遺品を見て涙が出るのは悲しいしんどいというか、
これを使ってた人はもういないんだって実感しちゃうから。
見ないでしばらく経てばその気持ちは日常に埋もれるけど
少しでも片付けようかな、見てみようかなって
また触れてしまうとどれだけ時間が経ってもそうなる。
本当にもう居ないのか、どこにいったのか考えてしまう
たぶん1年経ってもその先もずっとなんだろうね
今日はとことんツイてない。
ツイてない日って不思議と嫌なことが重なる。。。
何でだろ…..
こんな日は好きな音楽聴いてテンション上げるか、好きな漫画読んで気を紛らわそう。
そして早く寝るに限る!
私もスタンドバイミーを見ました。皆さんがスタンドバイミーのことを書いているのでワクワクしてしまい、スタンドバイミー繋がりで奇妙なことになっているが書きたくなったので書く。私も同じくスタンドバイミーを見た。ドラえもんの方ではなくて。ちなみにDVDも持っている。ちなみに過去にビデオ(VHS)テープにも録画している。日テレ版は昔ラストが神がかっていたのですが今回はカットでした(多分)それが唯一残念でした。
自分は50年代から60年代の古き良きアメリカンが大好きでスタンドバイミーも例外ではない。何故だか懐かしい。12歳の男子四人の真夏の冒険。
それだけでも何故かワクワクして楽しい。楽しいだけではなく少年たちの寂しさも添えて。大人になっていく夏休み。こんなに思い出に残る映画も中々ない。
映画の感想と言えば何がいいかと言えば上手く説明出来ないし、どこがいいのと言われてもハッキリ応えられない、その矛盾したモヤモヤがまさにこの12歳の思春期の少年たちそのものを現している。少年たち特有のモヤモヤがこの映画の最大の見どころだと思う。だから感想なんて特にない。言えないのだ。文字に出来ない。
思春期のモヤモヤを言葉にするのは誰だって難しい。私にも無理だった。
ゴーデイは作家になっていた。ゴーデイならば、上手く書けるのか。
ゴーデイは書いていた。自分たちのことを。ゴーデイの締めが最高にカッコイイ。
いつも一緒にいたとか、大親友だったとか特別そういうのでもない。小学校、中学校の友人と言えばただなんとなくいつもそこにいてなんとなく一緒にいた、とかではないだろうか。仲良しの大親友なんて物はいなくて当たり前のようにすごしていく日々の中で傍らにいてくれた人という印象がある。私も特別明るい子ではなかったし、どちらかと言えば暗かった。だけど一緒にそばにいてくれる人がいた。その人のことを思い出す。「スタンドバイミー」は(僕のそばにいてほしい)のような意味なので映画もそのことを指しているのだと思う。
新しい仕事に就いて半月ほど経ちました。
さっき帰って来て、足が今ジンジンしてます。
いや、ジンジンではなくジンジンジンジンジンジンです 笑
今日は重い物も持たなかったけれど、常にある腰痛がしんどいのはもう仕方ないので、せいぜい休むとします 笑
行く前にしっかり食べたのは良かったです。
麦茶も持って行きましたが、飲むのを躊躇っていたら気分が悪くなりかけたので、お客様が来ないうちにとサッと飲みました。 美味しかった!
そしてまたサッと飲み、またサッと飲みました 笑
でも少し緊張も和らいで来たし、当分頑張ろうと思います。
足はジンジンしますけど。
いや、ジンジンジンジンジンジンジンジンジンジンしますけど 笑笑
スタンドバイミーを観た。
たった一度きり、もう二度とない、一生のうちの永遠になってしまう出来事。
今はもう、どうしているのかはわからない。
けれど、長い時間のネットのつながりよりもはるかに強く、どんなに状況が変わっても、あのこと過ごした時間がただただ心強い。
自分にも昔そんな人がいて、だから今はひとりでも平気でいられるのかもしれないと思う。
私は両親、兄弟であっても「他人」という括りにするよう心掛けなければならない。
精神衛生上、同じものを期待したらすり減るばかりだ。心が。
「家族」ってなんだろう。
思い通りにされ、思い通りに動かせる。
根っこが同じだから理解しあえる。
それが「家族」だとしたら、私にはいま「家族」はいないということになる。
この年でそれに気がついた。
私が育った場所は一体どういう場所だったのだろう。
両親は低所得で外聞をずいぶん気にするご夫婦だったので
見栄ばかりの薄っぺらさで、伴侶となる相手にはそれ相応の地位を求める、みたいな感性を植え付けられた気がする。
いま、家族のふるまいで覚えていることを書くなら
私の行動が思い通りでないと、だれかほかの人の名前を出して
だれそれが嫌がってるとか、だれそれが喜ぶとか、そういう言い方をよくしていた。
自分の考えを他人の威を借りて言う。
自分が強くいたいから他人の威が必須だった。
その証拠に、姉と兄は伴侶に、ご家族が公務員とか市長の周辺の人がいるとか、そういう人を選んでいる。
また姉が私を誇りだのなんだの言ったのは、進学校にいたときと、大学のプログラムで海外にプチ留学したときだけだ。
