会社辞める私に先輩が
「旅に出るのね…」って声かけてきたから
「先輩も旅に出ます?」って聞いたら
「じゅ、準備がいりそう…」
と言い始めるので
「(人生に)準備はいりませんよ」
って言っておいた。
めちゃくちゃ感動された。
会社辞める私に先輩が
「旅に出るのね…」って声かけてきたから
「先輩も旅に出ます?」って聞いたら
「じゅ、準備がいりそう…」
と言い始めるので
「(人生に)準備はいりませんよ」
って言っておいた。
めちゃくちゃ感動された。
いい意味で知れば知るほど謎が深まる…って感じが人との関係で理想なのかも?
だから距離が近すぎると何の謎もなくなるし、見たくない部分も見ちゃって嫌になって…の繰り返しになってしまう。
ブログ、インスタグラムとかしている元友達。こういうの見ないほうが絶対良かったなぁと思ってる。「元」友達なんてつけてるのも、こういうの見ちゃって謎が深まるどころか「こういうふうに自分を見せたいのか…」とおもってしまって、疲れてしまった。
もちろん、インスタグラムを見たからという理由だけが苦手になったわけじゃなくて、その他の色々な違和感とインスタグラムで見せている姿に矛盾を感じてしまったのが原因かな?
インスタグラムをやってなくても、誰でも自分を良く見せたいという気持ちは持っているはず。だけど、それが露骨すぎたらなんだかちょっと受け入れがたいのかも。
ちょっとした会話でも、みんな完璧じゃないし自分を取り繕うような言い方になってしまうこともあるだろう。
だけど、会話はナマモノで考える暇もなくやりとりするものだからお互い様という気持ちである程度ならやり過ごせるのかも?
インスタグラムとかって私がひねくれてる部分もあるんだろうけど、ネジくれた気持ちじゃなくキレイな気持ちだけでしか受け取ってはいけない特殊な雰囲気が苦手なのかもしれない。
そういうキレイさを一方的に押し付けられてる気分なんだろうな。嫌なら見るなとも言われるし、それもわかるけど、友達がインスタグラムやってるって教えてくれたら見るだろうしね。
誰だかよくわからない人のインスタグラムをだったら単純に「美味しそう~」とかそういう感情にしかならない。合わない文章だったらそれこそ見ないだけだし。
こういうニッシも画像がないだけで、自分の気持ちをツラツラ誰かに発信しているけれど、他の方がどこの誰だかわからないし、自分もどこの誰だかわからないところが好きなのかも。
「私、ニッシやってるからみてね」とか絶対言えない。
誰かに発信したいという気持ちは共通なのに色々わかり合えない人間って不思議。
どういう人なんだろう?と少しの謎があるほうがやっぱり合ってるのかもしれない。
もしあなたがガラスの家に住んでいるなら、石を投げるのは容易ではありません。外から丸見えでしょうからね!(注:「ガラスに住む者が石を投げる」は「すねに傷を持つ者が他人を批判する」の意。)たとえ、レンガとモルタルの家に住んでいても、多くの人々の注意を引いてしまうことでしょう。新月に加え、いくつもの惑星がうお座の反対側の星座に位置していることは、あなたが注目の的になっていることを示しています。これはあなたの自尊心にとっては良いことかもしれませんが、あなたは徐々に、自分は人々からどう見られているのだろうか、自分は好印象を与えているのだろうか、と思い始めています。心配するのはもうやめてください! ただ自分らしくいてください。
30過ぎて、夫婦仲壊れて、急に職を失って。
とりあえず食べて行かなきゃいけないので、
バイトでも派遣でもと、手当たり次第応募した。
面接して1週間過ぎても連絡なくて、
半ば諦めてたところから、電話があった。
「あのね、派遣でって話だったけど、本社で正社員として働かない?」
えっっ……!?
