小学校3年生のおかっぱ女の子が主役のあのアニメ。
私は嫌いと思ったことがなく、日曜の6時から観ていました。
今も放送していますよね。何気に御長寿アニメです。
一番最初に放送された時期に観ていたんですけど、90年代初頭くらいだったとは思うのですが、アニメの時代設定は70年代だったので、そこに出てくる芸能人が山本リンダとか西城秀樹とかなんですよね。アニメを観始めた私は小学生で当然その時代を知りません。知りませんが、アニメの中の世界としては楽しんでいたような気がします。
ただ、うちの両親は「この世代のことなんかわからないよね〜」と否定的な圧というか、そんな口調で問いかけてくるんですよね。当然、わからないからわからないと答えると、両親は喜んでいたような気がします。わからない、ならば、面白くないよね?じゃあ観なくてもいいよね?みたいに持っていかれたような気がします。その世代の世界観がわからないから楽しくないと私が思っているということにして、アニメを見せたくなかったんでしょうね。野球中継とか自分の好きなものを観たいから、私がアニメを嫌いなことにしたい。今思えば、そんな姑息なことをやりそうだなと両親には思えてきます。
時は流れて、私、山本リンダさんの曲好きなんですよね。サブスクやらネットやらが発展して、その世代の空気感を拝借出来るようになって、自分の世代以外のものを好きになる。そして、それが自由に手に取れることが嬉しい。あのアニメの中で否定的な圧がなかったら、もしかしてもっと早く、ウララ、ウララしていたかもしれませんね。
常温保存OKのおでん食べました。
出汁も有名なところの出汁で美味しかったです。
また買い置きしておこうかな
最近、ちょっとパフェ重いな⋯そのときは良くてもあとから来る⋯
毎年、栗の季節にどこかのパフェを食べていたけど、引退かな?
そんなことで引退とか大げさもいいところなんですが、まだまだ食べられる若いときといってもだいたい15年前とかですが⋯
自由時間が制限されるような状況⋯自分で選んだとはいえ、そんな感じだったので、もう戻ってこない日々なんだなと思います。
あの頃に選択したこともあの頃にしかない選択だったんですが、パフェを堪能するのもあの頃にしかなかった選択だったとは思うんです。
状況が落ち着けば、パフェをゆっくり食べる時間は現在のようにあるんですけど、パフェを食べても胃もたれしない体はあの頃までで終わりだったんです。
周りから見たら、そんなこと後からでも出来るよ?って言われたり思われたりすることでも、後になったら出来なかった⋯ってあると思うんです。自分でも、自由な時間増えたらパフェ、パフェなんて思って、頑張れた部分があったのに、その自由な時間が増えた現在がコレなんで、手間かけて剥いたのに不味い栗に当たった気持ちではあるんですが、その分手に入れたものもたぶんあるんでしょうね。と思うことにします。
副校長先生って言い方慣れない。いつから教頭先生って言わなくなったんだ。こどもと会話が通じなくて慣れなきゃいけないんだが難しい。そういえば運動会での副校長先生、半そで短パンだったな、若々しかった。
今日はカラオケに来ています。
この後、お昼も兼ねてパフェを食べに行く予定です。
昼ご飯も食べてパフェを食べるのは重くて出来ないのです。
某新総裁は母が生きていたとしたら同じくらいの年齢だけど、母のことを思い出すとこの年代の女性でトップに立つって並大抵な精神力じゃ無理だよなーと思うんですよね。
男性は「女じゃ無理」ってオーラ出してくるのもキツイものがあると思いますが、案外大変なのは同じ女性からの「女だからこれでいいのに」という圧だったりするんじゃないかと。
