家にあったある不用品を売りました。
かつてプレゼントしたものだけど、本人がもう使わないということなので売りにいきました。
年齢とともに使うものや趣味も変わってくるものなので、もう不用になった事じたいはよくあることです。
ただ、このプレゼントをしたときに本人よりも、プレゼントしてあげないと可哀想だ、という圧を投げかけてきた本人以外の人物がいたんですよね。プレゼントしてあげないと私がケチだと言いたげな感じで⋯本来ならもっと簡易的バージョンを考えていて、本人もそれで良さそうだったのに、それじゃダメだ、可哀想だ、と言いたげな圧⋯あれが耐えられなくて、想定していたものよりも大きく、金額も予算をオーバーしてしまったなという記憶があります。
でも、やっぱりそんなに使ってなかったなと思います。本人が絶対コレが欲しいと言ったのに、使わなかったなら本人に対して何か思えばいいけど、プレゼントしてあげたいという気持ちが優先された、本来の目的から逸れたプレゼントではあったから、私の靄はもちろん別のところに見えてました。
そんなこんなで、別の靄が見える何かを売ることが出来てホッとしたんですが、その売れた金額を本人に渡そうが?なんて言ってくるんです。あのプレゼントしてあげないと可哀想だ、プレゼントしてあげたいという圧をかけてきた本人と同じです。
金額的には大きくなかったんですが、そういうことではなくて、ここでも私が自分で自分をケチだと思わせるようなことを言ってくるのかと少し苛立ちました。それは断りました。私がお金が欲しいというわけじゃなく、そこまでしてあげる必要がないと毅然としていたかったからです。
こういうことってよくありますよね。してあげないと可哀想とか自分がやってあげたいという気持ちを満たすために相手やその周りのことを考えない人。
私は、こういうシチュエーションが嫌いなんだと思います。相手の気持ちを考えているようで自分の気持ちしか考えていない。
拒否すれば拒否したほうに靄を残すようなやり方が姑息に感じられてしまうのです。そういう波に飲まれないように、自分の思う方法で波を避けていきたいのです。
感情を押し殺すのが、大人の嗜みというものかもしれません。しかし、自己防衛のためには、時には毒を吐き出すことも必要なのではないでしょうか。
時間や日程に融通が利くって人によって感覚違いますよね。
都合の悪い日より空いてる日が多い人よりも、自分の都合に合わせてくれる人が時間の融通が利くって考える人も多くいるんだなーと改めて感じました。
「否定しないでくれる優しい子」って言うけどね、あなたが否定出来ないように物事を投げかけてくるから否定出来ないだけなんじゃないかな?って思うんですよ。
誰かの発言に対して、否定で返してくる人ってそんなにはいません。思っていることは別にあったとしても、直接相手を否定なんかしないですよ。
それを本能的に理解してて、相手が自分を肯定しているという事実を作りあげる。それを家庭でも仕事でも友人にもやっているだけなんでしょうと思うのです。
自分を肯定してくれる人は優しいということを全面的に出しておけば誰も否定してこないし、そのある意味作り上げられた肯定を元手に事を進めていけるから楽だろうなと。
これに薄々気がついたから、この人とは友人関係を続けていけなかったんだろうな感じますね。
別に否定していたわけでもないけど、自分はそういうの違うなって思うことが元友人に増えたときに、自然に元友人が言って欲しいことを言ってあげなかったから、それがお互いに居心地の悪さを感じて自然に離れることにはなったのでしょうね。
言って欲しいことを言ってくれて、それを可視化して、自分の好きなように気持ちいいように歩ませてくれる人が周りにいないと元友人はいないとダメなんでしょう。
それがいいか悪いかは置いといて、私は言って欲しくないことを言わないでくれることのほう重要だと思うし、誰かをお膳立てするような生き方は出来ないので、離れたのは必然でしたね。そうすることによって私自身の人生がよりくっきりしたので良かったなと思っています。
私の考えをより強調させるために、離れたところから観察はこれからも続けていきたいです。
それが普通と言われても、私がそれが嫌なんだからしょうがない。
普通って普通じゃないですなー
