今週疲れたー
悪口にまみれたり、自分が凡ミスしたり…
また来週もみんなで集まったりしなきゃならない。
それが疲れる。
凡ミスは自分だけで行動していて、自分だけがまた補填のために動けばよいからまあ、これはいいか。この帰りにパン買ったり楽しみもあるからね。
みんなで集まって作業系は本当に逃げ場がないからキツイ。あともう少しだと思ってやるしかない。
今週はこの世界に自分は向いてないなぁと思わされた週でした。予定詰まり過ぎても自分が壊れるなぁとも思い知る。
来週はひとりでゴロゴロする時間をあえてとろう~
もう、けんかなんてしなくていいんだ。
明日の電車、時間を気にして苛立たなくていいんだ。
自分の好きな時間で、なにをしてもいいんだ。
そう思いながら、あの人との生活から離れていく。
いろんなところから、離れて。
私はあの人が知らないわたしになっていく。
次の四月から新しい上司が来る
もう一人新しい人も増えるようだ
ずっと辞める機会を探してた自分には
これが最大のタイミングのように感じる
8年くらいになる
正社員ではないが職場環境も悪くなく
条件も良すぎるくらいに良い
ただ、もういいかなと思う
小さい不満はあまり見ないようにしてきたが
塵も積もればなんとやら
今日は巻き込まれミスでなんだか疲れた
明日からハローワークに行く
※婦人科の内容なので苦手な方は非表示で
不妊治療のため産婦人科に通い始めた。
夏に夫婦でブライダルチェックを受けて問題無かったけど、お互い仕事が忙しくてなぁなぁになってた。
わたしが社員を辞めてパートになったので、通う時間と気持ちの余裕ができたわけだ。
この病院は、職場から近いし、ネットで予約できて待ち時間の目安もわかるから通いやすい。
しかし日曜祝日は休診、週末は午前診療のみ。予約して行ったけど1時間近く待ち、全部終わるまで2時間強かかった。これは、絶対社員のままだったら通えなかった。先生も普通に「来週の水曜の午前中来てください」とか言うし。
しかし不妊治療はお金がかかる。その点ではパートで収入減となったのは痛い。今日の検査も保険適用外だったのでお会計で非常にドキドキしてしまった。
以前、不妊治療のためとは言わず、月に1〜2回通院のため平日半休を取りたいと希望したけど、人員が足りないから無理と言われてしまった。だから仕方ないのだけれど。
30を超えたら、婦人科検診の度に「結婚して1年経ってるならすぐ不妊治療始めなさい」と言われ、でもまだ仕事忙しいしなぁ、皆そんなに急かさなくてもいいのに、って思ってたけど、ちょっと分かった。欲しい気持ちがあるなら早い方がいい。たとえ20代でも、必要ないと思わないでブライダルチェックだけでも受けた方がいい。ただ根拠なく「自分は大丈夫だ」と思うのと、ちゃんと診てもらって「自分は大丈夫だ」と思うのは違うものね。
そしていきなり最初の検査(通水検査)が、人によっては気絶するほど痛い、と聞いていたのでかなり覚悟して行ったが、わたしは全然痛く無かったのでホッとしている。結果も問題なかった。
これだって、3年後、5年後受けたら、全然違ったかもしれない。もちろん若い人でも問題が見つかることはあるけれど。
だから、給料は減っちゃったし、病院のお金も痛いけど、いま仕事をセーブして治療を始めたのは正解だったと思おう、と自分に言い聞かせている。同じような方がいたら、ちょっとは勇気でるかもしれないし。わたしは全然痛くなかったですよ!勇気出して行きましょう!と。こんなところで言っても誰も見てないかもしれないけど。
さー、お昼食べてハロワ行こ。
今、ある商業施設が出来るまでのプロジェクトの模様を書いた本を読んでいる。
その本で出てきた言葉が「可変性」
見た通りの意味で、変わっていくことが出来るということ、またはその性質。という意味。
その本の中では、施設の母体は変えずに、様々なニーズや時代に合わせて変えたいと思うときにすぐに変わっていくことが出来るような作りを最初からスタートするということで「可変性」という言葉が使われていた。
私はこういう何かが出来るまで~といった本は読んだことがなかったから、こういう業界では「可変性」は当たり前のことなのかもしれないけれど、何かを生み出すときは末永く利用していただけるようにというのを一番念頭置いてスタートするものだと思っていた。
しかし、分母となるものは変えずに必要とあれば、分子の部分をすぐに変えていくということは、遠目からみたら末永く続いていくということにもなるんだろう。
イメージとしては同じデパートの中のテナントを時代やニーズに合わせて俊敏に変えていくという感じ。⚪️⚪️デパートはずっと存在しているけど、中身はいつも新鮮な店揃いということか。
私はこの施設でもなく、デパートでもなく生身の人間だけど、自分というこの軸というのは変えられない。建物でもないから解体して新しくするわけにもいかない。
でも、「可変性」を持って自分の中の自分を時流に合わせていくことが出来たら、結局は自分が続いていくのではないのかなぁと思った。それが具体的にどうするか?ということはわからないけれど、自分の中のいらない部分に何か別のものをすぐに着替えさせて、似合わなかったらすぐ着替えさせての繰り返しをすればよいのかなー?だから着替えをする体力だけは自分が持っていなきゃならないよね。それが自分にとっての可変性ということかな?
笑顔はタダです。どんな問題を抱えていようと、あるいは従わねばならないと感じている戦略が どんなものであろうと、心を落ち着けるよう努めてください。ポジティブな考えで行動すれば、周りの人々からも同じものが返ってきます。ですから、できるだけ穏やかに、協力的であってください。このところ、あるバカバカしい状況が 苛立たせています――非協力的で、しかも気まぐれな人物がいます。口論に訴えたり、まるで自分が負けを認めているかのように感じるのは簡単なことでしょう。でも、思いやりのある寛大な態度をとることで、思っている以上に大きな変化を起こせるはずです。
今年に入ってから初めて日誌を書く
去年から色々なことがあり様々なことがあった
しかしそれら全て意味のあることなのだろうと思う
無意味なことなんて何もないのだきっと
何かしら意味はある
無意味という中にも、意味は存在しているはずだし
無意味だからこそ何か意味があるのかもしれなくて
その日々の中で人間は生きているのかなと思う
全てのことに感謝しながら生きたいと思う
なにか、アウトプットする作業がしたくて。
でも、小説なんかは書けないし、絵は好きだけど、アップできるほど上手くはない。
もっと気軽に、あまり人の目に触れないような。
「Nisshiがあればなぁ」
ずっと前に利用していて、なくなってしまったサービスを思い出した。
なんとなく、淡い期待を込めて調べてみたら、ここに辿り着いた。
すごく嬉しくなって、早速書き込んでいる。
「Nisshi」を利用していた方達は元気にされているだろうか。
もう私のことなんて、覚えていないだろうけど。
文字を綴ることは、楽しい。
これからも、楽しく気ままに綴っていこうと思います。
可能性がなくなったら
あれこれ妄想することもなくなって
つまんなくなっちゃったな
まぁ、妄想するのは勝手だから
別にしてても良いんだけど
なんかなぁ