ウチの母なんて、女だから大学なんて行かなくていいのにとか、女はこれが出来ればいい、とか性別にあやかって生きてきたタイプなんですよね。それはそれで1つの生き方ではありますが、それ以外の生き方をしようとする人の足をひっぱるような言い方をしてるときがありましたね。女性のがむしゃらに頑張る人をバカにするというか。人は人、自分は自分なのに、自分以外の生き方をする人を貶さないと自分を保てないんだろうなって思うんです。母は周りより早く出産して20代で3人出産したのが自慢らしいけど、正直全然羨ましくない。お金ない、あなたが大学?とか、なんとか大学行かせてはもらえたけど、居候、苦学生、がめついとか子どもに言いまくる人生なんてつまらない。
母とは約四半世紀ほど年齢が離れているけど、それくらい経つとやっぱり時代とか感覚って違うし変わるんだなと思います。
25年なんてあっという間に感じて何も変わっていないよう思うけど、キチンと変わっている。私と母の感覚が違うように、私もその時代の価値観で生きてるんだなと自分で思うことが慰めになるのかもしれません。ただ、これからの流れに母みたいに乗れなかったらどうしよう?と不安はあります。
朝、通勤時に
真正面から日傘さしながら
歩いて来た人とすれ違った。
人がすれ違うのも狭い歩道だったから
相手の日傘と肩掛けのカバンにがっつり当たってしまって、
今でも当たった顔と手首が痛い。
日傘って便利なツールなのかもしれないけどさ。
危ないよね。
当たるかもしれないし、
傷つけるかもしれないから使う場所に気をつけないとって、
思わないのかな。
「私は日傘が必要なんだから、
お前が当たらないように避ければいいんじゃないの?」
って自分さえ良ければいいんでしょうね。
もちろん、私は謝りませんでしたけど
向こうも謝らず去っていきました。
日傘が嫌いになりました。
ChatGPTに
「癒してほしいので面白い話をしてください」って
頼んだら、返しはしてくれたんだけど、
ごめんね、私には刺さらなかった笑。
万人受けする回答で優等生なんだろうけど、
一人ひとりに寄り添えるわけではない。
そうなるとね。
人間って他者を見て考えて、
わかる範囲で読み取れる範囲で考えて、
反応するって「技」なんだなぁって、
改めて思い知らされて、
今、自分の周りにいる人達に、
「いつも気を遣わせててほんとごめんなさい。
そしてありがとう」って思う。感謝。
昨日からホットコーヒーにしたのに、今朝はまたアイスコーヒーにしてしまいました。
ホットかアイスか迷うことがなくなれば本当の秋だと思うのですが、それは既に冬なのかもしれないのが最近の体感ですね。
やっぱりウチの親って、親として最低だなって思いますよね。
私立入学金の二重払いのニュース見て思いました。併願している場合、本命の学校の合格発表が出る前に併願校の入学金の納入期限が来てしまうから、本命に受かった場合、無駄金になるというものですね。
私は、そもそも推薦で入学してるので、その併願の入学金ってものがかかっていないんですよね。それでも、お金がかかる、お金がかかる、お金かけてやってる、居候のくせに、など色々言われてきました。
併願じゃないからお金かかってないから偉いって言いたいわけじゃないんですよ。それは自分の選択なので。ただ、お金がかかることを盾にモヤモヤする言動を多くて浴びせられたのは事実なのです。だから私も純粋に感謝出来なくて、世の中にはもっとお金がかかっている人がいて、それなのに当たり前にそれを享受して生きている人がいるのに⋯と思ってしまうんですよね。
もし、私が一般入試で入学金の二重払いになったとしたら、受かっても受からなくても、あの頃の嫌味よりももっと不快なものを受け取っていたんだろうなと想像出来ますね。
でも、負担は負担だとは思うんですよ。こういうのは改善出来るならして欲しいとは思ってますが、子どものためにキツイけどグッとこられて払ってくれる⋯そして、そんな親に純粋な感謝を出来るような人生がよかった。大学の費用やその他、出してくれた事実には感謝せざるを得ないけど、もっと湧き上がってくるような感謝や親の負担に心を傷めるのような人格になっていたかったですね。でも、あの親から生まれてその環境で育ってきた私には事実に感謝することしか難しいのです。