インスタでフォローしていた人の ネコが亡くなった。
とてもかなしくて、外なのに泣いてしまった。
会ったこともない人、ネコなのに。
毎日 写真と 彼女が綴る文章に 体温が ほわぁっと高くなっていた。
それくらい しあわせで きゅんとしていた。
看取った文章は、ほんとうに 春の陽射しのようで、、、、
好きな人には ちゃんと毎日 愛を伝えたい。
それが生きる者の宿命だと思った。
イオちゃん、ありがとう。
私は、あなたの大ファンです。
どうか、タクシーの先で 安らかに。おだやかに。
インスタでフォローしていた人の ネコが亡くなった。
とてもかなしくて、外なのに泣いてしまった。
会ったこともない人、ネコなのに。
毎日 写真と 彼女が綴る文章に 体温が ほわぁっと高くなっていた。
それくらい しあわせで きゅんとしていた。
看取った文章は、ほんとうに 春の陽射しのようで、、、、
好きな人には ちゃんと毎日 愛を伝えたい。
それが生きる者の宿命だと思った。
イオちゃん、ありがとう。
私は、あなたの大ファンです。
どうか、タクシーの先で 安らかに。おだやかに。
平べったい甘めのパン生地にダイスチョコが散りばめられている。そのチョコをメロンパンの上にのってるようなサクサクのビスケット生地で封印する…
駅のコンビニとかで気楽に買えるこのカロリーモンスターが大好きなんですよ。このモンスターに似ているパンを他のコンビニでも見つけたから買ってみました。袋の後を見たら製造元は同じみたいなので、きょうだいなのかもしれないですね。
いつもの兄よりも昨日見つけた弟のほうが体が大きめなんですよ。そのぶんカロリーも高いんですね。
こんな甘い甘い菓子パンは高校生で卒業したかったけれど、まだまだ食べちゃってる。不惑まであと3年切ってますが…
言い訳みたいになるけど、頻度は確実に減ってます!
別に違法なものを摂取して悦に浸っているわけじゃないからいいのか。
そういえば、男女男の3人組グループの昔の曲に、タバコが出てくる歌があった。その歌詞の中に[法律で許してくれてるものだし〜♪]なんて歌ってました。それで気分が持ち治せるならいいんですよね。体には悪いかもしれないけど、タバコもパンも自分自身で気持ちを持ち治せるための手段なら程よく取り入れるならOKですよ。
[100円玉2個とほんのちょっとで♪〜]なんてタバコはもう買えないけど菓子パンは買えますよ。
菓子パンであのような憂いを含んだ感情の起伏を表現する曲は作れないかもしれないけど…
久しぶりに会った旧友とカフェで話をした。
主に自分の愚痴が多かった気がする。
これも後悔しているし、特に私の苦手な恋愛について私の見解を求めているように話されたのはいささか困った。
しかし、そんな私の困惑している姿を見せることなぞ求められていないのだ。そう自分に言い聞かせ、この出来損ないの脳味噌のなかで言葉を選び選び背中を押すような助言(少なくとも私のなかではそのつもりの言葉)をしてやった。
何を言おうと後悔するのがもはや私の常ではあるのだが、今日は特に酷い。
友人が帰った後も、脳味噌が脈打っているのではないかと思うほど思考を止めてくれない。
恋愛ということについては経験がない故に私はそれを自分のなかで崇高なものに仕立ててしまっている節がある。そもそも、そんな私に冷静で客観的な視点で物を言うことができるはずがないのだ。
それがまた得意気な振りをして年上の友人に偉そうなことを言ったりするから、こんなあさましくて厭らしい自分が嫌になるのだ。
初めて友人を招き入れるために久々に掃除機をかけたこの部屋で、雑多な思考と価値観を散らかしながら眠りにつくとする。
こんな日に、些細なことで苛立ち、私の生活は続いているのだと思ってしまう。
先月2回も幻になった休みが、やっぱり必要なんだと思う。
気がかりな糸が絡まりそうで、振り解きたい気持ちに駆られるような、うまく言えない、ここのところの状況。
あと一週間はなんとかする。
だからそのあとは、休ませてください。
