2024.12.28Sat
非表示 09:20

引っ越しをしてやっと部屋が片付き、いろいろな住所更新の手続きも終わり、少し落ち着いた。長めの休みを取ったおかげで、3日くらいで大体片付いた。

前の部屋より日当たりが良くで少し広いので、より快適に過ごせそう。

近所を歩き回ってどんな店があるのかをチェックしたり、日用品の買い物をしたりしているが、前よりも便利なところかも知れないと思える。

築年数が前よりも古い部屋で家賃も少し安いのだが、設備などに多少古さを感じるところもあるけど、割と綺麗だし不便さはほとんど感じないので、良い部屋を選べたような気がする。


非表示 06:06

むっつりという言葉はほとんど使わない、助兵衛にかかる言葉にしか使わないなぁと最近思っていましたが、谷崎潤一郎の小説で出てきました。単純に喋らないという表現にもっと感覚的な空気感付けたいときに、むっつりという言葉は適しているかもと思いました。100年くらい前の小説って言い回しが難しいけど感覚が現代にも通じていたりして、時代の移り変わりの途中を感じられて重なる部分を見つけると面白いですね。
今日は何をむっつり取組むのか。使い方これで正解ですかね?


非表示 05:58

今年は後ろに引っ込むことになりましたが、どうにか住み着くことも出来た1年と表現しておきましょうか。
最近は熊が冬眠しないで人間の住居に居座ったり、スーパーに籠もったりとありましたが、やっぱり表に出ると熊というのはその存在だけで人間には排除されてしまう。それはそういうものだからしょうがないですけど、私は熊のような人間のような、人間のような熊なので排除されたり反論されたりすると疲れます。
でもなんとなく最近は居心地が良い場所になってきました。夏くらいから徐々に自分にとっては敵だなと思える人がいなくなって良い場所になったかなと思うのです。
機種変更をしたので、新たなスマホで以前の攻撃を受けた地に行ってみたら、攻撃をしたのがなかったことになっているんです。更地となっていました。更地にするくらいなら最初から攻撃しなければいいのにダサいなって思いました。自分が攻撃したという自覚があるから更地にするんですもんね。どこにでも自分から爆弾をしかけて逃げて行く人をよく見かけますね。
そんなこんなで私は今のような冬眠生活に入ってますが、以前より早目に冬眠を終えて前にいます。誰にも反応されていなくともそれはそれでOKですし、たまたま見つけて良い痕跡を残してくれた人には素直に感謝しています。

2024.12.27Fri
非表示 10:03

冷凍の中華丼の具、うずらもネェ、肉もネェ、白菜変な水分出ると文句を言われたけど私が作ったわけじゃないからまあいいやってなってる。確かにうずらの卵と豚肉くらいは入ってたほうが美味しいよね。


非表示 06:21

昔の元友人のブログによく登場していた元友人の友達、最近めっきり出てこないなーなんて思い出しました。
時は流れてブログから他のSNS媒体に移行してたけど、それでもあんなに仲良し記事が多かったのに、もう存在感が薄れているというか付き合いあるのか?ってくらいに登場しない。
あれだけドラマティックな友情を見せつけられて、おそらく私よりも断然好きな友達なんだろうなって感じさせてたのに、現在の私と同じように連絡すら取ってなくて疎遠になっていたとしたらまあ、なんか面白いかなと言葉のチョイスが意地悪かもしれないけど思います。
どのコミュニティにいたとしても私が1番であるわけがないって考えているから、友達の友達に嫉妬とかはないんですよね。こう書くと、いやいや、嫉妬でしょう?と思われるかもしれませんが⋯
元友達の友達のブログも私はよく見ていました。なんかやっぱり元友達と似たような感じの文体と内容がそこにはあったなと。
わざわざ言わなくてもいい、自分の温かさを載せてるというところが本当に元友達にそっくりだったなと。
私、あの頃はまだ付き合いはあったけど、元友達を嫌いになりかけてる時期というか、ほぼ嫌いだったのです。だから付け足さなくてもいい温かさなんて思ってしまっていたんでしょう。
元友達の友達というか、私にとっては他人さまに飛行機で会いに行って自分の家族と両親を連れて感動の再会!みたいな記事があったけど、ここで私の気持ちはさらに引いていったからよく覚えている。自分の友達に会うのに家族を巻き込んで、みんな楽しそうだったと言い切れる精神に⋯
でも、それが公開されたから私はもっと元友達を嫌いになれたし、他人さまと同じような感覚持てなくて、家族総出で会いに来られても歓迎出来ないって思ったのです。
類は友を呼ぶなんて言うけど、私は同じじゃなかったんだなって久しぶりに思い出しても、そう感じます。でも少しでも友達だったのはいったいなんだったんだろう?って疑問は自分に対して今も持っています。
そして、もう存在感がない、他人さまとはどうなってるのかな?なんて思いました。悪趣味で元友達のSNSは見ているけど、全然出て来なくなって、他の友人とのドラマティックっでハートフルな投稿で溢れているので⋯家族ぐるみでのお付き合いだったはずなのに⋯もしかしたらSNSという物語には出て来ないとだけかもしれないけど、飛行機の距離感をわざわざ会いにいく関係なのに表面上だけでもなかったことみたいになってるのは滑稽だなって思いました。そうやって、自分の温かさを表現出来る人が元友達の親友なのかもしれません。その都度、親友が変わるタイプなんでしょう。私は元友達の作品にはなれなかった、それだけなのです。

