「底辺だと認識出来ているのはまだ知能がある」
こんな何気ない書き込みを見たのだけど、ああ、これはそうだよねと頭に浮かんできたのは私の母。
自分が底辺という認識がないから、子どもにお金をかけるのを渋るんですよ。
自分がなんとかやってきたという意識というか、ずっと下にいるからそれが普通だと思っていて、他の世界があることに気がついてないんですよね。自分だけならそれも別に悪くないんですけど、子どもは他の世界を見たがったときに、自分の持っている世界を否定された気になるのか?他の世界に行く必要がないのにお金をかけて行く必要がないのに行こうとしてることをバカにしている感じ。
特に男はいいけど、女は私と同じような道を歩くのが正解って思っているので、娘の私はそれを肌で感じまくって苦労したなと。他のきょうだいは男なので、母に女はこうするべきみたいな圧をかけられなかったから、サバサバ母さんのイメージを持ったままみたいだから、それはそれで良かったねとは思います。
母は亡くなっているんですが、こういう風に今も私の中では生きているんですよね。でも物理的に会うことがないから母の世界から抜け出したのは私にとってはプラスです。
これを言うと、しんだのが良かったのか?と単純に思われて面倒なので言えませんが、そういう単純なことではないけど、やっぱり自分に染み付いていた何かが取れてきたのを日々感じるのですよ。この過程が辛くて、純粋にいなくなったことを哀しんでいたかったのにさせてもらえない。それが私の育った環境だからです。
性格は遺伝50%、環境50%なんて、どこかで聞いたことがあります。だから環境でどうにでもなるって言われても、結局はその遺伝の原因である両親の元で育つという環境があるなら、実質遺伝100%なんですよね。なんでみんなそれに気が付かないで前向きに捉えようとしてるの?とてもとても疑問です。物理的に環境が変わるのは大人になってからですから。その時点てまだ変わるチャンスがあるのかもしれないけど、最低でも20年近くハンデあるんですよ。このハンデを前向きに直向きに受け止めるほど私は強くないんです。だって実質、遺伝100%の恐ろしい自分だから。そんなこんなで自分を好きになることは親を認めることにもなるから純な気持ちで自身を受け入れることは出来ないししたくない。
そんな恐ろしいこと出来ない。ただ自分の生み出したものはちゃんと責任を持ちます。そこが私と親の違うところと思って生きるしかないのです。
昨日作った残り物をスンドゥブにうどんを入れて食べたら、けっこう量が多くてお菓子食べなくとも良さそうだからカロリーカットになるのかならないのか微妙
母は少なくとも私が転んだら大丈夫?って言ってくれたし、父親みたいに何やってんだお前wとか嘲笑ったり、あぶねーだろ!!みたいに怒鳴ってこなかったから、それだけで私は母が好きだったし、父は割と嫌いだった。
私には幼少期の母の記憶があるから、母がいなくなった後も父親の態度を親ってこういうものだと思わなかったし、父親は親としてどうかと思うという感覚を子供の頃から持っていた。
ゼロに何を掛けてもゼロであるように、理想の世界は、何も増えもせず、減りもしない「ゼロ」の関係にこそあるのかもしれません。
そこでは、不必要なものが積み重なることもなく、かといって、大切なものが失われることもありません。常に一定で、完全な均衡が保たれている。現代社会に生きる私たちは、とかく成長や拡大を求めがちですが、もし本当に満たされた状態があるとするならば、それは何も足す必要も引く必要もない究極の安定なのではないでしょうか。
もちろん、現実世界ではすべてがそのようにうまくいくわけではありません。私たちは常に変化の中にあり、喜びも悲しみも得することも損することもあります。
しかし、もし心の奥底に、安らぎと平和を求める場所があるとするならば、それはきっと何の影響も受けない「ゼロ」の世界に近い感覚なのかもしれません。
何者にも囚われず、何者にも左右されない。そんな静謐な世界に思いを馳せるのは、ある種の究極の願望とも言えるでしょう。
弁当を3日間くらい作らなかったら、やっぱり楽でした。
楽なことにはすぐ馴れるんだよなーとㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
