2025.02.02Sun
非表示 20:47

自分が毒になるだけじゃなく、その毒がまた他の人に伝わってしまうのは恐ろしいことだ。
優しさのループというのも存在することは確かだけど、毒のループも存在して、そっちのほうが生命力が強くて拡がり安いから意識に意識を重ねて根絶するしかないんだよ⋯


非表示 17:09

もう辞める、辞めたい〜と言ってる人ほど辞めない
人に話して発散しているからか
ほんとにその気のある人は黙ってさくっと辞めていく
なんとなくそんな感じ、わたしもそうだった


非表示 10:21

全然外に出てないけど、なんとか3日間くらい生きてるし、お金も体力も余って良いかも。
ずっと寝てるのに夜に普通に寝られる自分の体はいったいなんだろう


非表示 05:48

最近は体調の変化などを感じて、自身の老いを感じます。
老いというと大袈裟かもしれませんが、初老と言われているような年代なのでしょうがないですね。
色々感じている体調の変化をネットで検索したら、それが加齢によるものということで一致してしまうんですよね。
だからなんだって話なんですけど、初老というと体は衰えても精神は達観してくるなんて感じますが、体は老いても精神が達観しているかどうかっていうのは謎ですよね。
達観という言い方は出来なくとも、いい意味で諦めたり、努力するにしても努力を厳選したりして、自分にとっての効率の良さは目指したいですね。
もう出来きている部分もあるのかもしれませんが、出来きているというか、体力との兼合いでそうするしかないってことが、結果的にバランス良く見えればいいのかもしれません。


非表示 05:44

仕事、始業時間ぎりぎりに行くことの何が悪いんだろう。
新卒の頃からそう、理解ができない。
だって!7.5時間縛りだとしたら、会社にいなきゃいけない時間が7.5時間でしょう?
一般常識なにか何なのか、そういうものだとは知っているけれどさ、なんでみんなそんな普通ーーに社畜なの?何で2分前じゃだめなわけ。先に来てメールや引継ぎチェックしてそれから動く作業時間が契約時間?なんなんその時間。女なら化粧時間から作業時間だっての。通勤時間だって作業時間だし、なんなん。下手したら3時間は無給だっつの。どうしてみんな当たり前に受け入れてるの、バカじゃないの。自分の時間の確保こそメンタルには必要じゃないの。
通勤時間1時間までは実働作業時間として契約に盛り込むべきだと思うんだよね。会社で仕事する時間は6時間くらいまで。もうそれでいいじゃん。そうやって時間で区切って作業させてくれ。そんで終わらない部分は自己責任で。それでどうしても終わらないならその仕事は自分に向いてないってあきらめて、人生を諦めてし/ねばいいやもう。はいはい不適合者不適合者あほらし。

2025.02.01Sat
非表示 05:50

ゆで卵といえば、やっぱりタマゴサンドが1番おいしいかな?
玉子食べてます!玉子主役です!ってところが最高に良いですよね。


非表示 05:48

嘘をつかれたをほうがマシだよねーということってこの世にはたくさんありますね。
あの頃、私に嘘をつくのが面倒。取り繕うのが手間。だからといって本当のことを言うのかったるいという態度をされていたときが本当にシンドい日々だったなと。
本当のことを隠そうともしないし、だけど嘘という優しさで塗り固めることもしてくれないということに、もう戻れない何かを感じたものです。
あれから数年経って今はきっと戻ったように相手は感じているかもしれない。でも何も元通りではないのです。
ゆで卵は決して生卵には戻らない。もうゆで卵としてだけみているから上手くいってる部分はあります。

2025.01.31Fri
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非表示 09:34

今日は晩御飯を作らなくてよくなった。
それだけで心がとても軽い。何しよう、何食べよう。とりあえず昼を食べ過ぎても夜食べなければいいのが楽すぎる。


非表示 05:34

母が簡単に不味いと言う事タイプだったかもなと。
今思えば晩年は病気だったとはいえ、いい大人が不味い!って言い切るのって恥ずかしいなって感じたんですよね。
両親が数年ぶりに父と母の地元のとある飲食店に行って食事したときの話です。その地元は飛行機の距離でもうほぼ旅行ですね。両親にとっては思い出の飲食店というは聞いてたんですけど。
母は「不味い、不味い、残した!」って言ってたんですよね。父はそこまで不味い不味いって言ってなかったので、たぶん母の中だけでの“不味い"なんじゃないかなと。
いくら不味くても、店で機嫌悪くなって残すのが当然!ドヤッて感じ⋯さすがに話を聞いてるだけで微妙だったんですが、そんなに不味かったんだ、せっかく行ったのに残念だったねという気持ちも当時は思っていました。そういう機嫌の悪さを全面に出して周りを困らせるのは父の分野だと思ってたので、なんだかんだで似た者夫婦だよなって今では思います。
確かに思っていたより美味しくなかったということは、割とあることだと思うんですが、それを簡単に「不味い!」と変換してしまうのは短絡的というか、飛び過ぎというか⋯
テレビとかで美食家やシェフがアレコレ評価するのと違うんですよね。ただ、私は本物をわかっていると思い込みたい人が簡単に「不味い!」というのかなと。
とにかく簡単に不味い!と切り捨てないことは大人としては持っていたいスキルなのかなと思います。好みに合わないという気持ちとか苦手なものを我慢するってのとはまた違うんですよね。

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