安心感を得るために自分の周りに張りめぐらす防御壁は、逆説的ではありますが、無防備にさせることがよくあります。大半の人々はリスクを取ることを嫌います――しかし、リスクを取ろうとしないことのほうがかえってリスキーです! 人生とは、結局のところ、未知なる領域へと向かう旅のようなものです。思い切って行動することを恐れていては、自分が果たすことになっている進歩を果たせなくなるほど狭い存在で終わってしまうかもしれません。木星と海王星が今、よく考えた上で集中して取り組むことを促しているものの、恐れるべきことは何もないのだということに間もなく 気づくでしょう。
今日の夢
父親と2人で古民家的な場所に泊まっていて、休憩スペースみたいなところで休憩していた。ここでご飯が運ばれて来て食べられるようにもなっていて、食べたあとにのんびりしている感じだった。
私はトイレに行くために席を立ち、ちょっと暗くて長い怖めの廊下を歩いていたらやんわりと誰かに追いかけられるような感覚があり、そそくさとトイレに入った。
入ってしばらくすると足音が聞こえてきて私の入った個室の前で泊まり、かなりの速度でひたすらにノックされたあと下の隙間から覗いて、扉の上から覗いて、扉をガチャガチャして去っていった。
青いスーツを着たルパン三世だった。
幽霊が苦手な私だけどそれはさすがにちょっと面白かったのでしばらく籠り続けて2回目を待った……ら、2回目も来た。んで3回目も来た。
4回目、扉ガチャガチャのタイミングで私は鍵を開けておいた。扉は開き、目があい、ルパンは驚いてその場から去ろうした。
わたしは普通に出ていき、「なんでこんなことしてるの?」と聞いた。あのボイスだったかは定かではないが、要約すると「この旅館に幽霊の噂が立つことで旅館が儲かるから縛り付けられている」と言うことだったのでえいっ!と成仏させておいた。マジで消えた。
私が入っていた個室の扉が開いておそるおそる人が出てきたので「もう幽霊はいませんよ」と声をかけたらその声に驚かれて逃げられたけど、でも幽霊苦手な人にとってはいいことをしたな〜と思ってご機嫌で戻った。
戻ると私の座っていた場所でおよそ3年程度口を聞かないレベルの喧嘩をしている弟がご飯を食べており、そっちの方が何倍も怖かった。
私が何者かを言ってしまうと1番伝えたい部分が伝わらなかったり後回しにされたりしてしまうのを改めて感じた日。
別に特殊な人間だとかそういうわけじゃないんだけど。
むしろ私みたいな立ち位置にいる人は何人もそこらじゅうにいる。
何者かは伏せていれば、共感してもらえたり寄り添ってもらえたり過度な批判にさらされなくて済む。
本当はこの立ち位置だからこそ悩むこととか感じることをもっと素直に話したいと思うときもあるけど、こうあるべきーと言われたら悲しいし面倒だし疲れてしまうし。
根っこは同じ人間なのに立場が邪魔をして自由に花を咲かすことも出来なければ枯れることも出来なくて養分だけ吸い取られてる気がするよ。
誰も見ていないどこかのプランターに思いつきで種を植えて気が向いたら咲いておくのが私の本当の立ち位置だな。
職場で面談して午前の業務が終わった。
できるだけ長く続けたいと願うなら、
現状を変えていくことが大事だし
声を上げていくのも大事なのだ。
自分ができてないからダメってだけじゃない。
できないなりに改善する、周りも自分も。
それで変わらなかったらやめてもいいし。
前職のときもそうだったな、結局体制変わらなくて仕事のしわ寄せが来そうな前にやめたけど。
ちゃんと言えた、偉いぞ自分。
今週は張り詰めすぎないでゆっくりやってこう。
忙しい都会のど真ん中にあってさえ、自然はいたるところで見られます。どうにかうまく自然を抑制して、きれいに見えるように常に整備しているかもしれませんが、チャンスがあるとみるや自然はここぞとばかりに敷石の間から勢いよく姿を現し、儚(はかな)い性質を思い出させます。何度引っこ抜かれても必ずまた出てくるのは恐ろしいことのように思えるかもしれませんが、私たちもまた自然の力であることを忘れてはなりません。ちょっとした思いつきを大きな違いに変えられるだけの力を持っています。アイディアという名の種から、強力な解決策を生みだすことができます。そのために何をすべきなのか、すでに知っています。
ちょっとだけ高身長。手足も長めといえば長めかも。
子供の頃「将来はモデルだね」と言われてた。
「ハハハ」と、力なく笑うしかなかった。
簡単に言ってくる感じがなんか嫌だったなー。
もちろん今はまったくその業界とは関係ないところにいる。
[絵が描けるだけで「漫画家になれば?」と言われるのが鬱陶しい]
というのをどこかで読んで思い出したこと。
親にうるさく言われたのはお金のことくらいかな?
お金がかかることをとにかくしないで欲しいって感じだった。
お金がかかるくらいならバカでいいと本気で思っていたと思う。
バカすぎてお金がかかりそうだと思ったら、勉強しろとは言われたけど。
学生時代が過ぎ去って親にお金を出してもらうということがなくなって随分経つ。
周りには親に同じようにお金を出してもらって進学して‥と一見自分と同じような環境の人ばかりに思う。だけど、ある程度大人になって何気ない会話や雰囲気から差を感じてしまうことが増えた。
当たり前のようにお金をかけてもらってた人と、自分のようにしょうがなくお金を払ってもらった人。
同じような道のりを歩んでいても微妙に違う。当たり前のようにお金をかけてもらった人は上手く言えないけど、自分とは違う雰囲気を纏っているんだよね。私が欲しかったのはこの雰囲気なのかもしれない。
お金である程度のものはどうにかなるけど、お金だけでどうにもならないのは大切にされてきたというあの雰囲気だと思う。
同じお金をかけてもその過程はお金では買えないということか。高いお金をかけて進学させてもらったのは感謝はしているけど、モヤが残るのはこの微妙な違いからくるものだろうな
友達なのに、おめでたい話を本人からちゃんと報告してもらえなかったと憤慨している人がいた。
産まれるまで何があるか分からないわけだし、誰にいつどんな方法で報告するかなんて本人の自由じゃないの?
肉体的にも精神的にもしんどいだろう時期に、第三者にまで配慮しろなんて地獄みたいなこと言わないであげてほしい。
最近、謎にだるいのは低気圧のせいだと思い込んでいたけど、実は蕁麻疹の薬で眠いだけなのではないか? 症状が治まりつつあるので副作用が強く出ているとか、そんなことはないだろうか。
4 連休はあっという間だった。大したことしなかったな、と思ったがノートに書いた to-do を見たらいろいろ片付けてた。そしてまた Amazon でいろいろ買ってしまった。
連休中に親から電話かあった。父、母それぞれと話したけど、父とは何か合わないということを再確認した。少しでも間が開くと喋ってくるから話しにくい。父は会話下手なんだな、と思った。
なんというか、親を見て、昔は自分もああいうところがあったなと思うのは、不思議な感じがする。