今痩せて太っての繰り返しの人生で最重量。
へこむ、、、
自分の食生活とか、代謝の衰えとか、いろいろ考えて きちんとしないとな。
ひどいカラダ。
特に誰かに見せる予定もないけれど、もう見せられないのかと思うと かなしい。
そんなつらい朝。
お仕事いってきます。
今痩せて太っての繰り返しの人生で最重量。
へこむ、、、
自分の食生活とか、代謝の衰えとか、いろいろ考えて きちんとしないとな。
ひどいカラダ。
特に誰かに見せる予定もないけれど、もう見せられないのかと思うと かなしい。
そんなつらい朝。
お仕事いってきます。
自分がやりたくてやってるようなことに対して、他の誰かがやらなかったり熱量が低かったりすると、ズルいって言う人って一体なんなの?と正直思う。
賃金が発生する仕事ならば、ある程度求められていることはしないといけないと思うけど、そういうものじゃない場合に対して。
こういう人って本来の目的じゃなくて、別のところに目的があるんだよね。
例えば「率先してやる人と思われたい」とか、「人との繋がりを増やしたい」「人と集まって楽しくやりたい」などなど。
本来の任務そのものは手間だと感じているから、少しでもやる気がない人やしていない人にズルいって思うのだろうなと。
そんな手間が掛かる任務をやっている自分が偉い!でも、こういうことをやりたがらない人がおかしいと歪んだ正義感があるからズルいって感じちゃうんだと思う。
何事にも純粋にやる気が出たらいいけど、正直そうじゃないよね人間なんだし。だからやりたくないなら無理してやらなくていいんだよって心の中では偉そうに諭してしまうよ。
やる気がないのはズルくはない。ただ、本来の目的を必要だと感じて純粋に取り組んでくれる方のおかげで成り立ってると感じるときはありがとうと思います。
なかなかそれが純粋なやる気なのか否かは開いてみないとわからないけど、そこに飛び込みたくないのに飛び込んだせいで色々見えてきたものがあったのよ。
同じ熱量どうしで同じ目的を達成するって難しいよね
初エモンガ捕まえた!たしか去年緊急事態宣言時期にエモンガが初実装されたけど、外出るのを極力避けてたから捕まえにいけず、今日初ゲットとなった。嬉しい。あと夏バージョンのシキジカ捕まえないと。影出るけど遠いんだよな。
遺品を見て涙が出るのは悲しいしんどいというか、
これを使ってた人はもういないんだって実感しちゃうから。
見ないでしばらく経てばその気持ちは日常に埋もれるけど
少しでも片付けようかな、見てみようかなって
また触れてしまうとどれだけ時間が経ってもそうなる。
本当にもう居ないのか、どこにいったのか考えてしまう
たぶん1年経ってもその先もずっとなんだろうね
今日はとことんツイてない。
ツイてない日って不思議と嫌なことが重なる。。。
何でだろ…..
こんな日は好きな音楽聴いてテンション上げるか、好きな漫画読んで気を紛らわそう。
そして早く寝るに限る!
