2025.06.15Sun
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彼と別れた。
2020から。長かった。
そのうち3年ほどはほぼ毎日一緒にいた。
途中で彼の人間性が怖くなって、私は精神DV患者のようになった。
相手を支えることで自分の存在意義を感じる症状。
日中夜とわず、他の友達といる時ですらかかってくる通話など束縛をされても彼からの優しさが焼き付いて何があっても離れられなかった。
けれど転職先の仕事量が尋常ではなくなった頃から連絡が億劫に感じることが増えて、ひたすらに話しかけないでくれと彼を避けるようになった。
それに気づいた彼と摩擦が出るようになった。
やめてほしいと伝えた、愛情を確かめようとする試し行動が繰り返された。
そうしてさらに疲弊した。
それで別れたなら話は早いのだが、共依存だった私たちは、それから別れては戻るを繰り返した。
何度もぶつかった。
精神がまいっているから自分に合わせてくれと懇願し、彼もそれを承諾したが、今度は彼がそれにまいっていった。
試し行動で愛されていると安心していた日々が崩れ、毎日の会話も禁じられた彼は、いつ私に話しかけたら前のように俺に合わせて遊んでくれるのかわからないとごちた。
歩み寄っても私がメンタルを保てるのは月2回。遊ぶなら前もっての約束をした日に遊ぶことなど、友達以上恋人未満の距離を提案したが、彼の希望はせめて週1。お互いに特別である証拠をもつこと。(居場所を特定できて行けてしまうGPS機能がついている指輪のようなもの)。
また前もっての約束をするのは、自分都合で仕事がはいってしまうので遊べなくなるから嫌とのことだった。
つまり、私のペースは無視して付き合ってほしいという願いは変えられない。
彼は常に私がそばにいた数年間に固執していた。
そうして二の次にされている現実が受け入れられない彼から出た最後の提案は、双方から連絡が取れない状況にしたい、ということだった。
結局、最後の最後まで、私は彼に合わせる形となった。
元々、不必要なものはばっさり捨てる人だ。愛されていると実感させてくれないモノはいらないということだろう。
彼からの連絡が来ることは二度とない。正直、それで良かったと思う。もし残す形にしていたら、また毎日、彼からの連絡におびえる日々になっただろう。彼もまた自分が第一にしてもらえない現実と向き合う日々が終わる。
彼のXをこっそり見てみたら、大事にしてたけどだめだったと感傷的になってるようだった。けれど、彼の本来の性格的にきっとすぐに気を取り直して、自由を謳歌するだろう。きっと次に出会う女子に話したりするのだろう。話すことがとてもうまい人だから、またメンヘラめいた子が釣れるのかもしれない。

彼からもらったものが部屋にあふれている。右を見ても左を見ても。
それらはもう生活の一部になっていて、きっと壊れるまでそばにあり続ける。
それでどうか許されたい。愛していた。彼が私のいう事を聞くとき、私もまたそれに満足感を得ていた。典型的な共依存の恋愛だった。離れるべくして離れたのだと思う。
どうか、彼が幸せでありますように。遠く離れたところからずっと願っている。


非表示 08:10

今日はある試験がありますが満点取りたいと贅沢でおこがましいことを思っております!せめて合格したいです。

2025.06.14Sat

トド

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「トドみたい」
横になっていたら妊娠中に夫に言われた言葉。
「誰のせいでこうなってるとでも?」と返す私。
それに対して夫は「そんな言い方悲しいな」と。
そうね、悲しいよ、そんな言葉言いたくなかったのに。
どうして私が「トドみたい」と言われたことがこの一瞬でなかったことになっているんでしょう。
でも世の中にはこういうことがよく起こります。最初に火種をつけたほうが一瞬でそれを忘れて、自分がひどいことを言われた側になることが。
この場合、なんて返せば私は加害者にならないで被害者になれたのかなと。私が最初に「そんな言い方悲しいな」と言えば良かったんですかね?まあ、それが一番被害者でいられたのかもしれませんが、そんな感情は後からくるタイプで先に怒りが来るタイプなんですよね。
でも、私もあれから10年以上経っても「そんな言い方悲しい」しそんなことを最初から言わないで欲しかったと思っています。
そしてトドの子どもは元気です。


非表示 13:02

暑いのにスープが余っている
飲みたくないけど飲まなければ悪くなってしまう
冷やしたスープは多分好きではない
早く秋にならないかな。まだ3ヶ月もあるなんて考えられない
それで、暑いので天然酵母を仕込んでみた。初めての天然酵母。上手く出来るといい


