少しだけ暗い、というか胸糞悪くなっちゃうかもしれないお話。
私は常々、一緒に遊んでいる人を「友達」と呼んでいいか悩む人間だ。
私は友達だと思っていても相手は友達だと思っていないかもしれない、と遠慮して、一緒に遊んだ人や話した人を指すときはいつも「知人」と呼んでいる。
「友達」とはどこからなのか、どこまで話していいのか、相手が嫌なことをしないのは当たり前だけれども、自分が嫌なことをされたら縁を切るべきなのか、大目に見るべきなのか……と悩みながらも、まあ大体楽しいのでいいかと笑って過ごしていた。
学生時代から付き合いのあるその人たちとは、話が盛り上がって朝まで遊んだこともある。インドア派が多いが一緒に遊園地にも行ったし、各々の家にだって泊まりに行った。
愚痴も聞いた。私も話した。相談にも乗った。私は、特に彼らに相談することはなかった。
けれども、「友達」と呼ぶには十分な関係性だったはずだ。
ところで、私には苦手なゲームがあった。なぜ苦手かは省略するが、とにかく名前を聞くのも音を聞くのも嫌な、いわゆる地雷のゲームである。
知人はそのゲームを好んで遊んでいた。彼は寂しがりでネットに知り合いを作らないタイプなので、よく周りの人を誘っていた。
私も誘われたが、彼は私がそのゲームを苦手なことは知っていたはずである。申し訳ないけど、一緒に遊ぶことはできないよと言うと彼は、
「今は苦手かもしれないけど、『好きな友達』と一緒に遊べば、好きになれるんじゃない?」
と言った。
彼は、自分を「あなたが好きな友達」と自称した。
私はなんだか気持ち悪くなった。
そうして、自覚してしまった。私が「友達」と呼ばないのは、「相手は友達だと思っていないかもしれないから」ではなく、「私が友達だと思っていないから」だと。あんなに一緒に過ごして笑い合った相手でさえも、心の底では「友達」と認めていない。
目の前が真っ暗になった気がした。
私は、
まあ大体楽しいのでいいか、と思った。
本当は「友達」と思っていないようだけれども、だからといって縁を切るほどの話でもなく、関係性はこれまでと変わらず、ただ笑い合う相手だ。付き合い方を変える必要もない。
心を許しているかどうかに関わらず、一緒にいて楽しいのならば、別に「友達」というラベルでなくてもいい。「知人」が少しそっけないようなら、「旧知の仲」とでもしておこう。別に嘘は言っていない。
そんなこんなで、自分のちょっと冷酷な面を垣間見ながらも、今度の土曜に約束したオンラインで遊ぶ予定を確認して、旧知の仲のその人たちとのグループラインに返信して、スマートフォンを閉じた。