あるアニメを中学時代に見た。
昔から神経が過敏なたちで、わたしには眠れない夜が度々あった。ベッドの中で不安と闘ってしまいながら、もう眠りにつくことはきっぱり諦めた。なんの気なしに夜長を何とかして欲しいとすがるような気持ちで、テレビをつけた。
アニメがやっていた。
当時のわたしは深夜にアニメがやっているなんて知らず、ずいぶん驚いたのを覚えている。
なぜか目が離せず、夢中になって30分が終わった。気がつくと、眠気がやってきてホッとした心地で床に戻ることができた。
朝、両親には内緒でこっそりとそのアニメを毎週録画にした。
そして撮り溜めておいて、これまたこっそり、心臓の圧迫感で眠れない夜に見た。
数週間で1ヶ月が終わり、アニメも最終回してしまった。どうやら見始めたのが遅かったらしい。わたしは2期の中間から見たようだ。
最終話は、今でも忘れられない。人とうまく交流することができなかったわたしに、理由もわからずその最終話が全てを理解させてしまったからだ。なぜ人と生きるのかという疑問、癇癪、自分の孤独感、わたしの眠れない夜。それらを全てその最終話のまとめが落ち着かせてしまった。
そんな衝撃から早10年。なんと映画が公開するらしい。
わたしもずいぶん成長し、自分の精神的問題ともうまく付き合えるようになっていた。
久々に、あの最終話だけをしっかりと見てみた。
大人になってもやはり変わらない。あの感動をもう一度味わうとともに、中学時代にはわからなかった暗喩の数々を理解できるようになっていた。
ペンギンは、集団で行動する。なおかつ陸と海の両方を生活の拠点とする。つまりは、その分天敵も多い。
そのため海陸間の移動をする際は、天敵がいないか確認するために一羽だけ先に飛び込むという種保存のための生存戦略をとっている。その1匹が姿を消すと、移動を取りやめるのだという。
犠牲だ。
生命には情などという法則に則った取捨選択は存在しない。ただただ利己的な選択が行われている。
本当は、ただそうなのかもしれない。
それでもヒトという生物は祈りたい。その犠牲を、誰もが忘れないのだと。その愛による犠牲者の存在を思い出せるのだと。
そして犠牲者との罪も罰もみな、互いが分け与える。
アニメの大きなテーマは、おそらく「愛」だ。
分けあった小さなものも、大きなものも、全てが愛だ。
時に受け取られないものもあり、受け取ってもらえるものもある。
どんなに愛が一方通行であろうとも、わたしたちは大切な誰かを愛し、そして愛されるために生まれてきた。
10年たった今、いろいろな経験を重ねた。
それでもやはり、このことが真理であって欲しいと祈るばかりだ。
また、それに寄与できるような仕事をしていくのだと思った。