すごく久しぶりに人魚が迫ってくるロゴマークのコーヒー屋に行きました。いつもやたら混んでいるから最近はあまり行っていませんでした。
行くとナントカフラペチーノを頼んでいましたが、今日はコーヒーを頼みました。遠い昔の私が高校生のときに行動範囲にこの店か出来て、行けば必ずフラペチーノというループ。そんなにしょっちゅうは飲めませんでしたが。高校生には高い気がするし。でも今の高校生ってよく飲んでいるイメージだけど、それすらも古いのかなんなのかもうわかりませんね。あの頃は自分的には珍しい存在だったけど、今はどこでも人魚マーク見かけますね。時の流れを感じます。
大学生の頃は飲み物プラスチョコスコーンをつけていた記憶があります。モソモソしてチョコの固まりがゴロゴロでなんか美味しかった記憶があります。モソモソしてると書くと美味しくなさそうなんですが、美味しいのにモソモソしてるって不思議です。まさに飲み物が必要で長居するのには丁度よかった気がします。
けして嫌いになったわけじゃないのに、混んでいるというだけでなんだか遠ざかっていた店。でも混んでいる場所は嫌いだから嫌いになったとも言えるのか?嫌いってなんでしょうね?
嫌いにも色々なレベルがありますよね。嫌いじゃないけど、他に居心地がいい場所や方法を見つけただけなんでしょう。それは嫌いじゃなくて心移りというのかな?でも、混んでいなかったらまた来たいなぁなんて思いましたから存在としては好きなのかもしれないです。そういう不思議な存在ってたぶん忘れているだけで溢れているのかもしれないですよね。
いつぶりかの日陰のベンチで公園読書。
大雨続きでなかなか来れず、気づけば紅葉が始まっている。
風が気持ちいい。水の流れる音。虫の声。
この数日、なんとなく元気が出ないままだったけれど、ようやく回復の兆し。
金木犀の香りのハンドクリームGETした!
パッケージとってもかわいいし
めちゃめちゃ良い匂いでテンション上がるぅ〜
仕事柄普段はハンドクリームつけられないから
お休みの日にぬりぬりして散歩しようかな!楽しみ!
WordPress 無理!
使い方が云々じゃなくて、
ブログ宣伝のための SNS 運用や
何よりブログを人に読んでもらうために
自分の仕事について書いたりするの嫌だ!
仕事に誇りを持ってやってるし
書けなくはないんだけどめんどくさいとにかく。
思ったことを好きに書きたい。
思ったことをそのまま書きたい
三日目にして断念するとは。
書こうと思ったらすごいストレスで
1年間サーバー代払っちゃったから
もったいないけどやっぱやだ。
いいねの数とかインプレッションの数とか訪問者数とかもう見たくないんだよね。
将来的に万が一独立しようとした時にと思ったけど
もうやだ。
なんか無理。
なんでこんなに文章書きたくないんだろ。
人に読ませる文なんて無理よ
中々予約取れなかったり副反応が出たりするけど、重症化を防いでくれるっていうアレ。
あの疫病に対してのアレを打つか打たないか?なんて話題になりますけど、毎年冬に流行るインフルナントカもアレを打つか打たないか?で毎年毎年話題の1つのだったんですよ。私のコミュニティでは。あの疫病が流行る前は。
私の過ごしていたコミュニティが小さすぎるってのもあると思うんですけど、インフルの注射打った〜?なんて天気と同じくらいに聞かれます。そこのコミュニティに入るまではそんな会話したことなくて、当然のように毎年打つのがスタンダードなんて思ってもいませんでした。
ただ、毎年毎年、誰かはインフルになってしまうのです。そのときに「予防のヤツ打ってたのかな」「打ってたらしいよ」「じゃあしょうがない」みたいな会話です。
打ってて罹ったのならしょうがないという認識、つまり打たないで罹ったら良くないという認識がそこにはあるんだなぁと少しゾッとしたのを覚えています。