なんだか分からないまま説明を受けて、そのまま採用された。
面接官の女性が、あなたの人柄にとても惹かれたのよ、よろしくねって言ってくれて、
ああ、人生ダメかと思ったけど、拾う神もあるんだなぁって感謝した。
がんばろう。
最近、面接日以外は引きこもって寝てばかりいたので(お金節約のため)、明日からちゃんとしよう。昼夜逆転してたから、まずそれを直して。
明日はキッチンの掃除をして、作り置きを作ろう。
厄がいっぺんに来たような、ひどい半年だったけど、ようやく目標が見つかった。
うん、がんばろう。
そろそろ1人の時間を持たないと心が厳しいなぁ。
なんとかこの夏を色々乗り越えてきたつもりだけど、ふとした瞬間に落ち込んでいる気がする。
あんまり人に会いたいとか思わない。「1人でゆっくり買い物したい」「お寿司落ちついて食べたい」とかそういうことが頭の中に勝手に湧いてくる。
心底、1人が好きなんだな…
ここに公開してるってことは誰かに聞いてもらいたい気持ちは持っているんだけど、理解してくれる誰かじゃないと嫌だから周りにいる人には話せなかったり躊躇ったりしてしまう。話したとしても話し過ぎたかな?とか言い回しが良くなかったとか反省するのも疲れる。
反省することもあるけど、なんでそういう意味に受けとるのか?と逆に怒りでイライラすることもあるし。
感情の渦に支配されるのが嫌だ~
見ざる、聞かざる、言わざるだっけ?日光東照宮の猿のアレ。なんか突然このフレーズとそれぞれのポーズを決めた猿の像が浮かんできた。
自分が今大事だと思ってることってこれかも。
日光といえばスペーシアに乗ってみたい。金谷ホテルも泊まってみたいなぁ。
こうやってどんどん話がズレても、自分にとってこういう自由が必要なんだろうな~
ちなみにスペーシアは日光詣のカラーリングが好き。金色で華やか。ただそれだけだけど、そういう見た目で入るのも大事だよね~
世の中どうしてうまく回らないんだろ
あっちではあおり
こっちではあおり
ああでもないこうでもない
オンリーワン
だから自分は自分
そうやって
自分の意見を通そうとするから
上手くいかないんだよ
マウントもよくない
それ、単なるねたみ、そねみだからね
コミュニケーションは互いの気遣いで
成立するものなのだから
「無駄を許さない空気感こそが、人を追いつめ、しんどくさせている。普通の人間がただ生きているだけでも、責められない社会であってほしい。我々にはキラキラして生きる義務などないと思う」
どこかで読んだ文章の引用だけど、まさにそう思った。
自分の、とある過去数年間は無駄だったと思ったことがある。だけどまわりには、そんな時も学んで無駄にしない奴はいるとか、無責任なこと言われた。
いいんだよ。上のカッコの文章で無駄だったんだよって受け入れられた、ようやく楽になりつつある。
「いや、この先どうなるかということは心配していないよ......私はのんきで無頓着だからね」というようなことを人々が言うとき、それが真実であることはめったにありません。むしろ、彼らは一つの目標を見すえていて、困難な状況を前にして緊張をやわらげようとしている可能性が大です。あるいは、自分の野心の大きさが周りに知られてしまうことを恐れていて、それをうまく隠そうとしているのかもしれません。あなたが新たな試みで成功を手に入れるためには、人々の言葉と本音を切り分けて考える能力を養う必要があるでしょう。その上で、自分自身のニーズにも敏感であってください。
昨日テレビでバウムクーヘンの特集を見て、食べたくなったから買ってきてもらった。
テレビに出てきた店ではないけれど、おまじないみたいな名前の店のバウムクーヘンで、美味しくいただきました。
こうやって食べ物の件に関してはテレビで見たらすぐに食べたくなってしまって、私っていい視聴者だと思うわ…
すぐ釣られるのも考えものだけど、釣られることによる楽しさってあると思う。
楽しさだけに釣られていたら、それこそバウムクーヘンのように素敵な層が一つの形になっているようになるかな。
バウムクーヘンになりたいよ
気持ちに余裕があるときに偏った情報ワイドショーみたいなの観ると気持ち悪いツッコミどこすべてが気になってしかたないけど余裕ないと逆におかしいくらいボーッとずーっと観てしまう