好きな音楽が似ているよりも嫌いな音楽が似ているほうが、本当の意味での趣味が合うって思うかも。
ただ音が大きいという点が同じだっただけで、相手が好きなのはノリがパーティー系で私が好きなのはドロドロしてたり尖った世界観だったりしたので、今思えば別ジャンルだったなと思う。
このジャンルが好きっていうのはあっても、そればかりが好きなわけじゃなくて、お互いにこういうのも聴くし好きっていうのがある。そのサブ的な位置づけの相手が好きな音楽の中に私が当時は無理だなぁ…ってのが含まれていてけっこうキツかった。
当時はMDに何曲も入れて、それを聴くというスタイルが主流で(すごい昔に感じる…)車の中で相手のそのコレクションをランダムで聴くことも多かった。そのコレクションの中で自分の中では不快な曲、(というか声が苦手だった)音楽が流れてきたときに、相手が妙に楽しそうでテンション上がってて。私にも歌うように言ってくる。それは私には苦痛でしたね。今思えば相手の好きな音楽ってそっちがメインだったのかもしれない。
自分が好きなものを一緒にいる人が好きじゃなくても、自分がそれを愛でればいいだけだけど、自分が嫌なものをすぐ隣にいる誰かが猛烈に好きだと堪えられないよね。逆に自分が好きなものが相手にとっては無理ってものなら、それも堪えられない。
嫌いなものが一致すれぱ、一緒にいるときはそれに触れることはないから安心できる。音楽の話しだけじゃなくて全てに通じることかもしれないな。
兄がいなくなったことで
親の精神状態も不安定になってて。
以前なら言わなかったようなことを
ちょこちょこ言うようになってきてる
判断力が鈍ってるのかなと感じるようなこととか
マイナスなこととか
自分自身も元々情緒不安定な方だから
この先こんな状況でやっていけるのか
そういった不安も募ってる。
もちろん親のケアもできる限りしなければとも思う
けど自分のことで精一杯だし
まず自分が安定できなければ
他人のケアなんか到底できない
先が不安で仕方ない
今いる場所もあと少しでさようならだ。
私が主役ではなく、あくまでそれを支える脇役なのに、アレコレやらされたり入り込んだりしなきゃならない場所だった。
それももう終わる。脇役としてだけなら本当にお世話になったと思うし、ありがたいなぁと思うことも沢山あった。主役が楽しそうなら、それはとても嬉しいことだった。
脇役が主役を支えられないということで悩むなら良かったけど、それなくてよくない?しなくてよくない?ってことばかりあって、脇役どうしで嫌な気分になったのは本当に疲れた。
求められてないし出演したくないのに、勝手に企画されて出演してしまったスピンドラマのような感覚かも。
ああいうのは本編が素晴らしくて良いものであるから作られると思うけど、本編だけ観られたら充分って人もいていいと思うんだよね。観たい人はもちろん観ればいいし、そういう楽しみ方もあると思う。でも、スピンオフも観ないと本編ドラマのファンとは言ってはいけない雰囲気。出演もしないと作品を大切にしてないとか言われそうな。もちろん、たとえ話だけど今いる場所はそういうところで疲れた。
無理してしまうと素敵な本編にまで嫌な思い出がへばりついてしまう。そんなことはこれからは避けたい。
自分自身がここまで!と思ったことに無理をしない。自分が出来る範囲でやれることだけ望んでることだけで充分。
うっせぇわ ようやく聴きました。
へー、こういうのが流行っているのかー。と思いました。
若い人から言わせると私が古いのかもしれないけれど、
若い人の歌だなというのが感想です。
お酌、串のくだりは 私も うるさいなぁ と思いますが、そういうことを大切だと言い張る人の意図もわからないでもない。
世の中 変化していってますね。
さみしい世の中だなと思う。
留学経験や語学ができる人がうらやましい。
かっこいいなと思う。
うらやましいけれど、自分がやりたいわけではない。
そういう広い世界に飛び込むことがすごいなと思う。
私は小さな世界で暮らしている。
それに満足している。
世間には、私の世界は価値がないようだ、、