2024.12.26Thu
非表示 21:21

酔ってませんみたいに振る舞っても明らかに酔っていて
浴室がやけに静かと思ったら案の定湯船で居眠りしてて、声掛け
上がってきたら歯も磨かず下着のままベッドに横たわり、声掛け布団掛け
放っといたらどうなるんだろう、わたしだって早く寝たい
その上無施錠だった、翌朝気がついた、腹が立つ
そこまで確認しなきゃいけないのか
たいして飲めないのに何度も繰り返す
いい歳して情けない恥ずかしい
早く痛い目にあえばいい


非表示 18:36

クローゼットの中だけじゃなく、湿気のような人たちのために除湿剤を盾にしてどうにかやり過ごすことが多い世の中が疲れるのです。すぐゼリー状になるし、天日干しサインすぐ出るしもキリがない。そんなことばかりです。


非表示 06:24

自分で自分を褒めておくと、私ってどこにいても何をしていても独立した人間であることを諦めていないのかも?でも自立しているとは言い切れないので、なんとも抽象的な褒め方ですね。


非表示 06:19

今日はテレビを見てもネットを見ても、優しくした後の反応を見ることになるんだろうな。
ぼんやり書くと、こんな事してあげたからこんなに喜んでもらえたみたいのを延々と⋯ 
わかりやすい罵詈雑言に嫌悪感を持つことは、ある意味正しい反応だから、それを撒き散らされときに嫌悪感を持っています!と堂々と出来るから楽ではあります。
ただ、微笑ましい目線、温かい気持ちだけを持つことが正解だという何かをぶち撒けられて、本当は胸焼けしてるのにそんなことはなくて、素敵だねって思い続けなければならない圧が私を疲弊させるのです。
こういうことをもっと具体的な単語や状況を散りばめて言うと、嫉妬だの非情だの言われるから言わないのですが、胸やけしてるってことは言いたくてここで書いてます。
温かい何かをぶち撒けてくる人たちとは違う立場だから嫉妬してる?という勝手な決めつけもしんどい。いやいや、同じ立場だったりするんですよ。同じ立場なのに私は温かさを関係のない人にはぶち撒けないからそれをやっている人に辟易してるんです。
私はきっと自分がどの立場に置かれていても、披露された優しさに疲労感を覚えてしまうタイプなんです。
うちでも普通にその日らしく過ごしたし何もやっていないわけでもないのに、なんか勝手に格下にされているような気になってしまう成分が撒き散らされた優しさの中には含まれているような気がするのです。


非表示 01:18

最初は節約のため、そのうち子供達のリクエストにより、クリスマスは毎年シフォンケーキを焼いている。
まあ、私がスポンジと言えばシフォンしか焼けないからそうなっただけなんだけど。
今年もシフォンケーキ仕込んでオーブンに入れたところでふと脇を見ると小麦粉が目に入る。
え?ちょっと待って?私、小麦粉入れそびれた?!
さーっと青ざめたけど後の祭り。そのまま小麦粉なしシフォンケーキ的な何かの出来上がり

こんな失敗、一度もした事なかったからかなりショック受けた。
なーんか今日はボリューム足りないなと思ったんだよね。小麦粉分量が減れば当たり前だけど。
出来上がったシフォンケーキのなりそこないは、それでもそこそこ美味しかったので良かった。
小麦粉分材料が減ってるので、いつもより甘くていつもよりシュワっと溶けるようで、歯応えのないカステラみたいなお味でした。
あまりに残念で納得いかないので近日中にリベンジすることになった。頑張ろう。

ページ上部に戻る