同級生とか同年代より20年くらい遅れて生きている感覚がある
障害物を取り除くのに時間がかかってアイテム拾いが遅れたみたいな感じ
今からでも自分なりの良い道を歩いていけるといいな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
調べ物していたら、日本最後の色々をまとめたウィキペディアが出てきて面白かったので、お時間のある方はどうぞ。
気がついたら私しかいないというのも中々好きな展開です。
誰かに何かを聞いてもらいたいっていうのももちろんありますが、自由でいたいっていうのも大きいのだと思います。
だから1人でいる時間が苦にならないし、むしろそれを求めている部分があるんですよね。
だから私しかいないという状況でも、それはそれでって思えていたりするのが私の強味なのかな?ということにしておきます。
少人数制とか利用人数が少ないとか、一見良さそうに思えるんですけど、その中で合わない人がいたら大勢いる環境よりも疲れるのは確かですよね。少人数だからこそ合わない人とのセッションが長くなり、最後までハモらないままお互いの存在を煙たがってすごしていくのは苦の中の苦ですね。
だから誰もいないという状況は感情は自分のままに放出する解放感を味わい続けることが出来てお得なんですよね。
こんなに誰もいない状況なら最初から表に出てゆっくりしてもいいかな〜なんて油断したいんですけど、本音は餌食にされやすいので今のままが丁度いいんでしょうね。
そういう場所を自分が経営者でも管理人でもないけど、守っていこうと思っているのです。
そこにいる周りの誰にもトゲを刺さない本音で、付近の人の本音を餌に食事しないのであれば、他の人の本音にたまに触れたい部分もあるんですけどね。とりあえず今の感じは今の感じで良いと思うのです。
歌は、私の生活に欠かせないもの。プロを目指すわけではないけれど、歌わないと、私の歌声は確実に衰えていく。
時の流れと共に声質は変わっていくけれど、歌い続けることで、今の私にしか歌えない歌がきっと見つかる。歌うことを辞めてしまえば、また一から始めなければならない。それは、あまりにも大変なことだ。
箆って漢字で書かないな⋯
ヘラを使って糊を伸ばすみたいに、カタカナでヘラって今まで書いて生きていました。
ちょっと寝るとスッキリ。
別に具合の悪いところはないんだけど、夜に寝るだけじゃなくて夜以外にも寝るのが普通になればいいのに。
結果が全ての世の中だからこそ、過程も見てくれる場所も必要なんだなーと思うこの頃ではあります。
過程を見てくれないのであれば、特に家庭はいらないなとダジャレのようなことを言ってしまいますが、これはあながち間違いではないのかなと思います。
自分は過程を見てあげられてるのかはわかりませんが、過程は大事にしたいと意識していかないと、すぐに結果ばかり見てしまうから気をつけたいです。
かつて、私だけがロングヘアだった。母は、抜け毛=私のせいと決めつけ、風呂場の排水溝に溜まった髪をわざとらしく寄せ、無言で私に掃除させていました。
「掃除して」の一言もなく、嫌がらせのようなその行為に、私は母への嫌悪感を募らせました。それは「嫌な母親」というより、「嫌な女」という感情でした。
家族がいる中で私だけに責任を押し付ける母の態度に、もはや「母親」と呼ぶことさえ躊躇われたのでしょう。
今は実家を出て、自分のタイミングで掃除ができることに、ささやかな幸せを感じています。
ほとんど雪降らない地域に住んでるので、今の時期に雪降ってるとそれだけで寒いです。
今日はとんこつラーメンを食べます
すごい仲悪いわけでもなく仲良いわけでもない、きょうだいがいるのは大人になってからはアリかなと思うようになりました。
やむを得ず自分のきょうだいに頼むことがあって、それを快くやってくれたことにありがたいなと思いました。
仲悪いわけでもなく仲良いわけでもないのに、頼み事を引き受けてくれることもありがたいと思ったけど、この距離感だから良かったのかな?とも思ったりもしました。
仲が良すぎても、お互いに何か頼まれたときに断りづらいし、だからといって何かがあったときに仲が悪いと頼むことすら出来ない⋯
家族だから、きょうだいだからとなってしまうと、その関係上を盾に相手の気持ちを尊重出来ないときもやっぱりあるのかな?と思うのです。家族だからこそ、きょうだいだからこそ、個人の気持ちを意識して尊重するのは忘れないように意識し過ぎるくらいで丁度いいのかなと思うのです。