表向きは大学生のうちに就職の幅を拡げるためにという理由で、本当の理由は洋楽の歌詞を理解したいからということで英会話をやっていたことがあります。
まだあるのかな?駅前で留学出来るとか出来ないとかっていう宣伝してましたよね。それに通ってました。昔ですけど…
ひとことでいうと、身につかなかったです。私のやる気低下の問題もあるけれど…
1人外国人の先生で生徒は2、3人は英語が話せない生徒というスタイルで一コマのレッスンは進みます。
自分でお金を払っていたのもあるので、喋らなきゃ!という思いはかなりありました。もちろん習いに来ているくらいなので辿々しさしかありません。私としては頑張っていたんですが、他の生徒さんからの冷たい視線がキツかったときがあります。私ばかり喋ってウザかったのかもしれません。でも、しゃしゃり出てるつもりもなかったけれど…このあたりの調整が難しかったのを覚えています。
あるとき、たまたま人がいなくて外国人の先生と私のマンツーマンになったときがありました。そのときに視線がないことが快適で充実感はあったんですね。それからマンツーマンにしてもらいたかったけど、時間が合わないとか追加料金がとか色々言われて出来ませんでした。
思えば、人とのコミュニケーションが日本語ぺらぺらの生粋の日本人どうしでも苦手なのに、日本人どうしで英語を習うなんて、そこから間違っていたのかもしれないですね。
他にも教室のシステムとか納得いかないことがたくさんあって、やる気低下も重なり教室はやめてしまいました。そもそも、英語云々の前に人とコミュニケーションとりたい!って人格に生まれ変わらないと何か新しいことって習得できないのかもしれないです。
あれから何年も経っているけど、人格が生まれ変わっている気配はないですね。でも、未だに洋楽の歌詞は理解したいとは思ってるけど、思ってるだけです。
人はどうしても比べてしまう、誰かと自分や、我が子と他の子や、我が親とよそのお母さんお父さんや、あるいは誰かと誰かを。
中でも自分と人を比べて落ち込むのは、やめられないドラッグみたいなもの。
どうしたって比べてしまうものならば、以前の自分と現在の自分を見てみよう。
少しは良くなってるものだもの。
もし、そうでもなくたって、山もあれば谷もあるのだから。
始まってから終わりまで、平坦なだけの筈はないのだから。
銀行のログインPW、長らく変えるの放置しててこの間変更したんだけど、まあ見事に忘れるというか…モロに書くのもなと思って自分だけが分かるヒントだけ書いてデスクトップの付箋に書いてあるんだけど、単語の要素はわかってるんだけど表記が微妙に違うのかPWが違うと出てきてロック…だから変えたくないんだよ~!!
「うち、すぐ隣なんでトイレ使ってもいいですよ」
これを言ったらおしまいだと思っている。まだ微妙な関係では特に。
これからも付き合いを続けるなら、トイレくらい貸してあげなよ〜という意見も最もだと思う。でも、これからも絶妙な距離感で付き合うならトイレは気軽に貸しちゃダメだと私は思う。
この間いた広場は確かに私の家が一番近い。もう見えてるくらいだし。でも、相手の家も近いのだ。だから、ツレがトイレに行きたい行きたいと騒いだなら帰る選択をすべきなのだ。
トイレのある場所を他の人にひたすら聞いていて、それなら帰ったほうが早いよね〜とまで言われているのに、まだ帰らない。
「うち、すぐ隣なんでトイレ使ってもいいですよ」待ちなんじゃない?これ?と思ったから言わなかった。
私が大きく妄想しているだけかもしれないけど、自分の家があるなら自分の家で済ますのが当然なのだ。なんとなくだけど、この人は他人の力ありきなのか?と思えてしまって、距離を大切に離していくのがいい付き合い方かもしれないと初めて話したに等しいのにそう思った。
私も若いわけじゃないし、自分の独自のアンテナや基準で判断してもいいよね?と思っている。
某テーマパークの赤と緑の配管工兄弟のエリアがグランドオープンした、とのことで、ここ最近、あの地上のBGMがそこかしこで流れている。
あれ、結構頭に流れるんだよな。
きょうも職場でトイレに行こうと階段降りてたら、思わず口ずさんでたんだけど、
♪わったしーのなまーえは
はせがわーまりーこ ごじゅうろくー
って、シャンプーハットのネタで歌ってた。
恐るべしまりこ様。
シャンプーハットといえば、コイデリンピックというネタが好きだったんだけど、いままでそのネタを知ってる人に出会ったことがない。もう一度見たいんだけど、どこかで見れないかなー、やっぱり劇場かなー、と、いまは難しいことを思っている。
いい仕事をした。気がする。
相手より、たぶんそれ以上にわたしがうれしかったから。お酒を飲みたい気分だが、そういう嗜みがないため、どうしたら良いか分からず、ベッドに潜り込む。
ただ、いい夜だ。
明日、何か祝いのお酒を買ってみよう。
たぶん今なら、何をのんでも美味しいと思えるはず。
昨日はある場所を離れるためのセレモニーに参加。私はあくまで付添人の立場ですが。
私はメインではなく、サブです。でも、このサブどうしの行き過ぎる結束やイザコザがけっこう面倒だったんです。こうやって改めて振り返るとただのサポートの立場なのに、なんでこんな気持ちになるんだ?と思うと滑稽ですね。
メインが新しい一歩を踏み出すためにその場を離れるセレモニーではあります。1人1人のメインにサブがついていますから、それぞれの形でメインの新しい門出に感極まって涙が出ることもあります。
それは普通のことだと思いますが、あるサブがやっぱり泣いていたんです。私はこのサブが嫌いでした。目に入ったものは気に入らなければすべて悪口、人を自分にとって使えるか使えないかだけで判断して、使えないと判断した人に対しての圧や否定が凄まじい人でした。私も使えない側に認定されて圧をかけられたので疲れた記憶があります。
こういう人が感極まって泣くのって、なんかチグハグ感が出てしまいます。何の涙なんだろう?と冷静に見てしまいました。他の人に対しては何も思いませんでしたが。
何の涙?と冷静なつもりでしたが、サブにやられた色々な不快なことが蘇ってきて、私も涙が出ましたね。もちろん、メインの成長を嬉しく思う涙も出たんですが、怒りと不快感も同じ涙にブレンドしてしまいました。
悲しい涙、嬉しい涙。怒りの涙。涙にも色々種類がありますが、たった2つしかない瞳から同時刻にすべての種類の涙を昨日は流したなと思います。
あるようで中々ないことだと思いますね。喜怒哀楽を一気に表す涙は疲れるので、そういう涙は流したくないですね。
早く重いコートを脱ぎたくて、春服がほしくなっている。
あざやかな青のワンピースが着てみたい。
久しく連絡のないあの人は、この春、見てくれることはあるのだろうかと思いながら。
兄に対してお経読むことに意味を感じないのよ
嬉しいか?って。
こんなん読まれても嬉しいか?って。
儀式的にやるもんだろって。
なんでこんなもん読まなきゃいけねーんだよ