名の知れた人と同じ学校だったことがあって、その人にちょっと意地悪されたりしたことがあります。違う学年だけど、所属していた課外活動で露骨にヒソヒソばなしをされたというレベルなんですけどね。でも当時はすごく嫌で悲しかったですよ。相手は私を覚えてないでしょうが。
これはすごく昔の話で私も若かったというか子どもだったんで、「あの人にそういうことされたことあるー」なんてペラペラと話してしまったこともあります。話し相手が興味持っているということで喋り過ぎてしまったかなと。
それは名の知れた人に対して反省しているんじゃなくて、自分がされた嫌な事は本当のことで悲しい思いをしているのに、話し相手はそこにあまり興味はなく、名の知れたあの人ことしか興味ないってわかったからです。自分のされた嫌なことに同情してくれた人ってあんまりいなかった気がします。
「この人、あの人と同じ学校だったんだってー」と自分から話していないのに、それをクッションにされて話が始まることがありました。それを初めて聞いた人から「そういうネタ大事だよねー」って言われたことがあるんです。
私の悲しい思い出はもはやネタ扱いなのか…となんとも言えない気持ちになりました。
もう自分からこの人と同じ学校だったということは話すないけれど(今、こうやって書いてるけど…)、自分の中だけで保存しておいたほうがいい事ってたくさんあるなぁと思います。変な解釈されてまた傷ついたりしないから時々こうやってオブラートに包んで置いとくくらいがいいのかも。
あと、人ってやっぱり噂話って好きなんだなぁって…それも学べた出来事かな。悲しいことほどベラベラ言わないって大事です。
めちゃくちゃなことをめちゃくちゃなままに書くことが公害になりかねないことをいつも気にしていて、アウトプットするのに紙媒体よりずっと手軽だからという甘えで申し訳程度に鍵をかけるなどしていたが、座席に縮こまり誰にも触れないようにすることがせめてもの考慮と考える真夏の汗かきの人間と変わりなく、そんな考慮になんの意味もないことを知っていたので、ここの隅に座ることにした。
(煌めく人 B’z)
変わろう。
こんなふうに、強く思ったのはいつぶりだろう。
これまでうやむやにしてきたことに、さよならする。
人の目も気にせず、心のままに思いっきり、やってみる。
誰かに呆れられたり、笑われるとか、もう知ったことではない。
自分が大事だと思うこと、心が惹かれることに忠実に生きてみたい。
いつか、このことを誰かと笑って話せるようになろうと思う。そうしよう。
たまに過去の写真とかムービーとか見返すけど、やっぱりあの日の前後はなかなか見るのきつい。
この頃はまだこの世にいたな、とかどうしてもかんがえてしまう
お腹のあたりがザワザワして。
この時連絡してれば、今もあの人はこの世にいてくれたのかなとか。
辛くなる
これを誰にも言えないのもしんどい
朝ごはんにバウムクーヘンを食べる。
シュガーグレースがかかってて冷蔵で売っているコンビニのもの。
あのシュガーグレースをかけるだけでなんであんなに美味しさが増すんだろうか。
ドーナツもあのグレースでコーティングされているのが大好き。
久しぶりにたべたいなぁ。
甘すぎるなぁと思うんだけど、コレに関しては許せる甘さ。
甘いものは好きだけど何でも甘ければいいというわけじゃないのだ。甘すぎる飲み物は苦手だし。でも、某チョコ屋のチョコドリンクは甘いけど好き。
コレはよくてアレはダメって他の人から見たら一貫性がないように見えるだろうけど、自分の中ではちゃんとルールや作法があるのよ〜それが人によって違うから面倒だったりするよね。
許せる矛盾と許せない矛盾って確かにあるからね。それが一致することが価値観の一致というのかも。
価値観の違いばかりに触れて疲れることも多いけど、そういうときは砂糖のグレースかかった何かを口に放り込んでコーヒーでもつけてあげればそこそこ元気になるから大丈夫。
砂糖のグレースといえば柑橘系のパウンドケーキにシュガーコーティングされてるケーキが食べたい。酸味と甘味のバランスが最高なんですよね。
日曜日の夜は嫌い。
明日から仕事だから。
ほぼカレンダー通りの会社。
予定は組みやすい。
このご時世、予定なんてないね。
明日のことを考えるのは真面目なのではなく、自分の価値を下げないためなのかもしれない。
ヘマをして職場の人から白い目で見られることを恐れているから。
言葉にすると滑稽だね。
新しいカーテンは今朝届き、さっそく付け替えた。プリーツのないカーテンなので、前よりも見た目がすっきりした。注文する時、ガイダンスの通りに数字を入れたら、床に届かない長さだったので、冬になったら足元が冷えそう。
今月後半に Amazon でセールがあるので、欲しいものをどんどんカートに入れている。その買い物と、月末に古い衣装ケースを粗大ゴミに出して、引っ越し後の整理はすべて終わり。
生活のリズムも落ち着いてきて、これから少し新しい習慣を取り入れられそうな余裕が出てきた。
これまで自分のことを「人生の迷子」だと表現していた。でも迷子には、探してくれる人が存在することに気づいた。
私は、誰かが私を見つけるのを待っているつもりはない。私が見つけ出したい。
私は「人生の冒険者」。
やっぱ匿名で書けるっていいよね。此処は日記を書く場所だけど、ちょこっとした思いやどうしてもやりきれない感情を青鳥で呟くにはちょっとね…って思う時がある。だから此処とはまた別の匿名で書けるアプリを使ってる。気づけばもう10年くらい使ってる気がする。
匿名アプリにも色々あって、よくあるのは匿名なのにコメント書き込めるアプリ。でもあれって全然違うんだよね。
匿名なのに寂しいから誰かに構って欲しいって目的の人と、SNSに疲れたから匿名で呟きたいって人の目的が一緒になってるアプリが多くて。
その匿名アプリの一番最初に開くページにオススメが出てきてその匿名世界でバズってる人の呟きを強制的に見せられる。それを見るだけでストレスになる。その世界でもバズりたいって思いの人はもう自分の垢晒す世界に行けばいいじゃない?なんで匿名アプリ使ってまで、バズりたいのよ。承認欲求が強い押しの強い人、SNSで凄く苦手。それだけで凄くストレス溜まっちゃう。匿名アプリなのにコメントで繋がることの意味がよくわからない。絶対に嫌味な意見の人はいる訳で。それに耐えるほどの心を持ち合わせてない。匿名で書くことの意味は人それぞれだとは思う。けど匿名アプリは唯一共感してくれるのみの機能だけでいいと思う。その共感で顔も知らない全く知らない人たちなんだけど同じ思いの人がいて自分だけじゃないって強い思いに変わることもあるし。声は感情を読めるけど言葉を知らないと字は相手を傷つける凶器にもなってしまうし要らない事言われるよりは共感だけで、とっても救われる。
家で作ってきたカフェオレを持って、日曜午前の図書館から、公園読書。
ひらけたところの木々の間にあるベンチ、足元に広がるシロツメグサ。
時々、犬の散歩の方々が通り過ぎる。
今日は風が気持ちいい。
コロナになって気づいた近所の楽しみ。
なんだかすごく、贅沢な気分。