私もスタンドバイミーを見ました。皆さんがスタンドバイミーのことを書いているのでワクワクしてしまい、スタンドバイミー繋がりで奇妙なことになっているが書きたくなったので書く。私も同じくスタンドバイミーを見た。ドラえもんの方ではなくて。ちなみにDVDも持っている。ちなみに過去にビデオ(VHS)テープにも録画している。日テレ版は昔ラストが神がかっていたのですが今回はカットでした(多分)それが唯一残念でした。
自分は50年代から60年代の古き良きアメリカンが大好きでスタンドバイミーも例外ではない。何故だか懐かしい。12歳の男子四人の真夏の冒険。
それだけでも何故かワクワクして楽しい。楽しいだけではなく少年たちの寂しさも添えて。大人になっていく夏休み。こんなに思い出に残る映画も中々ない。
映画の感想と言えば何がいいかと言えば上手く説明出来ないし、どこがいいのと言われてもハッキリ応えられない、その矛盾したモヤモヤがまさにこの12歳の思春期の少年たちそのものを現している。少年たち特有のモヤモヤがこの映画の最大の見どころだと思う。だから感想なんて特にない。言えないのだ。文字に出来ない。
思春期のモヤモヤを言葉にするのは誰だって難しい。私にも無理だった。
ゴーデイは作家になっていた。ゴーデイならば、上手く書けるのか。
ゴーデイは書いていた。自分たちのことを。ゴーデイの締めが最高にカッコイイ。
いつも一緒にいたとか、大親友だったとか特別そういうのでもない。小学校、中学校の友人と言えばただなんとなくいつもそこにいてなんとなく一緒にいた、とかではないだろうか。仲良しの大親友なんて物はいなくて当たり前のようにすごしていく日々の中で傍らにいてくれた人という印象がある。私も特別明るい子ではなかったし、どちらかと言えば暗かった。だけど一緒にそばにいてくれる人がいた。その人のことを思い出す。「スタンドバイミー」は(僕のそばにいてほしい)のような意味なので映画もそのことを指しているのだと思う。
新しい仕事に就いて半月ほど経ちました。
さっき帰って来て、足が今ジンジンしてます。
いや、ジンジンではなくジンジンジンジンジンジンです 笑
今日は重い物も持たなかったけれど、常にある腰痛がしんどいのはもう仕方ないので、せいぜい休むとします 笑
行く前にしっかり食べたのは良かったです。
麦茶も持って行きましたが、飲むのを躊躇っていたら気分が悪くなりかけたので、お客様が来ないうちにとサッと飲みました。 美味しかった!
そしてまたサッと飲み、またサッと飲みました 笑
でも少し緊張も和らいで来たし、当分頑張ろうと思います。
足はジンジンしますけど。
いや、ジンジンジンジンジンジンジンジンジンジンしますけど 笑笑
スタンドバイミーを観た。
たった一度きり、もう二度とない、一生のうちの永遠になってしまう出来事。
今はもう、どうしているのかはわからない。
けれど、長い時間のネットのつながりよりもはるかに強く、どんなに状況が変わっても、あのこと過ごした時間がただただ心強い。
自分にも昔そんな人がいて、だから今はひとりでも平気でいられるのかもしれないと思う。
私は両親、兄弟であっても「他人」という括りにするよう心掛けなければならない。
精神衛生上、同じものを期待したらすり減るばかりだ。心が。
「家族」ってなんだろう。
思い通りにされ、思い通りに動かせる。
根っこが同じだから理解しあえる。
それが「家族」だとしたら、私にはいま「家族」はいないということになる。
この年でそれに気がついた。
私が育った場所は一体どういう場所だったのだろう。
両親は低所得で外聞をずいぶん気にするご夫婦だったので
見栄ばかりの薄っぺらさで、伴侶となる相手にはそれ相応の地位を求める、みたいな感性を植え付けられた気がする。
いま、家族のふるまいで覚えていることを書くなら
私の行動が思い通りでないと、だれかほかの人の名前を出して
だれそれが嫌がってるとか、だれそれが喜ぶとか、そういう言い方をよくしていた。
自分の考えを他人の威を借りて言う。
自分が強くいたいから他人の威が必須だった。
その証拠に、姉と兄は伴侶に、ご家族が公務員とか市長の周辺の人がいるとか、そういう人を選んでいる。
また姉が私を誇りだのなんだの言ったのは、進学校にいたときと、大学のプログラムで海外にプチ留学したときだけだ。
父も、たかがプチ留学しただけなのに、それを言いふらしてたらしい。
あまり褒められない人間性だと思える。
そしてそれがわかるということは、私の中にそういう人間性があるということだ。
理解はできる。できてしまう。
けれど同時に不快だと感じてしまう。だって自分のことじゃないのだから。
それらに都合よく使われたくない、と思ってるのなら
もはや家族と言えないのではないか。血がつながっていることすら不快なのに。
いままで同じ部分があったらうれしいと思ってきたが
うれしいと思うことすら減った。
呆れることのほうが増えた。
だからあの「集団」はもはや「他人」で合っている。
そうしないと、私はああなってしまうのだ。