noteという文章を書くサイトがあってそれに書いてるんだけど私は有名でもないしフォロワーも別にいないし、やはり見てもらえない。ただ書いている、というだけ。
有名な人やフォロワーが多い人はいいね(ハートの数)も多い。それだけ多くの人に見てもらえている。私は良い時で五、六人。それだけでも有り難いのだけど最近ほぼゼロ。
記事書くのも下手だし、文章力もないから当たり前のことなんだけれど、やはり寂しい。情熱は人一倍なのに結局伝え方がまずかったり、勝手な文章を書いているとやはり誰にも見てもらえない。見てもらえない、というか届かない・・・。
私の思いは、結局誰にも届いていない。それがとても悲しくて。
別にいいんだけど、ああやっぱり独り善がりなのかなと思う。
インターネットに書いて載せる、ということは結局ここもそうなんだけど誰かに自分のことを見てもらいたくて誰かに思いを届けたくて書いている。
つらいから吐き出したくて書いていて、この声を誰かに聞いてもらいたくて書いているのに結局誰にも届かない、のであればそうしてまた一人ぼっちの世界にハマっていく。
それでもいいんだけど、ああ理解者がいないんだ、となってしまう。
特異な存在なのだと自分でもわかっているけど、少し寂しい。
インターネットに載せる、ということはやっぱり誰かに見てもらいたくて書いているわけだから、それが叶わないとなるとかなり落ち込む。厄介な性分。
承認欲求、というのでしょうか。ほんと、ここ最近だよね、この言葉見るのも。
一昔前はこんな言葉聞いたことありませんでしたよ。
そんなのどうでもよかったんじゃないのかな、みんな。
そんなに今ほど気にしてなかったと思う。私も。
90年代、インターネットが盛んになり出した頃、そんなものなかったと思うけどなあ。
SNS増えてからですよね、そういうの増えたの。厄介なモノが出てきた。
昔はもっとみんな、普通にネット生活楽しんでたと思います。というかね、ネットと現実の区別が昔はついたんですよ。みんな、その辺ちゃんとわかっていたと思う。
それがね、ネット社会になりすぎた。浸食しすぎましたよね。
そこからみんなおかしくなり始めたのかなあ、と思う。疲れてきた。
昔はネットの楽しみ、現実社会の生活、分けて楽しめていたと思うんです。
それがネットなしじゃ生活出来なくなっているんだもん、そりゃあおかしくもなりますわ。
ううん、昔に戻りたい。こんなマイナスのことばっかり書いているから多分noteでも誰にも見てもらえないんだと思うけど、キラキラした記事私には書けない。ネガティブになってしまう。
別にキラキラしてなくてもいいと思うんだけど生きることって、キラキラするんじゃなくてもっと汚いことだと思う。汚くてしんどいものだと思う。泥臭くて。
ただの愚痴なんだけど、自分はネット社会が進化すればするほど、昔のインターネット黎明期を思い出します。手探りだったけど楽しかった。