本当は元旦と今日も仕事出ても良かったけれど、休み希望出して休んでしまった。
シフトの発表がギリギリで年始の予定を年末に言われても困るから最初から休んだ。
交渉してくれたら全然応じたのだけど、それもなかったからお休み。
意外と自分は過程を大切にする部分もあるのかもしれない。前の長のときは自分の都合や気持ちも考えてくれてたなーと感じたので多少はこっちも無理出来たり、気長に待っていたり出来たのだと思う。
今はなんというか、ギリギリでも間に合えばOK!間違えても直せばOK!みたいに自分の都合しか考えていないような部分がスケすぎて嫌なんだと思う。だから、もうこっちでも自衛するしかなくて自分の希望を全面に押し出す形に持っていくしかない。それが柔軟に対応するということなのかもしれない。
なかなか掴めない相手で疲れるというのが本音。仕事に対してやる気がないのは感じる。私もやる気はないけど、仕事の範囲はなるべくやっているつもり。だが、その仕事の範囲すら手をつけなくて適当にやろうとしているところがスケルトン過ぎるとは思う。適当にやったら結局面倒なことになる部分をわかってないというか‥そういうのは凄く感じるなー。
まあ、今年もそこに身をおいて働くのは自分なので‥自衛の気持ちは持って仕事の範囲だけなんとかやるよぉ~
悪気のない、親切の押し売り‥。辛いね。
どうやったら相手が喜ぶか、
相手の望むことを考えられる人が、一人でも増えていきますように‥。
あけましておめでとう
年始からあれだけど、悩みとしては彼氏との営みが完全に無くなってていわゆるレスに陥ってることですね
もし結婚とかなって子供作りたくなったりしたらどうすんだろ
アー
あけましておめでとうございます。
現実ではちょっとメンドクサイなって思うほど毎年新年の挨拶をしているのですが、やっぱり新年なので今年もよろしくお願いいたします。
こんな感じで一癖ある書き方が出来るのがありがたいなと思うこの頃です。本当は心の中ではメンドクサイことばっかり思っているんだなーと思い知らされます。
新年のラジオ体操を観るのが恒例となってます。そんなことを恒例にしているのは私だけでしょう。
大晦日ですね。
駅前のドトールで愚図愚図してから、本屋に寄って年末年始に読む分厚い本を買って、百貨店に行ってお節を引取ってきた。蕎麦も準備万端。街は、何かと忙しない師走の空気から「もうジタバタしても無駄」なムードになっていて、賑やかだけど慌てていない雰囲気になっている感じがする。
テレビがないので紅白は見られないけれど、ラジオを聴きながら年越しするいつものスタイル。ただ、よく聴いている放送局は大晦日の年越し番組がなくて通常放送のままみたいなのがちょっと淋しい。けれど、まあそれも良いだろう。
今年は重大ニュースの多い年だったなと思う。来年はどうなるのか。1ミリも分からない。
子供の頃からこういう12月と大晦日の空気が好きだけれど、もうすぐそれも終わってしまう。
良いお年を。
日記毎日書きたいなぁと考えてる。
母親にお前はいつも中途半端だとなじられてる。
また中途半端の産物を作ってしまうのではないかと恐怖感が強い。
今、病気の手術退院後の療養期間で、職場復帰したら続かないんだろうなとか、
ここに今書き記してる毒にも薬にもならない事を紙に清書してなんの意味があるのか、記録を遡りたいときにこの愚痴見て何の意味がある?労力割く意味は?書くのもしんどいんだけれど?
それで日記なんか続かない。
やり方を学ばないといけないなぁ。
生き方のヒントが欲しい時に逆引きして分かり易い日記が書きたい。
今日でやっと仕事が納まる!といっても、ポツポツ短時間で働いてるタイプのソレだから、昨日は休みでしたけどね。
そんな働き方でも今年も色々ありましたよ。色々というか突き詰めると同じところに行き着くので原因はわかってるのですがね。わかってるのに何も出来ないって仕事以外でもありました。
何も出来ないというか、対処療法的なことはしてきましたけどね。きっと来年も対処療法的に生きるのだとは思いますね。
よく言えば、その都度、何かしらやってきたとも言えるし向き合ってきたともいえます。その結果が対処療法的だったということです。
自分が楽しいことだけには入り込んで、後は全部その場しのぎでいきましょう。今日の仕事はその場しのぎ?か?生きてるから仕事してるだけなので、お金を堂々ともらえるだけのその場しのぎをしてまいります!
食べられないと伝えても、次々に出されるごちそう。口をつけるまで食べなさい食べなさい遠慮なくと繰り返し勧められる。少し食べたけれどそれ以上は食べられなくて、段々、なんで食べないんだと憤りや困惑が口調に現れる様子に心苦しくなる。
ごめんなさい。気持ちはありがたいけどそんなに食べられません。満足させられなくてごめんなさい。つらい。
いい感じのやる気って難しいと思うこの頃。
例えば仕事でやる気を出して頑張ると、色々指摘してきて面倒とか、どうでもいい事にこだわる人みたいな扱いされたりします。指摘とかアラ探しをしてるわけでは決してないのですがね。
そういうのが嫌だから今度は肩の力を抜くと、肩以外の力も抜けるというのでしょうか?なんかもうどうでも良くなってそこにいるだけみたいになってしまいます。
こっちがそんな状態になると、相手のほうが逆にやる気出してきて、いつもの事なかれ主義はどこいったのー?なんて思ってしまいます。
そういう意味ではバランスはとれてるとは思うのですが、私がやる気なくなるのはやる気出すと面倒がられる雰囲気があるからなので、私の問題じゃな〜い!と本当は言いたいです。
これは世の中では言い訳のジャンルになるので、言わないようにしてますが、ここでだけは言っちゃいます。
来年の課題はいい感じのやる気を出せるようにすることですかね。こんなことを言ってるけど、本来の自分はやる気ないんですよ。だからやる気のさじ加減でモヤモヤするのです。やる気なくてもやる気あるように見えるようにするのもある意味課題ですね。
今日は朝から職場の大掃除。
仕事場をさっぱりさせて、いつもより早い帰宅に。
思い立ってslam dunkを観に、なぜか髪をきゅっと結んで、ひとりレイトショーに走る。
久しぶりの人の多い映画館、しかもやっぱり年代は少し上の男性陣、もしくはご夫妻の多さ。
おひとりさまもちらほらいることに安堵しながら、これはなんだか、分かち合う者がいてほしいと思ってしまった。
思い出す、子どもの頃のワクワクと緊張。
やっぱり気持ちよく、観られてとてもうれしい。