普通は不通の状態
ちょっと偏見書きますが、金髪にしたーいって言ってる人ってあんまり似合わないと思います。
逆に何の予告もなく金髪にしてくる人は似合ってる。
世の中はそんな感じだなと思うのです。
本当はこれがいいたいんだなって事、気がついてしまうと、なんとも言えない気持ちになります。
ただの買い物と見せかけて、季節を感じられる私、友達や家族に恵まれている私⋯こういう、本当に言いたいことを買い物の中に隠してるところ、あざといなーと思っております。こういうのは毎回なんですけどね。
好きにすればいいんだけど、どんだけ散りばめてもそれを見て純粋にほっこり出来ない私のような人もいるんだなと。
私がそういう、意識していないほっこりを見抜ける!とかではなくて、単純にその人が嫌いというだけなんですよね。
嫌いという感情があると、同じことを言われたり表現されても、まったく違うように自分に届くのが面白いなーと思って毎回毎回見に行ってしまうのです。
人物1:友人♂(わんこ系)
人物2:友人の友人♀(1の好きな人)
人物3:俺様系友人♂(モテ男)
1は2の声も、見た目も知らないまま好きになった。
ネトゲの出会いそして振られた。
リアル恋愛をしたことのない1。私を含め、他方面から恋だよと言われて気持ちが昂ってしまった様子。ゆっくりね、という忠告もどこへやら。あっという間に告白してしまった。
問題は2の声も、見た目も知らない。知っているのは所在地と年齢と過去の男性遍歴くらい。
相手も動揺したらしい。
けれど盲目な1は友人の範囲を越えたくて仕方なかった。
口を開けば「抑えている」「嫉妬で寝れない」と宣っていた。
2は根負けした。ちょっと特別な友人枠(いわゆるネットのパートナー関係)になることを許したらしい。ただしリアル恋愛への道はない。
この時わたしはわかってなかった。
気がないのになぜ許したのだろう。その答えは彼が振られて、私が3に聞いたときに出た。
非モテってのは相手を支配下に置こうとするそうだ。その欲は、女性にはとても良く見える。
でもそれは俺様系非モテであって、1のようなわんこ系には当てはまらないのでは?と聞くと、わんこ系はあざといからだと。無害を装う。でも女性からは嫉妬だの、そういうのは言ってみれば”下”を丸出しで近づいてくるように見えるということらしい。盲目な、支配欲を隠してるフリをして隠せてない変態。それで2の気持ちがこうじゃないかと思い当たった。
2にとっても、1は大事な友人だった。
喧嘩しても切ることはできなかった。
だから友人の願望(この場合は欲望)を、許せる範囲で受け入れようとしたんじゃないかと。
その結果のパートナー関係だった。
けれど1は「自分に対して好意がなければそれは許してくれないはずだ」と、ひどく自分にとっていいように妄想を重ね、それを信じようとしてしまった。そして2が他の人と仲良くするたびに、なぜそういう事をするんだと拗ねに拗ねたのだ。好意があるくせに!のような怒りが沸いたのだろう。言えば、2の1に対する許容は、友人への譲歩だったのだと思う。それを恋愛要素のある好意として、彼は思いこんでいた。
そりゃあ振られるよね、と納得した。
いちおう、2さんはどういう気持ちなのか、ちゃんと聞いた?と何度も聞いたが、その度にかえってくるのは「2はこうこう、こういう子だから、こういう気持ちだと思う」という憶測しか話してこなかった。聞けと言っているのに。
振られたあと、心配になって声をかけたが、関係が切れた今もまた気持ちが再燃すれば告白するかもしれないと言っていたので、リアル恋愛を経験してほしいなあと思った。
まごうことなき姉の気持ちだ。
彼が幸せになる日が、女性を物や理想像にすることなく、生物として対等に、相手の考えを対話をしようとできる日がくることを祈っている。
恋愛のすべては対話だ。
それをわからない人の多さも、ネトゲ世界の特徴なのかもしれない。
「奔命に疲れてしまった」「内職で露命を繋ぐ」
漢検の問題の例文になんだか虚しさを感じでしまった。
時々こういう暗い感じの例文が出てきて、何があった?と聞きたくなる。
受かりますように採用されますようにではなく、落ちてますように不採用でありますようにと強く願うこともあるんだなと思ったこの頃です。