たぶん私が患者だから優しいんだと思うけど。
主治医はとても話しやすくて相談もしやすいから自分の父親だったらどんなにいいか‥
毒親のもとに生まれると考えがおかしい。
たぶん私が患者だから優しいんだと思うけど。
主治医はとても話しやすくて相談もしやすいから自分の父親だったらどんなにいいか‥
毒親のもとに生まれると考えがおかしい。
桐箪笥の引き出しから、父方のばあちゃんのものと思われる小さな手帳というかメモ帳を発見。
◯月◯日 ◯◯(私の父)が◼️(土地名)から無事に帰宅。
◯月◯日 △△(私の母)さんにご挨拶。
◯月◯日 ◯◯と△△さんが来訪。
とか私の父と母のことばっかり書いてあってしみじみ読んでたんだけど、「◯月◯日 ◯◯と△△の結婚。人生最良の日」って書いてあるのを見つけて一気に涙腺が決壊した。
その後も母の懐妊やうちの長姉の誕生くらいまで父と母と会ったときのことばっかり1pに一言ずつ書いてあって、びっくりしながらすごく嬉しかった。
ばあちゃんは父と母の結婚をこんなに喜んでたんだなぁ。すごくいいものを見つけた気分。
そうだそうだ!
今日は朝からカフェオレ飲んで無いや。
思い出せたので、ちょっとゆっくりしようかな。
起きてから、ずっとやらないとあかん事がたくさんでバタバタしてる。
でも、8時を過ぎる頃にはもう何もしない。
テレビを見て、家族と話して、ビールを飲む。
その為にバタバタするのだ。
よし、ゆっくりの為にがんばるか。
私、けっこうな年なんですが、独身で、もう結婚とかいいやって思ってたんですよ。
でも、ネットで仲良くしてる20代の女の子に「婚活パーティーに行ってみたらどうですか。ご縁は向こうからやって来ませんよ」って上から言われて、なんかカチンと来て、その勢いでマッチングサイトに登録しちゃった。
婚活パーティーはいやだけど、そういうのなら気軽にできるし、と思って。
で、そこそこメールが来るんですが。
そこのプロフにのせた写真がね、カメラアプリで撮って、別に修正はしてないんだけど、実物より若干いい感じに写っちゃって。
ま、アプリ使って不細工だったらアプリの意味ないんですが。
なんか、ホントはそんなにかわいくないけど、いいのかな、てか実際会ったらめっちゃガッカリされるよね、とか思ってしまうわけです。
私ってバカですか? バカですね(;'∀')
もう嫌すぎて近づくだけで疲れてしまう人がいる。
今日はその人に会わなくてはならなかったから疲れた。やっぱり軽めの頭痛を引き起こし、終わったらどっと疲れがやってくる。
それを癒すために、甘めのシュガーコーティングされたパンとアイスコーヒー、そして食後にチョコチップザクザクのアイスクリームを食べた。
パンとアイスが逆になっても全然問題ないくらい甘い昼食だった。
実はその人を含むランチに誘われていたけど、邪気を感じながら食べる食事は不味すぎるので断った。
外でランチに比べたら今日の昼食は300円くらいしかかかっていない。自由なのに安く済んで楽しめるって最高だな。
最近は断ることによって産み出される自由に快感を覚えている。
これを続けていたら誰もいなくなるかもしれないけれど、この解放感は何よりも薬だと思う。
周りに人がたくさんいても、自分がいなくなるくらいなら今日みたいに甘い甘い昼食を勝手に食べるほうが幸せなのかな?と時々苦いコーヒーを飲みながら考えてしまった。
時として、何もかもが完璧にうまくいくこともあれば、そうでないこともあります。よく見てみれば、好調と不調の時期があなたと同じ人たちもいるものの、大半の人々はそうでないことが分かるでしょう。それはとりもなおさず、あなたが素晴らしい一日を過ごしているときに私が最悪な一日を過ごしているという日がいつかやってくることを意味しています。そのようなバラツキがある理由を簡単に説明することはできません。でも、一つ確かに言えることは、あなたは決して運に見放されているわけではないということです。実際、今週末を見てみれば、そのことは今にも明白になろうとしているように思えます。あなたにもたらされる幸運をぜひとも楽しんでください!
