目的地を探し、知らない場所なのに地図もちゃんと見ないで適当に歩く。もちろん、地図を見てないから適当に探したその場所には辿り着かない。
それでもどうでもいいよね~と思うくらい、適当なこの自由が楽しかったなー。
今、たまたま見かけたカフェで寒いのにコーヒーフロート食べてバカみたいだけど、楽しいよ。
こういう行き当たりばったりの楽しさに飢えていたのでいい気分転換になったなぁ。
カロリーも消費したけど、一瞬でコーヒーフロートのソフトクリームの部分でプラスになる。
減らすのは大変で増やすのは簡単。だからなるべく増やさないようにしたいのに、あれもこれも増やそうとする人に最近疲れてるんだよなーと空になったコーヒーフロートに思いをぶつける。
何か増やすときこそ、減らすときの方が大変なことを一瞬でもいいから考えて行動したら楽になりそうだけどね。
なかなかそれが難しい社会なのです。持ってるものでどうにか過ごすことを頑張りたい。
安全地帯だと思って生息していたこの空間で、突如として汚い言葉を目にした時の心臓の痛いこと。
B級ゾンビ映画を観るぞと意気込んで観るのと、激甘ラブコメを観ていたはずのに実は胸糞悪いホラーだったとでは全くもって心臓の痛さが違うのよ、とは私のおばあちゃんの言葉である。
結婚を機に趣味卒業と言われてしまった。
そんな簡単にやめれるもんなんだ…とか、私って成長してない?とか寂しさと自己嫌悪で凹む。
その人にとって結婚が価値観を変えるくらいの出来事なのか、元々それほどの熱がなかったのか、両方なのかはわからないけど。
私には無理だなあ。絶対やめたくない。生き甲斐だし。全ては趣味のためって感じ。
ダメ人間の自覚は十二分にある。
でも、本当にこんなこと続けてていいのかなって不安もある。
だから必要以上に凹んでるんだろうなあ。
結局のところ、どう解釈するかな訳で
それが例え勘違いだとしても
その解釈を元に自分は感じたり動いたりするから
いつしか勘違いが真実になる場合もあると思う
これは、マイナスなことだと確かにありそう!と思うのに
プラスなことだと、勘違い=痛い、恥ずかしい
に、なってしまうんだよなぁ
痛くても恥ずかしくてもいいから
勘違いしてやっていきたいと思ったのが、最初。
そのうち、本当に勘違いだ、と思ってきて
馬鹿馬鹿しくなってきてやめようと決めたのが、途中。
でも結局やっぱり気になってしまうし
出掛けるのも楽しかったりするから
勘違いしていようかな、と、最近思ってる。
私はやっぱり勘違いで傷つくのが嫌なのかな。
どうなんだろ。
やっと就職が決まって、働き始めたと思ったら
嫌なニュースが多い。
2016年の秋に
今まではメールのやりとりしかしてなかった友人と会うことになり、なぜか向こうが勝手に盛り上がってしまい。
お互いのいろんな話をしていた。
そんなときに家に呼ばれ、行くのやだなと思いながら行った。このとき2人きりで会うのは初めてだったんだけど、やたらと心地よい空間、
「甘えるの下手くそだなー」って言われたことを思い出す。
一緒に寝ようって。
初めて体が密着したときは、お互いこの気持ち良さはなんだろうって。
朝まで話し込んだ。ベッドの中で。
そんな彼と些細なことからこじれ、
音信不通に。
近所なので私が見かけることはあっても
向こうが気づくことはなかった。
2018年11月17日。
彼は結婚した。
あのとき、あんなに今までにないくらい
心地いいと言われたけど、他の人でも結局いいんだなって思うと泣けてくる。
素直に喜べない。
おめでとうって素直に言えない。
私が住んでいるこの街を出て行くのをやめた矢先のこと。
しかも知らされたのはソーシャルから流れてくるタイムライン。
彼は私のツインソウル でした。
ってこんなの信じるの?って思うけど。
しばらく立ち直れそうにない。
夢の中で夢を見たことがありますか? 夢の中で、目覚めたばかりだと思っています。さて、愛情面で今の状況がどのくらい現実的なのかを推し量ることができません。どう判断したらいいのか分からないのです。物語はまだまだ続いていくような気がしてなりません。すべてが前触れなしに突然変わってしまうような気がします。新しい発見をすることができるでしょう。でも心配すべきことは何もありません。そして、これまでに体験してきたことの重要性を疑う理由は何もありません。