そこからは毎年接種しているんですが、正直、重症化しないためというのは建前で罹ったときのための周りからの盾のためというのが大きいです。
現在、世界に蔓延しているあの疫病もそういうことが起こっているような?いないような?私はようやく明日1回目のアレを打つんですけど、毎年毎年していたあの会話を思い出してしまいました。これは重症化防ぐプラス周りからの謎の圧を防ぐための鎧なんだろうなとやっぱりどこかで思ってしまいますね。
そうそう、今年からあのコミュニティは終わったので気楽ですね。鎧はずっとはつけられないから今は軽くて嬉しいです。
ふと、気付きを得た。
世の彼氏がいる女性は、“そういう”弱さを受け入れているのだと。だから恋人ができるのだと。これは私ができないことを逆算して得た気付きだった。
例えば、ある合コンで、まぁそんなに可もなく不可もなく、というくらいの男性が、自分に興味を持ったのだとする。隣に座るタイミングとなった途端に、こちらにわかるアプローチをしてくる。合コンなどという突発的な場でやってくるアプローチサイン。ここで世の女性達は、(この辺の匙加減は十人十色だとしても)別にいいか、と思えば男性を受け入れようとする体勢を少しずつとる。その後何度かのデートを重ね、数ヶ月後彼女は彼を“受け入れること”を決める。
私ができないのは、このサインからはじまるものを受け入れるということだ。なぜなら相手を分析して白黒のジャッジを下してしまうからだ。先の例で言えば、私が女性の立場ならまず真っ先に相手の特徴や事前情報からなぜ自分にアプローチをするのかを計算する。男に彼女がいない歴がどれほどあったか、歴代の彼女はどの程度か、その席の中で第一印象のみで得られる情報を計算して得られるポジションはとか。他にはその席の中での獲得成功率や私自身の女性としての価値など、様々なことが当てはまる。
こういう計算を重ねた後、目の前にいる男は「この人いいな」と単純に思ってくれている人というより、私にとってはサバンナで己が確実に捉えて肉体的得を得るために動いている、ただの獣に見えるのだ。この時点で興味を失う。つまらないと内心唾でも吐きかけそうになる。
はっきり言って自分でもここまで書いて思ったが、考えすぎだし分析しすぎだ。もう考えすぎてかえって馬鹿なのだ。そもそも目の前の対象を白黒のジャッジなどさも自分は神だとでも言いたげである。
しかし、このジャッジという点を除くと、圧倒的欠点が見つかる。私がジャッジする理由はただ一つ。怖いのだ。会って数秒で距離を急激に縮める相手が。何を隠そう私は友人ですら仲良くなったと思えるまでに年単位の時間がかかる人間だ。牛歩というかもう亀。私の縮められる距離感の歩幅が亀なみにちっっっっさい。
ここまでわかった時点で、強く思った。
私にそういうパートナーが現れるのは難しいだろうと。
例え性急に受け入れてしまっても、私の心はその薄暗闇の天井まで浮かんで、揺れて、バラバラにちぎれてしまう想像がついた。無になるのがわかる。抱かれながら、「もうなにもかもどうでもいいや」と思う自分がわかる。それは果たして幸せなのかと言われると、どちらでもない虚無に自分を叩き落とすことになるだろう。
受け入れることのできる女性は、おそらく容姿に関係なく、可憐で、愛らしく、世界で一番の美女に映るのだろうと思う。
そこまで想像して、ああ私には踏み込めない世界だと、改めて少しだけ寂しくなった。
自分の心に嘘はつけない。しかし、嘘をつきたくなるような弱さを、私は誰に受け入れてもらえばいいのだろう。
絵や音楽などの芸術が、私に優しくあるように祈るばかりだった。
おやすみなさい。
朝が来てしばらくすると
新しいテレビがやってくる。
わかっていたから壊れたテレビに録画予約した。