父も、たかがプチ留学しただけなのに、それを言いふらしてたらしい。
あまり褒められない人間性だと思える。
そしてそれがわかるということは、私の中にそういう人間性があるということだ。
理解はできる。できてしまう。
けれど同時に不快だと感じてしまう。だって自分のことじゃないのだから。
それらに都合よく使われたくない、と思ってるのなら
もはや家族と言えないのではないか。血がつながっていることすら不快なのに。
いままで同じ部分があったらうれしいと思ってきたが
うれしいと思うことすら減った。
呆れることのほうが増えた。
だからあの「集団」はもはや「他人」で合っている。
そうしないと、私はああなってしまうのだ。
家を出て遠く離れて、実家が変容したと思う。
嫁いだはずの姉が、出戻りのように出張って、子供を預けては遠くまで仕事を入れ
年末年始も子供を連れて帰ってきて
ずっと飲み食いしていたが、私が家を出てからはさらに拍車がかかった。
自分の位置を確保したいのだと思う。
というのも、姉は20前後で鬱になったことがある。
母を病室で独占して、やっとひとりじめできた、とごちたことがあるそうだ。
姉であることを求められ、甘えはゆるされず、その末路。
不倫もしてたし、男は自分の都合通りに動かせるように行動してた。
すべて自分の思い通りにならないと自我が崩壊する、他人依存な人なんだと思う。
だから実家を思いどおりにしようとする。
私がいたからできなかった、と声高に言うように
結婚できない娘、だのなんだの、よくわからない価値観をふりまかれたこともある。
気持ちが悪いの一言。
けれど私が出て、その隙間に入り込んだ姉は、なぜか両親からも兄からも信用が高く、意味がわからない。
子供は他人をバカにするように育っているし、そのくせ箸の使い方ですらまともでないのに。
一体、姉のどこを見て、みな信用するんだろう。
結婚したなら年末年始お盆、先方との価値観にもよるが、ずっと実家にいるのはいかがなものか。
食べ方や姿勢や、他家族と一緒になる点において、見せられて汚い部分を広げるのは実家の恥ではないか。
だのに、彼女を受け入れるのだ。
嫁いで性も違うのに、家族のあれこれに必ず彼女が対応する。
両親も二言目には彼女の名前を言う。
うらやましいとか、そういうことではなくて、いびつで気持ちが悪いなと思うのだ。
最近、言って後悔することが増えた。
言っても通じない、というか。
きっと私が見た目と地位と、そういったものがない立場だから。
人から見ても、私が自分を見ても、そういったものがない。
仕事も頑張っているが、その努力はいつも足りないと言われる。
やりたくないことはやりたくないから。
だから信用されないんだと思う。
小さいころから何になりたいか、と言われてきたが
何になりたい、で狭めてしまうと、
世間からどういうイメージに見られたいか、が先行して
自分のやりたいことからかけ離れるので、いつも言えなかった。
理想はある。
きれいで透明で仕事のできる美しい女性像。
華やかでなくてよく、細かいことをこつこつとする職人のような、それでいて柔和な人。
そういう人になれば、何か言っても誰かに何かを響かせることができるんだろう。
けれどやりたくないこともやって
精神的に折れない自信がない。
そういう人になれるのは、自分より他人を優先できる人だ。
私には無理だ。
他人、人間に時間を割いて、自分を変えて、その先に不完全燃焼で不満だらけの時間があるような気がしてならない。
そう、他人に時間を割くのは、もったいない、そうだ、そこだ。
理想像になれるはずもないんだから、言っても徒労に終わるんだ。
言う必要がない。
言っても変えられない。
もともと言って響く人がいる職場なら、言わずともきちんと成っていく。
響く人がいないから、言っても意味がないし、言うだけ損の後悔も襲ってこない。
文庫本を読み始めてしばらくしてから、読んだことのある本だと気がついたんだ。うっかりしたなぁ。そんな風に増えてしまった本がいくつも本棚に並んでいる。それでも処分する気になれないんだよ。本に罪はないからさ。もし、本棚を見ても笑わないでいてくれるとありがたいよ。
じゃあ、またね。
仕事辞めて、人になにかするのって自分が少しずつ削がれてく気がして
でも実際はそんなことないし、結構楽しかったりするし振り返ると恥は多いけど宝物になったなーって思う。
お客さんとか何気ないやり取りとか。
(全然関係ないけどスーパーのレジとかのお釣り渡す時接触するのに気を使ってくれてるなーとか)
新しいことは楽しい。
掘り下げていくことは、結構苦痛だったり、知れば知るほどドス黒いものを知ったり、限界なんじゃないかって思うこと、ある。
でも、なんやかんか、これやったらみんな助かるだろうなーとか、自分がブレずに自信もって、自分信頼して、自分を愛して進んでいけるなら、なんも心配ないよね!
なんて思ったりする。