非表示 08:10

頭の回転やっぱり遅いから脳に理解が届くまでに時間がかかるんだけど、ちょっとその時間をくれるだけで普通に理解出来ることも多いのです。


非表示 01:16

親ではなく他人だと思って生活し始めて5日。
思いの外心穏やかに過ごせることに驚いている。
今までだったらイライラして仕方なくて本人にぶつけて喧嘩になっていたような親(だった人)の行動も、シェアハウス…だと対等だから苦情言うかもしれないのでホームステイ先のホストファミリーだと思えば相手に言うんじゃなく自分で対策する方向に考えが変わった。深夜の騒音ならこちらがイヤホンをして過ごす、匂い問題は気づかれない程度に窓を開ける、さり気なく(あくまであてつけにならないように、が以前と違う)換気扇を回す、みたいな。
分かって欲しい、気にかけてほしいというか親ならそうあってほしいという思いがあったから腹が立ってたんだなと実感する。
多くの人には到底理解されないだろうと思う。
同居のメリットはあるから同居は続けつつ、ストレスを最大限減らして生活できるのが今一番の望み。

2025.06.13Fri
非表示 20:53

今日は前から気になってたお店に行ってきた。
いつも閉まってる?と思ったら、何のことはない私がその前を通る時間帯はいつも営業時間外だったというだけの事だった。
少しお休み多めで、営業時間も短めだったから、本当にたまたま定休日とかに通ってたらしい。
国道沿いにある店なので気にはしてたけど、駐車場ないから行くとなるとまたちょっと手間のかかる所だったので、ようやく行けた感があった。
そしてわざわざ行った甲斐のある成果があった。
今後の定番になりそう。いい店に行けてよかった。


非表示 11:38

洗濯機が壊れてしまい今日は洗濯をしてませんが、洗濯をしないと朝が楽ですね。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ


非表示 05:38

私って出身地を愛でる気持ちとか母校への愛着とか、そういうのが他の人より少ないのかも?とは思います。
なんでしょうね?逆に凄い愛着全開!みたいな人ってどうしてそこまで?とは思います。
別に懐かしむ気持ちとか悪い思い出しかなかったということはないんですけど、絶対的な愛はないですね。
父が通っていたという小学校に転校したことがあるんですよね。その学校に通うとなると親戚関係だったり、そういうしがらみがあるということで母は反対したそうですが、俺の母校に子どもが通うというロマンに付き合わされた結果、私はその学校に通うことになりました。その学校は本当に良くなくてハッキリいうと今なら問題になるような言動を教師からされたこともあったし、母が危惧していた親戚関係のトラブルは言わずもがなって感じでしたね。途中でまた転校したのは良かったです。
そんな記憶もあるから執着に似た故郷や出身校への愛着に距離を置くような考えになったのかもしれません。
愛着は良い事なのかもしれませんが、自分の愛着に人を巻き込むことが良くないんでしょうね。
父は今も正月の駅伝を自分出身大学という理由だけで応援してますが、そんなに愛を持つほど大学生として真面目に勉強していたように思わないんですよね。勉強の話よりは飲み歩いて粗相したとかそういうタイプの自慢話しか話していないので。
自分の人生に少しでも関わったというだけで、あんなに思い入れが深くなってしまうことに違和感がありつつも、勝手に応援してる範囲なら別にいいのかなとも思います。
郷愁の思いは自分だけで完結するのが正しい愛着なのでしょうね。


非表示 05:14

私がかつて学んだ高校のある学科が、数十年前に姿を消しました。正直なところ、寂しさを感じるよりも、高校の発展を考えれば当然の決断だったと納得しています。
私もその廃止された学科の出身なのですが、確かに私たちのクラスには、どこか「野生的」な雰囲気が漂っていました。在学中は友人たちとそれなりに楽しく過ごしましたが、一方で「そっち側」に足を踏み入れてしまったような感覚も否めません。非行に走ったわけではありませんが、多くの生徒が「何も考えずに過ごせればいい」という風潮に流され、真面目に勉強する者がかえって浮いてしまうような環境でした。
入学は容易でした。私自身、勉強しなくても入れる学校を選びましたし、親の意向も大きかったです。もちろん、その雰囲気に流された私自身の責任も否定できません。しかし、高校生という多感な時期は、周囲の影響を受けやすいものです。そう考えると、当時の学科に漂っていた芳しくない空気は、やはり改善されるべきだったのだと思います。
だからこそ、あの学科が廃止されたことは、むしろ喜ばしいことだと感じています。若い頃には、良い意味で周囲に感化され、成長していく経験が必要です。健全な環境の中で、生徒たちがのびのびと学び、自分を磨けるような「良い流れ」を学校が提供してくれることを願っています。

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