近所にどんどこスイーツショップが出来ていきます。太らせようとしに来てるのかな…
健康診断終わったし食べ比べやりたいなあと思ったり。一回満足すれば多分胃がそんな若くないから甘い物食べたい欲に駆られることも少なくなると思うんだよな…
蕎麦を食べようと思ったけど、賞味期限切れのラーメンを見つけたのでそっちにしました。とりあえず問題なく美味しかったです。
「子どもを学力より下の高校行かせると、そこで頑張っちゃって大学行きたいとか言い出すよ〜」
これを職場の人だったり、他の保護者から言われたら私はその人とは価値観が合わないだろうなとおもった。
ウチの母はこういうことを職場の人に言ったらしいです。母がそれを言った年齢と同じ年齢くらいに自分がなったので、改めて考えてみると、こういう人は無理だなーなんて感じるのです。
もし周りにこのような事を言ってくる人がいたら、私はなんて返すんだろうなと考えていましたが、実際は「へー」とか「そういうパターンもあるんですねー」とか、適当に話を終わらせることに徹するだろうなと。
この出来事をわざわざその大学行きたいと言っている子どもにそのまま話しているだなんて想像も付かないけど、それがうちの母です。
職場でのやり取りは見ていないけど、私に堂々とこの出来事を話してきたあたり、母の中で手応えのような何かがあったんだろうなと。ただ、社交辞令で興味のあるふりをされていただけかもしれないのにと、この年齢になって感じました。
子ども立場で言われて違和感しかないことは大人になって様々な立場の人になったつもりで熟考しても違和感しかないんですね。
「自分の母」というラベルを取ったときに、1人の人間として仲良く出来るかと問われたら、絶対NOですね。私は私の価値観があって、それしか使えないのでしょう。自分の価値観に縛られるのもよくないのかもしれないけど、母の価値観を取り入れることはこの先の人生でも絶対にないでしょう。
問題は自分でも気がついていない母の価値観が自分に染み付いていることですが、常に漂白しながら、また汚れたとしても黒ずんだとしても、それが自分だけの考えで汚れたと思えるように漂白し続けるしかないのです。ハイター必須な人生。
面倒なことは全部妖精さんがやってくれないかなーと。
かなりいい年齢ですが(笑)思ってしまいました。そういう妖精さんはいて欲しいです。メンドク精。
子どものとき父の会社の親睦会のようなものがあって家族も参加のバーベキューがあって行ったのですが、その時父に「役に立たない」と言われたんですよね。私、小学生だったのですが、鉄板の食べ物がとれそうでとれなかったときに「とれな〜い」なんて言っていたら、言われました。
この出来事が象徴するように、子どもは父にとって「役に立つか立たないか」しか価値がないんですよね。だから自分が取ってあげるという発想が1ミリもない。子どもであろうが特に女子は、自分が食べなくても周りにとってあげるのが正解なんです。
そういうのを見て、周りが褒めてくれて、父として鼻を高くしたかったのに、父にとっては鼻をへし折ることばかりしかしてなかったんでしょうね。
周りの人を役に立つか立たないかで判断して評価する。結局、自分が楽したいから、そして自分が何にもしていないのに褒められたいからでしょうね。だから、それが出来る人を周りに置きたいのに自分の子どもはそうじゃないのが腹立ってしょうがないのでしょう。
私が生まれ持った気の利かなさももちろんあると思いますが、自然と身につく役に立つような振る舞いが出来ないのは、親が子どもに与えていないからだなって、ここ数年は理解しています。親が子どもの「役に立たない」のだから子どもも「役に立たない」子になるんです。
だけどこのような環境があったからこそ、(本当はポジティブになんか書きたくないけど)周りにいる人は自分にとって楽しい人、気楽な気持ちにさせてくれる人がいいなと思うんでしょうね。
こんな考えを持って過ごしていると、楽しいか楽しくないかじゃなくて情報網かどうか?が第一優先になっている人ってやっぱり多いなと感じます。結局、役に立たない人はいらないんだなと思いますが、役に立つ前提で生きていたらつまらないし疲れるので、役に立たない人で私はいいのです。