推敲しているうちに投稿しなくていいかーって書いたものを全消ししたんだけどその状態でブラウザ閉じると次に新規で書き込もうとするときにログが残っている事があるのでそれを防ぐための投稿
推敲してるうちに別にいっかってなってしまったので何も書くことがないな
今年の梅雨は長いですね
引きずられる性格だと、(インターネットを使うのは)難しいと実感。
気楽にいこ。
ところでマストドンとかどうなんだろう。
楽しそうだけど、日本人少ないよな。文字系のとこもまだないっぽいしな。
私は「いつも冷静でクールだね」と人に言われる。大体みんな、そういう。私の総じての印象は、そうなのらしい。自分ではあまりよくわからないが。確かに私は無口だ。あまり話さない。口数も少ない。「ほんと、いつも静かだよね。」とか知人は言う。ほっとけい。あまり話す必要性を感じないからかな。だけど、私は冷静なときばかりではない。中身はかなり熱い。大体燃え滾っている。趣味に走る。しかし何故周囲にはクールに見えるのか?中身は熱いのに見た目はクールって何だろう。どうして、そうなるのだろう。長年の疑問。他にもこういう人、いるのではなかろうか。いつも冷静だけど、本当は中身ぶっとんでるとか。あるよね。私もそれ。冷静さを装っているのか。そうなのかもしれないな。ここで一つの仮説に辿り着いた。多分、私の本当の性格はかなり暑苦しい人間なのだ。しかし、どうだ。毎日毎日暑いままいたら、きっとさぞかし周りの人間ははた迷惑であろう。だからこそ、普段は隠しているのかもしれない。セーブしているのだつまり。それは偽りではないのだが、自分をセーブしているのだ。こうすれば、わかりやすいと思う。それは自分が一番よくわかっているはず。本当は暑苦しい人間であるがそれをそのままにしてしまうと暴走してしまうがゆえに、自分で自分を制御抑制しているの。ふーん。なんだそうなのか。書きながら理解する。さてここで、文章表現が暑苦しいとはよく言われる。短歌のように俳句のように綺麗サッパリ、ネット界隈が好む短文にスパッと歯切れのよい記事はあまり書けない。この日誌を見てもわかるように、まるでそれは暴走機関車のごとく、話にまとまりがなく右往左往しながらここまでのダラッダラと長ったらしい文章になってしまっている。大変申し訳ない。読みにくくてすみません。これが私なのである。あまり普段から話さないのは、文章表現にパワーを持っていってしまっているからではないか。そこで全てをさらけ出すのだ。普段無口な人は、案外こういう熱い人間なのかもしれない。反面、普段お喋りな人は、意外と一人でいる時は孤独で寂しがり屋だったりするのかもしれない。明るい人ほど、暗い影を落とす。注視していただきたい。明るい人ほど、悩み事を抱えているケースは多かったりする。人はなぜ笑うのか?それは、悲しいから笑うのだ。悲しい時ほど、笑うのだ。それは前に進むために、悲しみを癒すために、人は笑うのだと思います。泣きたいときには泣けばいい。人間とは、常に光と影の存在なのだ。光があれば影がある、悪いところもいいところも。あなたのそばにも必ず存在します。
自分の限界を感じてる。
ずっとこれしかできることがなくて、目標も随分若い頃に建てた漠然としたものを年齢が上がっても引き継いでいるだけだった。
やればやるほど自分のできなさが露わになる。
何よりそれを超えて可能にできるか、しようと思えるかと言われると、自分の中でなんの感情も巻き起こらない。
ただ悩むことが苦痛で脅迫的で、それでも今まで続けていたのはやはりそれ以上に続ける理由があって今より良くなるという希望もあったからだと思う。
これを手放したら長年続けていたものを手放すことになる。
でも自分は本物でもなかったし、そうなりたいという意思が今現在枯れてしまったのかなと思うことが増えた。
続けていく上で必要になる意思と取捨選択ができなくなったのかと思う。
辞めるかはわからない。今更捨てる選択肢はないけれど長年自分の苦楽だったもの、最近では苦行になっても続けていたものはなかなか頑張っても捨てられない。
自分の一部になりすぎている。