久しぶりに聴いた声とか、昔と歳を重ねた顔つきとか。
頭から離れなかった。
もう一度、もう少し眺めていたいと思っていた。
そんな時、やっぱり目についちゃうんだよね。
名前。
私、予約してまでみるのか…
もういっそのこと見なくていいかなって一瞬思ったけど少し鼻がツンってなりながら、観た。
夜に1人の時間があってよかった。
好きだって、思わないようにしていた。
好きだからどうなる?自分なんかって思っていたから。
あれからもうずっと会ってないし、これからも会うことはない、はず。これでいいんだ。
壊れたテレビに想いをのせて
一緒に持っていってもらうんだ。
ありがとう、さようならって言うよ。
接客は楽しい。
その人が必要としているものを一緒に探して見つけていって、っていう擦り合わせの過程が楽しい。
友達は少ない方だけど、お客さんとコミュニケーションをとるのは好きだ。
意外と向いていると思う。
アンガーマネジメントはいまいち上手くいかない。
「怒らないこと」じゃない、って分かっててもどこかで理解してないのかも。難しいな。
単純に「これは成長するために必要な過程だ」と考えた方が私には合っている。
6秒数えて冷静になる努力をするよりも、自分の利益になると考えた方が得な気がする。
受け止め方なんだろうな。
怒りに至る理由を考えることは必要だとは思うけど。自分では改善できないどうしようもない怒りって冷静に受け止めるのは難しいよな。
怒りの原因の為に自分が冷静になる努力をするのが嫌なのかも。私、性格悪いからな。
どうでもいいけど「アンガーマネジメント」ってカタカナじゃなく日本語にした方がいい気がする。
「怒り鎮め術」とか。ダサいけどわかりやすい方がいいと思うな。
眼鏡にしてから、髪型を変えて
アクセサリーもきれいめに変えた。
ちゃんと眉毛を書いて前髪を上げて
おでこを出す。
ずっと前髪下ろして幼さ演出、
服装もカジュアルで若々しく、というか
有り体に言えば、やっぱり若作りだったよね。
年齢的にも違和感は感じつつ
まだいけると信じてきたけど、
映画SATC2 のキャリーを見て、凄い失礼ながら
若作りていたいなと思ってしまった。
彼女の自由な可愛いファッションは好きだけど
面長で大人顔の彼女には無理があったよ…
ミランダとかシャーロットは昔からの個性を踏襲しつつ
年齢に合わせてアップデートしてる感じがあって
お嬢様で同じく可愛い系のシャーロットは
かわいそうそのまま大人の落ち着きもあって素敵だった。
ファッションは自由だけど顔に出てくる老いとの
ギャップがあるとものすごいミスマッチ感がある。
で同じく面長の私。
前髪でごまかしてきたけど限界。
前髪を立ち上げて眼鏡をかけて
落ち着いたシャツに一粒ダイヤのネックレス。
自分がイメージする40歳の女性風にすると
違和感ないんだよこれが。。
ああ私40歳なんだなと。
これはこれで私は嫌いじゃないけど、
でも婚活パーティー行ったら間違いなく
相手されない感じ。
キャリアウーマンとか女教師風で
ただでさえ学歴で引かれがちなのにますます
近寄りがたい雰囲気。
可愛いげはないよね。
でももうなんかこれがいいと思った。
学歴ごときでビビるようなしょうもな男に
媚びて無理やり若作りしても痛いだけ。
可愛らしい守ってあげたくなる女になりたかったけど
もう自立した自分でいいんじゃない?
中身はそうなんだから、外見もそれに合わせよう。
無理にシャイなふりもしない。
もう気持ち悪いよ
いいじゃん多少気が強くてクールでも。
本当はモード系の服が好きなんだよ。
母親はお嬢さん風の格好が好きみたいで
決して私のメガネ姿褒めないけど私はこれがいい
男ウケしないの分かるし可愛いからは外れるけど
あと年相応にしかもう見えないけど
私の内面と外見が合致した。
媚びなくていいよもう
私は私ですから